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トニー・ベネット、96歳で逝去:70年以上にわたるそのキャリアと功績を辿る
アメリカン・ソングブックのスタンダードを歌い、70年以上のキャリアを誇るトニー・ベネット(Tony Bennett)が2023年7月21日に96歳で亡くなった。2016年にアルツハイマー病と診断されながらも、闘病しながらレコーディングやコンサートも行った彼の訃報は、彼の広報シルヴィア・ワイナーによって伝えられた。彼のSNSでは次のように投稿されている。
「トニーは今日、私たちのもとを去りましたが、先日もピアノに向かって彼の最初のNo.1ヒットである“Because of You”を歌っていました。トニー、あなたのおかげで、私たちは永遠にあなたの歌を胸に刻むことができます」
彼のキャリアは、ボブ・ホープの番組で歌って有名になった1940年代から、レディー・ガガをはじめとするポップスターとコラボした2020年代まで多岐にわたっており、1962年の「I Left My Heart in San Francisco」でのグラミー賞最優秀レコードを皮切りに、1994年、彼が68歳のときにレコーディングした『MTV Unplugged』のアルバム・オブ・ザ・イヤーを含め、そのキャリアの中で20のグラミー賞を受賞している。
彼の多彩なキャリアを支えてきたものは、テノール歌手としてスタートして年齢を重ねるごとに思慮深く深みを増していく滑らかでスモーキーな歌声、そしてジョージ&アイラ・ガーシュイン、ロジャース&ハート、デューク・エリントンなどによるグレート・アメリカン・ソングブックの楽曲への傾倒だった。
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その生涯
トニー・ベネットはアンソニー・ドミニク・ベネデットとして1926年に生まれ、ニューヨークのクイーンズ区アストリアで育った。八百屋であった父は彼が10歳の時に亡くなり、母はお針子として彼を育ててくれた。彼の家族は大家族で、パーティでは叔父たちがギターやマンドリンを弾き、それにあわせて幼いトニーは歌っていたそうだ。
15歳で初めて歌うウェイターとして働き、その後第二次世界大戦中では歩兵として従軍。退役後はニューヨークのスクール・オブ・インダストリアル・アートで演技と音楽を学んだ。グリニッジ・ヴィレッジにて人気俳優のボブ・ホープが、パール・ベイリーのオープニング・アクトを務めていた若きトニー・ベネットを見かけ、その後ツアーに連れ出した。その時にボブ・ホープからアドバイスを受け、本名を短くした芸名トニー・ベネットを名乗るようになった。
1950年、24歳になったばかりのトニー・ベネットはコロンビア・レコードと契約し、1年後に「Because of You」で全米1位を獲得。豊かなストリングスの上で、トニー・ベネットはイタリアのベルカント・バラード(ロックンロールが台頭する以前の戦後アメリカのポップ・スタイル)に根ざしたスタイルで、この曲を情感豊かに歌い上げた。このサウンドは彼のキャリア初期の定番となり、彼はこの流れで、ドラマチックなラブソングを数多く発表していった。
トニー・ベネット初期のもうひとつの重要なヒットは、1951年にハンク・ウィリアムスの「Cold, Cold Heart」をカヴァーしたことだ。彼は「カウボーイ・ソングを歌わせないでくれ!」とプロデューサーのミッチ・ミラーに懇願したそうだが、この曲は今日、カントリー・ソング初のメインストリーム・ラジオでクロスオーバー・ヒットした曲と考えられており、カントリーとポップの歴史において極めて重要な瞬間となった。
1953年には「Rags to Riches」で3曲目のナンバーワン・ヒットを獲得し、1959年までに4曲のトップ10ヒットを放った。しかし、彼はそこから文化の潮流に逆らっていった。というのもトニー・ベネットは、同世代の多くの歌手同様、ロックンロールを軽蔑していたのだ。
彼は、ブロードウェイ流のソングライティングを擁護することで知られるようになったが、それはチャート上でロックのシンプルなスタイル(より少ないコード、より平易な歌詞)に取って代わられつつあったからだ。Stereo Review誌の批評家は1965年、彼がそのような音楽を支持したことについて次のように評している。
「彼は新しい作家と新しい歌の主要な発見者であり開発者となった。トニー・ベネットほど、いい歌が聴かれるようにした人はアメリカにはいない」
その典型的な例は、1962年、彼がこの4年間ビルボードのトップ20に入ることがなく、チャートで低迷していた時期に生まれた。ピアニストのラルフ・シャロンがその曲「I Left My Heart in San Francisco」を彼に紹介すると、トニー・ベネットはこの曲をレコーディングして再びヒットを記録して現代のスタンダードにした。この曲は今でも彼の代表曲とされている。
1963年には「I Wanna Be Around」と「The Good Life」というソングブックの定番となった2曲で再びトップ20入りを果たした。しかし、1965年の「If I Ruled the World」が彼の最後のトップ40ヒットとなった。
UKへの移住とキャリアの低迷
