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ザ・ローリング・ストーンズ、1969年の伝説的なハイド・パークでのライヴを振り返る
1969年7月5日の午後5時25分。ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)の呼び名が定まったのはこの瞬間だった。
「世界一のロックン・ロール・バンド。まさにとてつもないバンド。ストーンズに拍手を!」
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ザ・ローリング・ストーンズがこのフレーズで呼ばれたのは、このときが初めてだった。今では「世界一のロックンロール・バンド」といえばザ・ローリング・ストーンズ、ザ・ローリング・ストーンズといえば「世界一のロックンロール・バンド」というほどにこの呼び方は定着している。
詰めかけた大観衆(25万人とも50万人とも言われている)を前にして、このフレーズをステージ上で口にしたのはサム・カトラーだった。サム・カトラーは、ロンドンの有名なハイド・パークでの無料コンサートを初めて企画したブラックヒル・エンタープライズの社員だった。
この1969年のザ・ローリング・ストーンズのコンサートは、ハイド・パークで行われた最初のロック・コンサートではないし、最後のコンサートでもない。また、ハイド・パークで行われた最高のコンサートとも言えないだろう。しかし今も語り草となっている“ハイド・パーク・コンサート”といえば、このコンサートだろう。
「あのハイド・パーク・コンサートは観た?」と尋ねられた場合、ある特定の世代の人間ならすぐに何を指しているのかわかるだろう。あのコンサートが唯一無二の特別なものになった理由はたくさんあるが、特に大きな理由として元メンバーの死が挙げられる。
ザ・ローリング・ストーンズを脱退したばかりのブライアン・ジョーンズがコンサートの2日前に亡くなったのである。またザ・ローリング・ストーンズがイギリスでライヴをやるのはこれがほぼ2年ぶりだった。さらにこのコンサートは、ミック・テイラー加入後の初ライヴでもあった(テイラーはジョーンズの後任ギタリストとして約1カ月前に加わっていた)。
ブライアンへのトリビュートと3,000羽の蝶
メンバー全員がステージに上がると、有名なマイケル・フィッシュがデザインしたギリシャ風の白い‘ボイルドレス’を着ていたミック・ジャガーがこう叫んだ。
「OK! じゃあ聞いてくれ。ちょっとだけ静かにしてくれないかな。ブライアンに捧げるメッセージがあるんだ。このメッセージを静かに聞いてほしい。ブライアンについて言いたいことがあって……。これから朗読するのはシェリーの書いた詩だ」
安らかに 安らかに! 彼は死んではおらず 眠ったわけでもいない
彼は 人生の夢から目覚めたのだ
幻影を相手に 無益な争いを続けているのは 我らのほうだ
嵐のような幻の中で 我らは道に迷ってしまった……
パーシー・ビッシュ・シェリー(1792~1822)『アドネイス』
この詩の朗読が終わると、ザ・ローリング・ストーンズのツアー・マネージャー、トム・キーロックが3,000羽以上の白い蝶を放った。これには300ポンドの費用がかかったが、この蝶とミック・ジャガーの‘ドレス’のおかげもあって、コンサートの印象は鮮烈なものになった。その後2013年にザ・ローリング・ストーンズがハイド・パークでライヴをやったときも、ミック・ジャガーは白い蝶のモチーフをあしらった青のジャケットを着ていた。
当時のザ・ローリング・ストーンズは、最初のライヴから7年、デビュー・シングルの発表から6年、世界進出開始から5年という節目を迎えていた。この1969年のコンサートは、ハイド・パークで行われた初めてのロック・コンサートではない。ハイド・パーク初のロック・コンサートは、この1年前に行われたヘッドライナーにピンク・フロイドを迎えた無料コンサートだった。
その後はさらに他のバンドが続き、1969年6月には短命に終わったエリック・クラプトンとスティーヴ・ウィンウッドのバンド、ブラインド・フェイスのコンサートも開かれている。そのときのステージは、ミック・ジャガーとマリアンヌ・フェイスフルも見つめていた。チャーリー・ワッツは2013年にこう振り返っていた。
「ブラインド・フェイスがライヴをやったとき、ステージは草っ原の真ん中に設営してあって、そこにドラムやアンプが置かれていた。そのステージを、ライヴを観に来た人がぐるりと取り囲むことになった。俺たちのライヴのときは、ミッキー・マウスみたいに小さなステージだったよ。鉄パイプの足場の上にちっちゃなステージがあって、ドラムセットがあって、ミックの白のドレスを引き立たせる背景がちょっと用意してあった。その周りに、ただ観客が集まっていたんだ。もちろん今では、ステージや観客席がきちんと仕切られている」
