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パーラメント・ファンカデリックのメンバー、ファジー・ハスキンスが逝去。その功績を辿る
元パーラメント・ファンカデリックのシンガー、クレランス・”ファジー”・ハスキンス(Clarence “Fuzzy” Haskins)2023年3月17日に81歳で逝去した。この訃報は、元バンドメイトのブーツィー・コリンズとジョージ・クリントンによって報じられた。
ブーツィー・コリンズはこうSNSに投稿している、
「クレランス・”ファジー”・ハスキンスの家族と友人に祈りを捧げます。我々は今日、彼の周波数を失ってしまいました……私の友人、バンドメイト、そして魂の兄弟だった君がいなくて寂しくなるよ。生意気な若いときの私を導いてくれたあなたに感謝します」
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その生涯
ハスキンスは、ジョージ・クリントンによるグループ、ザ・パーラメンツ(The Parliaments)の初期メンバーで、バンドがパーラメント(Parliament)になった時も、ジョージがよりファンクに特化したファンカデリックを結成した時も、バンドに欠かせない存在となった。
ハスキンスはグループを脱退して、ソロ活動を始めた。1976年、デトロイトのWestboundレーベルから、Pファンクのメンバーをバックミュージシャンに迎えたアルバム『A Whole Nother Thing』を発表。その2年後に『Radio Active』をリリースした。この2つのプロジェクトは、ファンク・ミュージックの歴史に残るカルト・クラシックとして有名になっている。
「I Get a Thing」や「I Wanna Know if It’s Good to You」など、ファンカデリックの名曲の数々を作曲したハスキンスは、やがて教会の伝道師になり、時折音楽活動を再開してゴスペル作品をリリース。1997年にパーラメント・ファンカデリックのメンバーとしてロックの殿堂入りを果たし、2019年にはグラミー生涯功労賞を受賞している。
2017年の回顧録『Brothas Be, Yo Like George, Ain’t That Funkin’ Kinda Hard On You?』にて、ジョージ・クリントンはハスキンスについてこういった表現がなされていた。
「タバコはシンボルとしてクールで、ちょっと危険で、ちょっとアダルトで、そして(タバコの銘柄)パーラメントは大きなブランドだと思っていたから、俺たちはザ・パーラメンツになったんだ。最初の1、2年はメンバーが入れ替わり、ある者は去り、ある者は入ってきたが、すぐに俺、カルヴィン・サイモン、グラディ・トーマス、ファジー・ハスキンス、レイ・デイヴィスという安定した顔ぶれになった」
「俺たちは全員が異色なスタイルを持っていた。俺はスモーキー・ロビンソンのような感じで、プーキー・ハドソンも少し入っていた。セカンドリードのファジーはソウルフルなテナーで、ウィルソン・ピケットのようなブルージーな抑揚があり、ラフな感じだった。俺たちは、地元で真剣に歌い始め、その結果、他の有名なグループの注目を集めることになったんだ」
生前ハスキンスはパーラメントでの役割についてこう振り返っている。
「僕らが一緒になったのは、まさに運命だったんだ…たくさんの喜び、たくさんの楽しみがあったよ。挫折や問題もあったけど、楽しかった。それこそが僕たちがやりたかったことなんだ。多くの人が“俺はどうしたらいいんだろう?って思っているよね。僕のように何もしようとしないで、自分のやることをやり続けるんだ。疑問を持ち続けるんだ…僕達は今を生きているんだから」
Written By Sam Armstrong
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