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エイミー・ワインハウスに関するあまり知られていない5つの事実
エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)は、生まれつきの才能に恵まれた歌姫だった。たとえコンピューターのマニュアルに書かれた言葉を歌っても、その歌によって人の魂を感動させることができるような、そんな類い希な才能の持ち主だったのである。ほろ苦い音色とジャズ風のフレージングで歌われるその声は一度聞けば頭にこびりつき、もはや他の誰の声とも間違うことはできないだろう。
ロンドン生まれのエイミーは、2003年の『Frank』と、その3年後に発表された代表作『Back To Black』というたったの2枚しかアルバムを作っていない。とはいえ彼女は、そんな短い活動のあいだに大胆不敵で先見の明のあるアーティストであることを自ら証明した。ヴィンテージ物のジャズ、伝統的なスタイルのR&B、ヒップホップ、60年代のガール・グループ・ポップといった要素を融合させ、極めて個性的な独特のスタイルにまとめあげていったのである。
そんな彼女ならではのスタイルは、後に続く新世代の女性歌手たちに影響を与えることになった。そうした歌手の中には、アデル、パロマ・フェイス、さらにはジョルジャ・スミス、ラナ・デル・レイ、レディー・ガガ、ビリー・アイリッシュまでが含まれている。
とはいえ、エイミー・ワインハウスのキャリアの概要はよく知られているものの、彼女の音楽人生にはあまり知られていない側面がいくつかある。そうした側面を知った人は驚くかもしれない。今回は、絶大な才能を持っていたこの歌手に関する意外な事実をいくつか紹介しよう。
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1. 初めてレコーディングしたのは10歳の時だった
エイミーが初めてレコーディング・スタジオの中に入ったのは1993年のことだった。このとき彼女は、小学校時代の親友ジュリエット・アシュビーと共作した曲をレコーディングしようと決めたのである。
ふたりはアメリカの女性ラップ・デュオ、ソルト・ン・ペパの熱烈なファンだったので、それにちなんでスウィート・ン・サワーというグループ名を名乗っていた(ちなみにエイミーは「サワー」の方だった)。
ジュリエットの母親はプロデューサーのアラン・グラスと友人だったため、そのグラスの招待でふたりはロンドンのスタジオに入り、ヒップホップ・スタイルの曲を3曲吹き込んだ(「Glam Chicks」「Boys…Who Needs Them」「Spinderella」。最後の曲の題名はソルト・ン・ペパのDJ の名前から来ていた)。
このスウィート・ン・サワーの音源は今も未発表のままだが、このレコーディング・セッションはエイミーのキャリアの中で重要な初期段階となった。
2. エイミーはロンドンの有名な演劇学校に通っていた
13歳の時、エイミーはロンドンにある演劇学校の名門シルヴィア・ヤング・シアター・スクールに入学を希望した。オーディションで彼女はエラ・フィッツジェラルドの「The Sunny Side Of The Street」を歌い、そのパフォーマンスがあまりに魅力的だったため、すぐに合格が決まった。
年間1万ポンドという授業料はワインハウス家の経済状況ではとても払えない額だったが、スクールの創設者であるシルヴィア・ヤングはこの将来性豊かな若い歌手に強く心を動かされ、奨学金を授与した。
3. 10代のエイミーはジャズ・オーケストラで歌っていた
16歳の時、エイミーはイギリスのナショナル・ユース・ジャズ・オーケストラのオーディションに合格した。このオーケストラはビル・アシュトンが創設し、長年にわたって運営していた22人編成のビッグ・バンドだった。
2000年7月、ロンドンのレイナーズ・ホテルというパブで行われた日曜日のランチタイム・コンサートがエイミーの初舞台となった。驚くべきことに、彼女は事前にバンドとのリハーサルをしていなかった。初舞台のステージに向かう途中、歌う予定の4曲をロンドンの地下鉄に乗りながら覚えたのである。彼女ののんびりした態度にアシュトンは不満を抱いたが、彼女の才能には圧倒された。彼はエイミーのことを「今まで聴いた若い歌手の中で最高のジャズ・ヴォイスの持ち主」だと述べたことがある。
4. エイミーの最後のレコーディングはトニー・ベネットとの共演だった
父親がジャズのクルーナー歌手に熱中していたおかげで、エイミーはフランク・シナトラやトニー・ベネットの音楽にどっぷり浸って育った。それゆえ2011年、当時85歳のベネットのアルバム『Duets II: The Great Performances』で共演する話が舞い込んだとき、彼女は体調が万全でなかったにもかかわらず、即座にOKした。
ふたりはロンドンのアビーロード・スタジオで顔を合わせ、ジャズの古典的名曲「Body and Soul」をデュエットした。最初のうち、エイミーは憧れの歌手との共演に緊張していたが、すぐにレコーディングに没頭し、そのパフォーマンスは大ベテランのベネットにとっても忘れられない記憶となった。彼は2016年の回顧録『Just Getting Started』で次のように記している。
「エイミーは憧れの気持ちをちょうどいいくらいの加減で加えてくれた。愛と欲望に魅了されると同時に、その愛と欲望の罠に少しはまっているような感覚をひとつひとつのフレーズに込めてくれた」
5. ロンドンのカムデン・タウン地区にはエイミーに敬意を表す銅像がある
エイミーを追悼する等身大のブロンズ像は、彼女自身が「地元」と呼んでいたノース・ロンドンのカムデン・タウンにあるステイブルス・マーケットに建てられた。彼女の友人だったイギリス人俳優の故バーバラ・ウィンザーによる除幕式は、生きていればエイミーが31歳になったはずの誕生日に行われた。
このイベントには、彼女の両親や数多くのファンが参加している。このブロンズ像は、ロンドンを拠点に活動するアメリカ人彫刻家スコット・イートンが制作した。『ニューヨーク・タイムズ』紙のインタビューで、彼はこの像を「エイミーの挑発的な態度と強さを表現すると同時に、微妙な不安定さも感じさせるもの」にしたかったと語っている。
Written By Charles Waring
『Back To Black: Songs from the Original Motion Picture』
2024年4月12日配信
日本盤CD:11月15日発売
CD / LP /Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
エイミー・ワインハウス『Back To Black』
2006年10月27日発売
CD /Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
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