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数々のヒット曲を手がけた名プロデューサー、リチャード・ペリーが82歳で逝去。その功績を辿る
カーリー・サイモンの「You’re So Vain」やポインター・シスターズの「I’m So Excited」など、数々のヒット曲を手がけた名プロデューサー、リチャード・ペリー(Richard Perry)が82歳で逝去した。彼の友人であるダフナ・カストナー・カイテルによると、リチャード・ペリーは心停止を起こし、ロサンゼルスの病院で息を引き取ったいう。
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その生涯
ブルックリン出身のリチャード・ペリーは、ピアノやギター、オーボエ、ベースなどを通じてクラシック音楽を学び、ドゥーワップ・グループ、ザ・エスコーツのシンガーとしてコーラル・レコードと契約したことをきっかけに音楽業界に足を踏み入れた。1960年代後半からはプロデュース業に専念し、キャリアを築いていった。
彼のキャリア初期の作品には、タイニー・ティムの1968年のデビュー・アルバム『God Bless Tiny Tim』があり、そこから自身初の全米TOP20ヒット「Tip-Toe Thru’ the Tulips With Me」が生まれた。また同年、ファッツ・ドミノの復帰作『Fats Is Back』なども手掛けている。
1970年代初頭までに、彼はすでに多くのヒットを手掛けるプロデューサーとして名を馳せ、リンゴ・スター、ハリー・ニルソン、バーブラ・ストライサンドなど多くのアーティストと共に仕事をした。バーブラ・ストライサンドは2023年の回想録『My Name is Barbra』の中で、「リチャードには、適切な曲を適切なアーティストに結びつける才能があった」と記している。
彼はまた、カーリー・サイモンのために、彼女の代表曲となった「You’re So Vain」を収録した1972年の『No Secrets』をプロデュース。彼は理想のサウンドを見つけるためにドラマーを3人変え、最終的に満足いくまで100テイクを録音した。
1978年、リチャード・ペリーは自身のレーベル“プラネット・レコード”を設立し、ポインター・シスターズを契約。彼女たちのヒット曲「I’m So Excited」、「Jump (For My Love)」、「Neutron Dance」をプロデュースした。
リチャード・ペリーは2015年にグラミー理事会賞(Trustees Award)を受賞。また、2020年には回想録『Cloud Nine: Memoirs of a Record Producer』を執筆している。
1985年のMusician誌のインタビューで、彼はこう語っていた。
「私はアーティストを可能な限り最高で最大の存在にすることを目指してきました。プロデューサーの仕事とは、アーティストが誰かのリビングルームに現れるかのような、最も素晴らしく魅力的なパフォーマンスとして形作ることだと考えています」
Written By Hannah Zwick