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‘南アフリカ・ジャズの父’、伝説的トランペッターのヒュー・マセケラが78歳で死去
伝説的な南アフリカのジャズ・ミュージシャン、ヒュー・マセケラが10年間の癌との闘病の後、78歳で亡くなったことが、2018年1月23日に彼の家族による声明で発表された。
‘南アフリカ・ジャズの父’とも呼ばれたヒュー・マセケラは、ヨハネスブルグで前立腺癌との長期にわたる勇敢な戦いの末に亡くなった。「ヒューの音楽、演劇、芸術への貢献は、世界中の、6大陸の何百万人もの人々の心と記憶に刻まれています」と彼の家族はその声明で語った。
トランペッター、シンガー、そして作曲家として活躍したヒュー・マセケラは‘ブラ・ヒュー’として愛されていた。14歳で、ホーンの演奏をはじめ、1950年代のジャズ・シーンのなかで、ヨハネスブルグで、The Jazz Epistlesの一員として活躍した。
1960年代、ヒュー・マセケラはイギリスとアメリカに移住し、ジャズの伝説的人物ハリー・ベラフォンテとコラボレーションし、その音楽で、南アフリカの白人による抑圧的な制度についての認識を広めた。彼はまた、1968年に「Grazing In The Grass」で1位を獲得した。
マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、そしてチャールズ・ミンガスなどのジャズの伝説的人物との親密な友情のほか、1960年代にはジャニス・ジョプリン、オーティス・レディング、ジミ・ヘンドリックスらのスターと共に演奏。1964年から1966年の間、歌手で活動家であり’ママ・アフリカ’として知られるミリアム・メクバと結婚していた。
1976年、南アフリカ・ジャズの父として知られる彼は、広大な町での蜂起に呼応する形で「Soweto Blues」を作曲。1980年代にはポール・サイモンと共にツアーを行なっていたが、1987年には「Bring Him Back Home (Nelson Mandela)」を書き政治的な活動も続けた。この曲は反アパルトヘイト闘争のアンセムとなった。
この影響力のある音楽家のキャリアに敬意を表して、ファンからはソーシャルメディアを通じて哀悼の意が送られている。
南アフリカ共和国の芸術文化担当大臣、ナティ・メスワはTwitterに「バオバブの木が落ちた」(*バオバブはアフリカで有名な果実)と書いた。「我々は素晴らしいミュージシャンの一人を失ってしまった。ブラ・ヒューは、アフロ・ジャズの偉大な創設者の一人だ、彼の時代を超越した音楽はいつでも我々の魂を高めてくれた」。
南アフリカのジェイコブ・ズマ大統領は、ヒュー・マセケラについて「彼は世界の自由の灯を掲げ、音楽を通じてアパルトヘイトと戦い、解放のために国際的な支援を動員し、アパルトヘイトの悪に対しての認識を高めてくれた。彼の解放への戦い、貢献は決して忘れられることはない」と哀悼の意を表明した。
Written by Tim Peacock