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プレスリーやニール・ダイアモンドらのドラムを務めたロン・タットが逝去。その功績を辿る
エルヴィス・プレスリーやニール・ダイアモンドら多くの大物ミュージシャンたちのバックを務めたドラマーのロン・タット(Ronnie Tutt)が83歳で逝去した。彼の妻ドナが、米メディアTMZに語ったところによると、10月16日、彼はテネシー州フランクリンの自宅で家族に見守られながら息を引き取ったという。
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エルヴィス・プレスリー・エンタープライズは、同日、公式サイトで彼の訃報を伝え、次のように追悼を捧げている
「深い悲しみに包まれています。彼は伝説的なドラマーであるだけでなく、ここグレースランドの多くの人たちにとって良き友人でした。彼の死はとても惜しまれることでしょう」
ダラス出身のロン・タットは、その60年に及ぶキャリアの中で、ビリー・ジョエル、ニール・ダイアモンド、エミルー・ハリス、ジェリー・ガルシアらと共演を果たし、彼の演奏は、ビリー・ジョエルの『Piano Man』(ビリーにとって初のヒット曲である同名のシングルを含む)、エルビス・コステロの『King of America』、グラム・パーソンズのアルバム『GP』、『Grievous Angel』など数々の名作アルバムで聴くことができる。
エルヴィス・プレスリーとの共演
ロン・タットは、エルヴィス・プレスリーのバックバンドとして知られるTBC(Taking Care of Business)バンドの一員としてギタリストのジェームズ・バートンらと共に1969年のツアーに参加し、かの有名なラスベガス公演のオープニングでも共演。英メロディ・メイカー誌に掲載された1976年のエルヴィス・プレスリーのLA公演のレビューには、TBCバンドの演奏について“機械的ではあるが見事”と評されている。
2016年に行われたオーストラリアのエルヴィス・ファンクラブとのインタビューの中で、ロン・タットは、同ツアーのオーディションでエルヴィスに実際に会うまでは“大したファンではなかった”ことを認め、こう語っている。
「彼に直接会って、彼の持つカリスマ性を理解した途端に、彼のことを愛さずにはいられなくなるんです。私たちはすぐに意気投合しました。視覚的にも、私たちは常にお互いを見ていました」
1970年代半ば、エルヴィス・プレスリーとの共演を続ける傍ら、ジェリー・ガルシア・バンドと共にツアーに同行するようになったロン・タットは、1978年の『Cats Under The Stars』をはじめとする彼のスタジオ録音にも参加。2017年のローリング・ストーン誌のインタビューで、彼はこの2つのバンドの美意識が対照的だったことを明かしていた。
「ある晩、ラスベガスでラインストーンをあしらったセットアップを着ていたかと思えば、翌日の夜にはタイダイのTシャツとジーンズ姿でガルシアと出かけていたから、いつもそんな自分が可笑しかったです。社会的に見ても、全くの別世界でしたね」
「エルヴィスの音楽は、より挑戦的で、どんな演奏も事足りないんです。一方でジェリーとは、実際にそんな話をしたことはありませんでしたが、どんな構成であっても、私の役割はバンドのまとめ役だと思っていました」
ロン・タットは、1977年にエルヴィス・プレスリーが亡くなるまで彼との仕事を続け、その後何年にもわたってTCBバンドのメンバーと共演を果たした。また、ジョニー・キャッシュ、ケニー・ロジャース、グレン・キャンベル、ロイ・オービソン他多くのアーティストのライヴに参加している。
彼の妻ドナはTMZの取材に、彼は晩年、心臓病を患い、もうドラムを叩くことができなかったことを明かしている。
Written By Tim Peacock
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