1960年代を通じて、トニー・ベネットはメジャー・レーベルのシステムと、重役たちが彼にレコーディングを強要するシンプルでロック志向の曲に嫌気がさしていた。1991年に彼はこう回想している。
「私は大失敗だと思ったよ。どんどんマディソン・アベニューの仕組みになっていったんだ。あんなのは単なるマーケティングだよ」
そんな業界に嫌気がさした彼は1960年代後半にロンドンに移った。レコード会社からの強要がなくなり、歌の芸術性により集中できるようになったトニーは、1970年代に彼の最高傑作、特にジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスとの2枚の傑作コラボレーション『The Tony Bennett/Bill Evans Album』(1975年)と『Together Again』(1977年)を発表した。
しかしながら、70年代はトニー・ベネットにとって、プロとしても個人としても困難な時期でもあった。彼は多額の借金を抱え、コンサートのブッキングはほとんどラスベガスでの公演に絞られ、1977年の『Together Again』以降は1986年までアルバムをリリースすることもなかった。また、1979年にはコカインの過剰摂取で瀕死の目に遭い、その時に助けてくれた妻である女優サンドラ・グラントとの結婚生活も1983年に離婚することになった。
どん底からのカムバック
しかしながら80年代、ベネットはカムバックに乗り出した。ベネットは3番目の妻となるスーザン・クロウと出会い、息子のダニーがマネージャーとなり、ピアニストのラルフ・シャロンを呼び戻した。
ベネットの新しいチームは、テーマ性のあるアルバムに舵を切り、1987年には『Bennett/Berlin』、1992年にはフランク・シナトラのトリビュート・アルバム『Perfectly Frank』、1993年にはフレッド・アステアにちなんだナンバーを集めた名唱集『Steppin’ Out』を発売。それらは1994年、トニー・ベネットがMTVアンプラグドに出演するきっかけとなった。
当初MTVアンプラグドは、ロック・アーティストが自身の楽曲をアコースティックで演奏することが主であり、非ロック・アーティストの出演はありえない選択だったが、この出演がトニー・ベネットのキャリアの分岐点となった。
このアルバムは彼にとって初のプラチナ・セールスを記録しただけでなく、彼のオーディエンスを従来のオールディーズ好きだけでなく、MTVを見る10代の若者たちにも広げることになった。また、このアルバムはグラミー賞の年間最優秀アルバム賞を受賞し、ベネットはポップ・ミュージック・シーンにおける新たな地位を確立し、2021年に引退するまでこの地位に留まった。
スタンダードとデュエット
そこからトニー・ベネットは、彼の師であるフランク・シナトラがキャリアの後半に行ったように、現代のアーティストとアメリカン・スタンダードのデュエットを録音し始めた。2001年、ベネットはスティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、ダイアナ・クラールらとのデュエット集『Playin’ with My Friends: Bennett Sings the Blues』をリリース。
2006年の『Duets』にはディクシー・チックス、エルトン・ジョン、セリーヌ・ディオンらが参加し、5年後の『Duets II』にはアレサ・フランクリン、ウィリー・ネルソン、レディー・ガガ、エイミー・ワインハウスらが参加した。
特にトニー・ベネットとレディー・ガガはお互いを気に入り、2014年には『Cheek to Cheek』、2021年には『Love for Sale』という2枚のアルバムを共に制作した。この作品はガガにとって仕事上のパートナーシップだけではなく、感情的なパートナーシップともなった。「トニーが私を天性のジャズ・シンガーとして見てくれているという事実は、いまだに喜ばずにはいられません」とガガは当時語っている。
ベネットは、2021年8月にラジオシティ・ミュージックホールにてレディー・ガガと2回の公演を歌った後、アルツハイマー病であることを公表し、演奏活動を引退した。
トニー・ベネットはキャリア後期の爆発的な活躍に加え、2000年代の大半は各界から賞賛を受け続けた。その中には、2001年のグラミー賞生涯功労賞、2005年のケネディ・センター名誉賞、2006年の全米芸術基金からのジャズ・マスターズ賞などがある。
1968年、彼の心を最もとらえたのは、彼のヒーローであるシナトラだった。そのシナトラはトニー・ベネットについて生前、米ビルボードにこう話していた。
「私の考えでは、トニー・ベネットはこの業界で最高のシンガーであり、歌の最高の表現者だ。彼を見ていると興奮するし、感動もする。彼は作曲家が考えていること、そしておそらくそれ以上のことを伝えてくれる歌手だ。その歌の裏側にはフィーリングが存在しているんだよ」
Written By Michaelangelo Matos
- トニー・ベネット アーティストページ
- トニー・ベネット&レディー・ガガNY公演ライヴレポ
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- ガーシュウィンに捧げたトニー・ベネットとダイアナ・クラールによる輝き
- トニー・ベネット&レディー・ガガ『Cheek To Cheek』解説