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マーヴェレッツ創設メンバー、キャサリン・アンダーソン=シャフナーが逝去
60年代にモータウンを支えた人気女性グループ、マーヴェレッツ(The Marvelettes)の共同創設メンバーであるキャサリン・アンダーソン=シャフナー(Katherine Anderson-Schaffner)が2023年9月20日に79歳で逝去した。
マーヴェレッツは、1961年末に不朽の名曲「Please Mr. Postman」でモータウン初のポップ・チャート1位を獲得し、1962年の「Playboy」、1966年の「Don’t Mess With Bill」で再びポップ・チャートでトップ10入りを果たした。
グループの他の主なR&Bチャート・ヒットには「Beechwood 4-5789」(1962年)、「Someday Someway」(1962年)、「Strange I Know」(1963年)、「As Long As I Know He’s Mine」(1963年)、R&Bチャートで2位を記録した「The Hunter Gets Captured by the Game」(1967年)、「When You’re Young and in Love(1967年)」、「My Baby Must Be a Magician」(1968年)などがある。
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この訃報を伝えた彼女の娘キーシャ・シャフナーはフェイスブックに次のような追悼文を投稿している。
「ある人は彼女をキャットと呼び、またある人はシス・ガンマやママKと呼んでいましたが、私の姉妹や私はママと呼んでいました。彼女は私たちだけでなく、多くの人にとってのママでした。多くの人が家にやって来ては彼女のテーブルに座っていました。もし、椅子に座って“キャット、話があるの”なんて言おうものなら、カットも編集されない本物のカウンセリングが始まることを覚悟しなければなりませんでした。彼女はあなたが聞きたいことではなく、あなたが聞くべきことを話すつもりで臨んでいました。私の友だちに“今から家に行くね”と言われて、私が“私は家にいないわ”と言うと、“あなたのママに話があるの”と返されたのを覚えています。私の返事はいつも、“どうなるかわかっているわよね”でした。それから2時間後、カウンセリングが終わり、その子はうちの台所のテーブルでティッシュを1箱抱えていたものです。面白いのは、その友達がまたうちに戻ってくることです。キャサリン・アンダーソン=シャフナーはオリジナル・マーヴェレッツのメンバーであり、これからもそうあり続けるでしょう。彼女の音楽とレガシーは生き続けます。ですから、次回“Please Mr.Postman”、“Don’t Mess With Bill”、“The Hunter Gets Captured By The Game”を聴く時は、ただ微笑んで“I’ll Keep Holding On(これからも続けていくわ)”と言ってください。ママ、愛してるわ。そして、そう、わかっているわ。受け入れなければならないことだって」
その生涯
1944年1月16日にミシガン州のアナーバーで生まれたキャサリン・アンダーソン=シャフナーは、デトロイト郊外のインクスター高校に通っていた頃に所属していた年長の合唱クラブでグラディス・ホートンと出会い、マーヴェレッツを結成した。ビル・ダールの著書『Motown: The Golden Years』の中で、彼女はこう述べている。
「私たちは皆、学校の聖歌隊で歌っていました。学校のタレント・ショーに向けてグループを結成したんです。皆タレント・ショーのことはみんな聞いていましたが、グラディスが他のメンバーに、グループを結成してタレント・ショーに参加することについてどう思うかと尋ねて回ったんです」
ソプラノ担当のキャサリン・アンダーソンは、当初“Casinyets”と名乗っていたグループでリード・ヴォーカルをとり、同コンテストでは4位にとどまったが、1961年の春、ブライアン・ホーランドとロバート・ベイトマンが参加したモータウンのオーディションに合格した。「Please Mr.Postman」が全米No.1に輝き、彼女たちの人生を変えた時、マーヴェレッツへと改名したグループのほとんどのメンバーはまだインクスター高校に在学していた。
その後、マーヴェレッツはメンバー交代を繰り返すもキャサリン・アンダーソンはグループに残り、スモーキー・ロビンソン、エディ・ホーランド、ノーマン・ホィットフィールドといったモータウンの重鎮たちとも仕事を共にした。
数々のヒット・シングルに加え、マーヴェレッツは1966年にリリースしたグレイテスト・ヒッツでR&Bチャートのトップ5入りを果たし、1967年にはセルフタイトルのアルバム、1968年にはアルバム『Sophisticated Soul』で高い評価を獲得していった。
1970年代に入りマーヴェレッツが解散すると、キャサリン・アンダーソンは音楽界から引退し、2度とプロとして歌うことはなかった。一方でグラディス・ホートンは、“グラディス・ホートン・オブ・ザ・マーヴェレッツ“としてツアー活動を続けていたが、モータウンがマーヴェレッツの名前の権利を失った後、その名前を買い取り、偽のマーヴェレッツで興行を行っていたラリー・マルシャークとの法的不和のため、その権利を巡り何年も争うことになった。
「マーヴェレッツはエネルギッシュなグループでした。私たちは、当時世に出ていた他のどの女性グループとも、多かれ少なかれ違っていた」とキャサリン・アンダーソンはモータウンの歴史におけるグリープの重要な貢献を誇らしげに振り返っていた。
Written By Paul Sexton
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