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アイズレー・ブラザーズの創設メンバー、ルドルフ・アイズレーが逝去。その功績を辿る
数百万枚のセールスを記録したファミリー・グループ、アイズレー・ブラザーズ(The Isley Brothers)の創設メンバーとして知られるルドルフ・アイズレー(Rudolph Isley)が2023年10月11日に84歳で逝去した。彼の弟で、ルドルフと共にロックの殿堂入りを果たしたグループのリード・シンガー、ロナルド・アイズレーはPeople誌の取材にこう語っている。
「私の気持ちと兄への愛は言葉では言い表せません。私たち家族は彼を恋しく思うでしょう。それでも、彼が天国にいることはわかっています」
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その生涯
1939年4月1日にシンシナティで生まれたルドルフは、オハイオとケンタッキーの教会でゴスペル・カルテットとして活動を始めた。1955年、4番目の弟ヴァーノンが交通事故で悲劇的な死を遂げた翌56年4月、ルドルフ、ロナルド、そして3番目の弟であるオーケリーは、それぞれ15歳、17歳、18歳でニューヨークへと移住した。
ニューヨークで、彼らは、Teenage、Cindy、ジョージ・ゴールドナーのGone、Mark-Xといったインディー・レーベルでレコーディングを行った。1959年にRCAと契約したアイズレー・ブラザーズは、同年発表した「Shout」でグループ初のヒットを記録。1962年の「Twist And Shout」は、全米R&Bチャート2位、ポップ・チャートでもTOP20入りを果たした。この2曲のシングルは、当時台頭しつつあったイギリスのスターたちに大きな影響を与え、それぞれルルとザ・ビートルズによって後にカヴァーされている。
その後、いくつかのレーベルを経て、モータウンと契約した彼らは、「This Old Heart Of Mine (Is Weak For You)」や「I Guess I’ll Always Love You」「Take Me in Your Arms (Rock Me a Little While)」「Behind A Painted Smile」といったグループの代表的シングルを発表していく。しかし、その後はヒットに恵まれず、1968年にモータウンを離れた彼らは、ブッダ配給による自主レーベル、Tネック・レーベルを復活させた。
3兄弟全員が共作者として曲作りからプロデュースまでを行なっていたアイズレー・ブラザーズは、1969年の「It’s Your Thing」でポップ・チャート2位、R&Bチャートで4週連続1位の大ヒットを記録し、その後の20年間を代表するソウル・グループのひとつとしての地位を築き上げていく。
弟のアーニーとマーヴィン、姻戚のクリス・ジャスパーが加わり、ヴォーカル・グループからバンドへと進化した1970年代は、オリジナル曲やカヴァー曲のシングルやアルバムが大ヒットし、1975年から1980年にかけてはさらに5曲がR&Bチャート1位に輝いている。この時期、彼らはプラチナ・アルバムを連発し、1975年の『The Heat Is On』と1977年の『Go For Your Guns』の2作はダブル・プラチナを記録。
“ルディ”の愛称で親しまれていたルドルフ・アイズレーは、ゴージャスな衣装や毛皮をまとい、杖をつき、リード・ヴォーカルを務めることも多かった。1985年に彼らはワーナー・ブラザースと契約するも、翌86年、オーケリーが心臓発作により急死したことがルドルフに大きな衝撃を与え、1989年、彼は聖職に就くために音楽活動から永久に引退した。
その後もさらに評価を高めていったアイズレー・ブラザーズは、1992年にロックの殿堂入りを果たし、2004年のBETアワードでは“生涯功労賞”を受賞。この授賞式がルドルフがロナルドとアーニーと共に立った最後のステージとなった。
Written By Sam Armstrong
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