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シングルもヒットした1975年、バリー・ホワイトの『Just Another Way To Say I Love You』
テキサス出身のソウル歌手バリー・ホワイトは、かつて‘音楽界のヘビー級チャンピオン’と言われ、モハメド・アリと並ぶほどの文化的象徴となっていた。そんな彼も1970年代初期になると悪戦苦闘が続いていたが、王座への挑戦をあきらめるつもりは毛頭なかった。
1974年は彼の当たり年となり、国内外でシングルやアルバムが立て続けに大ヒットした。そうして出たニュー・アルバム『Just Another Way To Say I Love You』は、チャートで好成績を収めていく。全米チャートでは、1975年4月12日にポップ・チャートに初登場。ソウル・チャートにはその翌週に初めてランク入りした。この4枚目のアルバムは、前の3枚と同じように、ゴールド・ディスクの獲得とR&Bチャートでの首位到達という記録を成し遂げている。
第1弾シングル「What Am I Gonna Do With You」は、まさに完璧な先導役になった。バリー・ホワイトが自ら作曲し、プロデュースも担当したこの曲は英米両方でポップ・チャートのトップ10に入り、R&Bチャートの首位を獲得している。例によって、彼はアルバム全体で曲作りとプロデュースの両方をこなしていた。このアルバムから出た第2弾シングル「I’ll Do For You Anything You Want Me To」でも、ヒットを飛ばしている。
バリー・ホワイトはスタジオの中では多芸多才ぶりを発揮し、アレンジャーやオーケストラの指揮者といった役割も務めていた。そうした活動は、不動の信念に基づくものだった。「俺の演奏、曲、アレンジは、すべて俺の頭と心から生まれてくる」と彼はかつて語っていた。「ミュージシャンに指示するのは、何を演奏するかということだけじゃない。もっと大事なこと、つまりどう演奏すべきかということも指示してる。曲をハミングや楽器で伝える。それに加えて、自分の意図をうまく伝えて理解してもらうことができれば、それでうまく行くんだ」。
「この業界には、バリー・ホワイトにはアルバムのプロデュースなんて無理だと思ってた人がたくさんいた。そういう人は知らなかっただろうけど、俺は誰よりも厳しい鑑識眼の持ち主なんだ。乙女座で、そのうえ完璧主義者さ。自分自身に対しても客観的に判断できるし、バリー・ホワイトという歌手の面倒を見るプロデューサー/ソングライターみたいな感じで自分と接してる。プロデューサーの自分が、歌手の自分にあれこれ命令してるというわけさ」。
Written by Paul Sexton
バリー・ホワイト『Just Another Way To Say I Love You』