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ホワイトスネイクで活躍したギタリスト、バーニー・マースデン逝去。その功績を辿る
尊敬される英国人ロッカー、バーニー・マースデン(Bernie Marsden)が2023年8月24日に72歳で逝去した。彼はギタリスト、そしてソングライターとして50年以上に渡ってロック・シーンで活躍し、特にホワイトスネイク(Whitesnake)での長年に渡る作曲と演奏で知られている。
彼のレーベルであるConquest Musicは次のように声明を発表した。
「彼の家族を代表して、深い悲しみをもってバーニー・マースデンの訃報をお伝えします。バーニーは木曜日の夜、妻のフランと娘のシャーロットとオリヴィアのそばで静かに息を引き取りました。バーニーは最後まで音楽への情熱を失わず、新曲を書き、レコーディングしていました」
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カヴァデールからの追悼
ホワイトスネイクのバンドメイトであるデイヴィッド・カヴァデールはSNSでこう追悼している。
「私の古い友人であり、元スネイクのバーニー・マースデンが亡くなったという悲しいニュースで目を覚ましました。彼の最愛の家族、友人、ファンに心からの想いと祈りを捧げます。純粋に面白く、才能に溢れた男で、彼と知り合えて、ステージを共にできて光栄でした」
バーニー・マースデンはホワイトスネイクの最も有名なヒット曲、特に1980年の全英トップ20シングル入りを果たした「Fool for Your Loving」と1982年の「Here I Go Again」の共作者である。後者のアンセムは最初のバージョンでトップ40入りを果たし、その後1987年に再レコーディングされ、全米1位、全英9位、その他数カ国でトップ10入りを果たした。
その生涯
1951年5月7日、英バッキンガムで生まれたバーナード・ジョン・マースデンは、地元のバンドで演奏した後、プロに転向し、1972年には初期UFOに一時参加。その後は、グレン・コーニックの『Wild Turkey』、コージー・パウエルの『Hammer』、1970年半ばにはベーブ・ルースのアルバム『Stealin’ Home』や『Kid’s Stuff』など、長いキャリアを通じて数々のバンドで演奏をおこなった。
その後、バーニー・マースデンはディープ・パープル後にイアン・ペイスとジョン・ロードらによるグループ、ペイス・アシュトン&ロードに加入。このバンドには、前述の二人に加えてトニー・アシュトンが在籍していた。
しかし、バーニーが最も愛し、長く在籍したバンドは、もう1人の元パープル・メンバー、デイヴィッド・カヴァデールが結成したホワイトスネイクだ。バーニーは彼らの最初のEP、5枚のスタジオ・アルバム、そしてライヴ・アルバムに参加した。
ウイングスではなく、ホワイトスネイクに加入
彼はジミー・マカロックの代わりとして、ポール・マッカートニーのウイングスに加入する可能性もあったが、代わりにホワイトスネイクに加入することを選択。彼は2021年にデイリー・テレグラフ紙にこう語っている。
「NMEが何度か(ホワイトスネイクの)ライブに来て、僕らを(古臭いと揶揄して)恐竜呼ばわりしたのを覚えているよ。当時の僕は25歳だったけどね」
ホワイトスネイク以外では、SOSを結成して、その後アラスカに改名。そして同じホワイトスネイク出身のミッキー・ムーディとのグループ、ザ・ムーディ・マースデン・バンド(後にカンパニー・オブ・スネイクスに変更)などで活動。ホワイトスネイク在籍中には、ソロ・アルバム『And About Time Too!』(1979)や『Look at Me Now』(1981)でソロ・キャリアをスタートさせ、過去にはロバート・プラントからジョージ・ハリスンといった音楽界の重鎮たちとも共演している。
その後、多くのソロ・アルバムをリリースし、特にここ20年、最近ではConquest Musicと契約し、2021年に『Kings』(アルバート、B.B.、フレディというブルース界の伝説的な”スリー・キングス”がレコーディングした曲を収録)や『Chess』を、そして昨年『Trios』をリリース。2021年には自伝『Where’s My Guitar?』を発売している。
Written By Paul Sexton
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