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ワイドスプレッド・パニックの創設メンバーで、長年ドラマーを務めたトッド・ナンスが57歳で逝去
ワイドスプレッド・パニック(Widespread Panic)の創設メンバーで、長年ドラマーを務めたトッド・ナンス(Todd Nance)が57歳で逝去した。彼の遺族が発表した声明によると、トッド・ナンスは、2020年8月19日の朝、”慢性疾患による突発的で予期せぬ重度の合併症 “により、ジョージア州アテネで亡くなったという。
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1962年、テネシー州チャタヌーガで生まれたトッド・ナンスは、子供の頃から熱心に音楽を演奏し、レーナード・スキナードなどのサザン・ロックに影響を受けて育った。高校時代には、ワイドスプレッド・パニックのギタリスト、マイケル・ハウザーと自身初のバンド、ジャスト・アス(Just Us)を結成し、1986年に、シンガー兼ギタリストのジョン・ベル、ベーシストのデイヴ・スクールス、パーカッショニストのドミンゴ・S・オーティズらと共にワイドスプレッド・パニックを結成した。
ワイドスプレッド・パニックはすぐに地元アテネで熱狂的なファンを獲得し、1988年にデビューアルバム『Space Wrangler』をリリース。90年代になると、彼らは国内最大のツアーバンドの1つとなり、ブルース・トラヴェラーやフィッシュと共にサマー・ロック・フェスティバル“H.O.R.D.E.”ツアーに参加し、コロラド州のレッドロックス野外劇場やアトランタのステート・ファーム・アリーナといったスタジアム級の会場で行われた数え切れないほどの公演によって、ソールド・アウト・ショウの記録を塗り替えた。その後、ワイドスプレッド・パニックは2002年のボナルー・フェスティバルで初のヘッドライナーを務めたが、これはマイケル・ハウザーが膵臓癌で亡くなる数ヶ月前のことだった。
トッド・ナンスは、バンド結成当初からの全11作のスタジオ・アルバムでパフォーマーとして参加し、共同作曲者としてもクレジットされており、2011年の『Dirty Side Down』が彼が参加した最後のアルバムとなった。今作収録されている「Clinic Cynic」では珍しくトッド・ナンスがヴォーカルを務めている。
2014年に一度、個人的な事情を理由にワイドスプレッド・パニックを脱退したトッド・ナンスは、2016年に数回にわたるライヴのために復帰したが、同年後半には完全にバンドから身を引いた。
ヴィック・チェスナットをフィーチャリングしたワイドスプレッド・パニックのサイド・プロジェクト、ブルート(Brute)でも活動していた彼は、スーパーグループ、バーバラ・キュー(Barbara Cue)の共同創設者でもあり、インターステラー・ボーイズ(Interstellar Boys)やトッド・ナンス&フレンズ(Todd Nance & Friends)といったバンドを通して様々な才能溢れるミュージシャンたちとライヴ活動を行っていた。
ワイドスプレッド・パニックはトッド・ナンスの訃報を受けて、次のような声明を発表している。
「深い悲しみと愛すべき思い出と共に、私達のブラザーであるトッド・アルトン・ナンスに別れを告げます。ワイドスプレッド・パニックはトッドの初ライヴの夜に誕生しました。彼とマイキーは高校(おそらく中学でも)で一緒に音楽をやっていたことから、ライヴをやるのにドラマーが必要だった時に幸運にもマイケルが彼を探し出し、バンドに参加しないかと声を掛けました。30年間、トッドはワイドレッド・パニックの原動力でした。素晴らしい作曲家であり、寛容で寛大な共作者でもありました。Tマンは“チーム・プレイヤー”のお手本のような存在で、バンドを牽引し、バンを運転してくれました。面白くて、冒険好きで、とても優しい心の持ち主でした。多くの幸せな時間を過ごした後に訪れたこの悲しい時に、トッドと彼のご家族の平穏をお祈りします。ブラザー・トッド、安らかな旅路を」
Written By Sophie Smith
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