しかし今も語り草となっている‘ハイド・パーク・コンサート’といえば、やはり1969年のザ・ローリング・ストーンズのコンサートである。
ジョニー・ウィンターの曲で始まったコンサート
蝶を飛ばしたあとには、演奏が控えていた。1曲目は「I’m Yours and I’m Hers」という少し意外な選曲。これはザ・ローリング・ストーンズの曲ではなく、テキサス出身のアルビノ・ブルース・ギタリスト、ジョニー・ウィンターの曲で、ひと月前にコロンビアから出たばかりの彼のデビュー・アルバムに収められていた。
キース・リチャーズはそのアルバムを6月に買い込み、このコンサートの1曲目にどうかと提案していた。ザ・ローリング・ストーンズがこの曲をライヴでやったのは、あとにも先にもこのときだけだった。
次の曲「Jumpin’ Jack Flash」もライヴでは初お目見え。ザ・ローリング・ストーンズが「Jumpin’ Jack Flash」をステージで披露するのはこのときが初めてだった。ただしこの曲は前年の夏にシングル・チャートで2週間首位を維持していたので、観客にはもうお馴染みだった。
1969年秋の全米ツアーでは、ほとんどのライヴで冒頭に演奏されることになった。続くドン・コヴェイの「Mercy Mercy」は1965年5月発表の『Out of Our Heads』でカヴァーされていた曲で、これもまた少し意外な選曲だった。一方「Stray Cat Blues」と「No Expectations」は『Beggars Banquet』に収められていた曲。どちらも、このときが初めてのライヴ演奏だった。
「I’m Free」は『Out of Our Heads』の収録曲で、こちらもこのときまでライヴで演奏されたことがなかった。「Down Home Girl」はこのライヴの演目の中で最も古く、1964年の末に録音され、ザ・ローリング・ストーンズがイギリスで出した2枚目のアルバムに収められていた。
昔の曲の次は、もっと昔の曲。「Love in Vain」は1937年にロバート・ジョンソンが録音した曲だった。ただしザ・ローリング・ストーンズにとっては新しい曲で、当時は数カ月前に録音したばかり。その録音は1969年の末に『Let it Bleed』で発表されている。
「Loving Cup」はミック・ジャガーとキース・リチャーズが共作した新曲で、ふたりが以前からスタジオで練り上げていた曲だった。これは1972年になってようやく『Exile on Main St』で発表されている。この曲のあとはニュー・シングルの「Honky Tonk Women」が続き、さらには「Midnight Rambler」(『Let it Bleed』B面の冒頭1曲目)が演奏された。このハイド・パーク・コンサートのライヴ評の中には、この曲を「The Boston Gambler」と紹介しているものもある。
1967年4月に行われた前のツアーの演目で残っていたのは「Satisfaction」のみ。そのあとは「Street Fighting Man」と「Sympathy For The Devil(悪魔を憐れむ歌)」が続いた(どちらも『Beggars Banquet』収録)。
ステージの締めくくりとなった「Sympathy For The Devil」では、ジンジャー・ジョンソンズ・アフリカン・ドラマーズのメンバーもゲスト参加している(ジョンソンはロンドン・ジャズ・クラブ・シーンの古株だった)。
サム・カトラーが口にした“世界一のロックン・ロール・バンド”という呼び名はその場の流れで自然に出てきたものだったが、それ以来ザ・ローリング・ストーンズの代名詞となった。サム・カトラーはこの年の後半に行われたザ・ローリング・ストーンズの全米ツアーに同行し、この前口上をずっと繰り返していった。
そのアナウンスは、このツアーで録音されたライヴ盤『Get Your Ya Yas Out』で聴くことができる。そしてこの『Get Your Ya Yas Out』は、「世界一のロックン・ロール・バンド」という看板通りの内容だった。しかしハイド・パークでは、趣はかなり違っている。あのコンサートでのストーンズはロックン・ロール・バンドというよりはブルース・バンド。1962年の結成時に目指していたブルース・バンドそのものだった。コンサートの1週間後に出たとある音楽雑誌では、次のように書かれていた。
「観客の99%は、絶叫するためではなく、じっくりと耳を傾けるために来ていた(5年前なら違っていたかもしれないが)」
Written By Richard Havers
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ザ・ローリング・ストーンズ『A Bigger Bang: Live On Copacabana Beach』
2021年7月9日発売