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偉大な歌手、ピアニスト、教育者のロバータ・フラックが88歳で逝去。その功績を辿る

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Photo: Michael Putland/Getty Images

歌手、ピアニスト、教育者として活躍したロバータ・フラック(Roberta Flack)が88歳で逝去した。公式声明によると、彼女は家族に見守られながら、安らかに息を引き取ったという。

ロバータは2022年にALS(筋萎縮性側索硬化症、ルー・ゲーリック病とも呼ばれる)と診断され、公の場での演奏活動から引退していた。

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Roberta Flack – Killing Me Softly With His Song (Official Video)

 

音楽との出会いとキャリアの始まり

1937年2月10日、ノースカロライナ州ブラックマウンテンでロバータ・クレオパトラ・フラックとして生まれた彼女は、音楽愛好家の両親のもと、バージニア州アーリントンで音楽に親しみながら育った。彼女の父親は、ジャンクヤードで見つけた古いピアノを修復し、緑色に塗って彼女に贈った。

「これが私の最初のピアノであり、若い頃に表現力やインスピレーションを見つけるきっかけとなりました」

と、ロバータは2021年のインタビューで語っている。幼少期からクラシック音楽を学び、地元の教会でピアノを演奏するようになった彼女は、バプテスト教会でマヘリア・ジャクソンやサム・クックといった伝説的なアーティストのゴスペルに触れ、音楽の幅を広げていった。

 

音楽キャリアの飛躍

ハワード大学で音楽教育を学んだロバータ・フラックは、卒業後ワシントンD.C.で教師として働く傍ら、夜や週末にナイトクラブでバックシンガーやスタンダード・ナンバーを歌う歌手として出演するようになる。彼女の才能は1960年代後半、彼女のソロ・ライヴを目撃したジャズ・ミュージシャンのレス・マッキャンによって見出され、アトランティック・レコードのオーディションを受ける機会を得た。こうして彼女は、1969年にデビュー・アルバム『First Take』をリリースする。

このアルバムのライナーノーツの中で、レス・マッキャンは「フラックの声は、私が知るあらゆる感情に触れ、揺さぶり、捉え、突き動かした」と絶賛。クラシック音楽のバックグラウンドを持つロバータのピアノ演奏は、ソウルやジャズ、フォークの要素を融合させた独自の音楽スタイルを生み出し、その力強い歌声はすべての楽曲に深い響きをもたらした。

Compared to What

 

世界的スターへの道

ロバータ・フラックが一躍スターダムにのし上がったのは、1971年にクリント・イーストウッド監督によるサイコスリラー映画『恐怖のメロディ』のラブシーンで、彼女の楽曲「The First Time I Ever Saw Your Face」が起用されたことがきっかけだった。

同曲は6週連続で全米1位を獲得し、1972年の全米ビルボード年間チャートで1位、さらに翌73年のグラミー賞で“最優秀レコード賞”に輝いた。

The First Time Ever I Saw Your Face

1970年代初頭からは、ハワード大学時代の同級生であるドニー・ハサウェイとタッグを組み、グラミー賞“最優秀ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンス賞”を受賞した「Where Is the Love」をはじめとするヒット曲を共作した。

さらに、彼女の代表曲として知られる1973年発表の「Killing Me Softly With His Song」は、グラミー賞“最優秀レコード賞”と“最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞”を受賞。この楽曲は1990年代にフージーズによってカヴァーされ、再びグラミー賞を受賞した。彼女はまた、1975年のアルバム『Feel Like Makin’ Love』のタイトル曲でも全米No.1を獲得している。

Feel Like Makin' Love (2006 Remaster)

 

社会活動と後年の歩み

ロバータ・フラックは音楽活動だけでなく、公民権運動にも積極的に関わり、ジェシー・ジャクソンやアンジェラ・デイヴィスとも親交を持った。彼女は、メジャーリーグ初の黒人選手、ジャッキー・ロビンソンの葬儀で歌を捧げたほか、フェミニズムをテーマにした子供向けTV特番『Free to Be…You and Me』で若き日のマイケル・ジャクソンと共演するなど、社会的なメッセージを発信し続けた。アンジェラ・デイヴィスはかつて、ロバータの持つ“優しく包み込むような歌声”について、プロテスト・ソングという観点からこう語っていた。

「私たちの運動には、自分たちが正しい道を進んでいると確信させ、さらに前進するための力強い歌が必要でした。それらの歌は運動のサウンドトラックとして組み込まれる。そして、変革は人々の感情が揺れ動いたときにこそ起きる。心から主体的に関わり始めたときにこそ、真の変化が生まれるのです。ロバータは、私たちにある種の内省のための時間をもたらし、考え、想像するための空間を提供してくれました」

彼女は、2006年にNYブロンクスの恵まれない子供たちに無償で音楽教育を提供する「ロバータ・フラック音楽学校」を共同設立。2010年には音楽教育と動物福祉の支援活動を行う「ロバータ・フラック財団」を設立した。

 

晩年と音楽界への功績

2012年、彼女はザ・ビートルズの楽曲を再解釈したキャリア最後のアルバム『Let It Be Roberta』をリリース。2020年には、第62回グラミー賞でグラミー賞 特別功労賞生涯業績賞 (Grammy Lifetime Achievement Award)を受賞したほか、2023年5月13日にはバークリー音楽大学から名誉博士号を授与されている。

Let It Be Me

Written By Sam Armstrong



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