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ザ・バンドのメンバー、スコセッシ映画の音楽でも知られるロビー・ロバートソンが逝去。功績を辿る

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Robbie Robertson - Photo: Jeff Kravitz/FilmMagic

アメリカーナのパイオニア、ザ・バンド(The Band)のメンバーとして知られるロビー・ロバートソン(Robbie Robertson)が、2023年8月9日、ロサンゼルスにて80歳で逝去した。

彼の34年来のマネージャーであるジャレッド・レヴィーンは声明の中でこうコメントを寄せている。

「ロビーは、妻のジャネット、前妻のドミニク、彼女のパートナーであるニコラス、子供のアレクサンドラ、セバスチャン、デルフィン、そしてデルフィンのパートナーであるケニーら家族に、囲まれて息を引き取りました。また、彼の遺族には孫のアンジェリカ、ドノヴァン、ドミニク、ガブリエル、セラフィナもいます。ロバートソンは彼にとって14作目の映画音楽となるマーティン・スコセッシ監督による新作映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の仕事を完成させたばかりでした。献花の代わりに、遺族は新しいウッドランド文化センターを支援するため、グランド・リバーのシックス・ネーションズへの寄付をお願いされています」

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ホーキンスやディランとの出会い

ロバートソンはカナダのトロントで生まれ育ち、北アメリカの先住民族、モホーク族でグランド・リバー保護区のシックス・ネイションズに住んでいた母方の家族から音楽を学んだ。10代の頃、彼はトロント周辺のバー・バンド・サーキットで、ロニー・ホーキンスと彼のグループ、ザ・ホークスと出会い、リヴォン・ヘルム、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソンらとともにギタリストとしてグループに参加。

このミュージシャン達がホーキンスと別れた直後、ボブ・ディランは1965年にこのグループを彼のバックバンドとして起用した。その頃は、ディランがニューポート・フォーク・フェスにてフォークからロックに転向してファンから強く非難されていた時期であり、ロバートソンは当時のことを後にこう回想している。

「今思うと、私たちが演奏していた全ての会場でブーイングを浴び、時には物を投げつけられた。世界中でブーイングを浴びながら、それをうまく乗り切った人なんて聞いたことがなかったよ」

 

ザ・バンドとしての活動

ツアー終了後、ロバートソンはリック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソンとともに、ディランの提案でニューヨークのウェスト・ソーガティーズの家に身を寄せた(レヴォン・ヘルムは一時的にグループを脱退)。そして、ザ・バンドはディランの後を追ってニューヨークのウッドストックに移り住み、そこで1968年のデビュー作『Music from Big Pink』のタイトルの元にもなった家に住むことになった。

当時、ディランはオートバイの事故からウッドストック近くで療養しており、その家、ビッグ・ピンクに頻繁に出入りするようになる。そしてロバートソンは、バンドが気が散ることなく自由に作曲や創作ができるクラブハウス兼工房を構想しており、100エーカー以上(東京ドーム9個分)の広大な敷地にあるこの家は、外界に邪魔されることなく新しいアイデアを試すための肥沃な実験場となったのだ。

曲作りのプロセスは共同で行われており、2階にはバンドが作詞するためのタイプライターが置かれ、1階にはアイデアを練るための簡素なスタジオがあった。ロバートソンは当時についてこう語っていた。

「みんなが創造性の輪の中にいて、実験が行われていた。素晴らしいキーボード奏者のガース・ハドソンが曲の下地を作り、リチャード・マニュエルはアイデアを書き、彼はボブと一緒に“Tears Of Rage”を書いていたね」

一方、ロバートソンは自身の作曲能力に磨きをかけ、「Chest Fever」やザ・バンドのキャリアを決定づけたシングル「The Weight」のような後の名曲を書き上げた。

「私はストーリーテラーになりたかったんだ。“今朝起きて、コーヒーを飲んで、それから外に出た”なんてことを書く作家になりたくなかった。そういうのが上手な人もいるだろうけど。現実でないことがわからないようなフィクションを書けたら、それはそれで面白いような気がしたんだ」

The Weight (Remastered 2000)

1969年にセカンド・アルバムの『The Band』の頃にはプロデューサーのジョン・サイモンが、6人目のメンバーのような存在となり、彼のホーンを加え、メンバー全員が、目まぐるしく変化する楽器を使いこなすようになった。

サザン・ロックとルーツ・ロックンロールの不思議な融合となったこのアルバムは「The Night They Drove Old Dixie Down」「King Harvest (Has Surely Come)」「Jawbone」といった名曲が収録された、事実上コンセプチュアルな作品である。ロバートソンの歌はかつてないほど鋭くなり、彼のギター・プレイは流麗で超越的で、レッド・ツェッペリンからピンク・フロイドまでが口をつぐんで立ち尽くすほどだった。それもそのはず、このアルバムもまた、彼らが描いた5つ星以上の傑作なのだ。

The Night They Drove Old Dixie Down (2019 Remix)

 

ザ・バンドの解散とスコセッシ映画

1976年、ザ・バンドの解散コンサート『The Last Waltz』がスコセッシ監督によってフィルムに収められた後、ロバートソンは1980年から『レイジング・ブル』『キング・オブ・コメディ』『ハスラー2』『ギャング・オブ・ニューヨーク』『ディパーテッド』『シャッター・アイランド』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』『沈黙 -サイレンス-』『アイリッシュマン』、そして2023年に公開となる新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』などの映画で作曲家、音楽監修者、音楽プロデューサーとしてスコセッシとともに仕事を行っている。

2020年、スコセッシが製作総指揮をし、ロバートソンと彼のグループを描いたドキュメンタリー映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』が公開された時、ロバートソンはuDiscover Musicのインタビューでこう語ってくれた。

「私はこのドキュメンタリーに満足してるってもんじゃない、本当に本当に大満足してるんだ。一般的な音楽関係者のドキュメンタリーを見ると、そのほとんどが好きになれない。どれも同じに思えてしまうんだよ。でもこの作品は実に感動的で、グループ内に確かに存在していた兄弟愛に触れることが出来るっていうのが重要ポイントになっている。私の自伝“ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春”の中でも描いているその部分が、この映画では生き生きと再現されているんだ。出来上がる過程を興奮しながら眺めていたよ。誤った解釈をされやすいこともあるけれど、このドキュメンタリーの製作スタッフと彼らの仕事は並外れていた。この魂の宿った完成作品に心から満足しているんだ」

「苦難の時期に向き合うのは、人生と向き合うようなものだ。全てが表面的なものでは済まされない。(2019年に発売したソロ・アルバム)『Sinematic』のために‘We Were Brothers’を書いている時に私が一番辛かったのは、これはザ・バンドを通じて、みんなが培った兄弟愛がどれだけの強い愛着と繋がりを伴っていたかということについての曲だったからなんだ。私たちは共に素晴らしい経験をしてきました。リヴォン、リチャード、そしてリックはもうこの世にいない。だからこそ、実在したザ・バンドの物語は心揺さぶられるものであり、とても感動的なドキュメンタリーなんだ」

Robbie Robertson – Once Were Brothers

Written By Sam Armstrong




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