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ザ・ビーチ・ボーイズがメジャー契約を獲得した日
1962年7月16日、カリフォルニア州ホーソーン出身のビーチ・ボーイズと呼ばれる若者たちがメジャー・レコード会社である米キャピトル・レコードと歴史的な最初の契約を正式に結び、全く別の人生を進むことになった。
彼らはその前年にグループを結成し、1961年の終わりにハリウッドを拠点とするレーベル、キャンディクス・レコードから彼らの最初のシングル盤「Surfin’」をインディペンデントでリリース。地元でヒットとなったそのシングルは、全米シングル・チャートの75位に食い込むほど十分な印象を全米に与えた。
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1962年前半の間、ビーチ・ボーイズは、ドットやリバティを含む幾つかのレーベルのオーディションを受けたが成果がでなかった。キャンディクスのエグゼクティブ、ラス・リーガンは、ウィルソン兄弟の父で事実のマネージャーであったマレーに、もしかするとキャピトル・レコードのニック・ヴェネットなら興味を持ってくれるかもしれないと提案。その助言は当たっていた。
他のレーベルへの売り込みのために彼らが作ったデモテープには、面白いことに「Surf + Safari.」とスペルを間違えた、のちにキャピトル・レコードからのシングル1曲目となる曲が含まれていた。
その6月、他の曲「Their Hearts Were Full Of Spring(心には春がいっぱい)」 とウィルソンからキャピトルのニック・ヴェネットに向けたメッセージを追加したデモテープをマレー・ウィルソンがレーベルに持ち込んだ。
スティーヴ・ゲインズの著書『Heroes & Villains: The True Story of the Beach Boys』の中で、“車の上にサーフボードを積めるおそらく唯一のエグゼクティヴ”と説明されるニック・ヴェネットは、8小節も聞かないうちに「Surfin’ Safari」に夢中になった。
このサーフィンのアンセム曲は、キャピトル・レコードから即座に発売され、同月、フェニックス州のラジオ局でブレイク。8月には全米チャート入りし、14位まで上昇した。ニック・ヴェネット曰く、「その年のシングルで、キャピトル・レコードが受けた最も大きな注文は、“サーフィンが存在しなかったニューヨークシティ” からの注文」だった。そしてB面もチャートに入ることが多かった時代、B面の「409」(もともとはA面の予定だった)も76位に達した。
シングル曲のヒットとともに7月16日、ビーチ・ボーイズは彼らの最初のオフィシャルな契約をキャピトル・レコードと締結。そしてすぐ、ニック・ヴェネットによって彼らのファースト・アルバム『Surfin’ Safari』がキャピトル・タワーにて制作された。10月にリリースされたこのアルバムは32位に達し、ビーチ・ボーイズの伝説は完全に軌道に乗ったのだ。
Written by Paul Sexton
ビーチ・ボーイズ『Sounds Of Summer (Remastered)』
2022年6月17日発売
日本盤3CD / 日本盤1CD / 6LP / 2LP
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