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フォークカントリーの名匠ジョン・プラインが新型コロナによる合併症で73歳で逝去。その半生を辿る
強く心に訴える作品でグラミー賞にも輝いたシンガーソングライターのジョン・プライン(John Prine)が新型コロナウイルスによる合併症のため2020年4月7日に、73歳で逝去したことがニューヨーク・タイムズ紙によって報じられた。
生前多くの作品を残したジョン・プラインは、4月7日、入院先のテネシー州ナッシュビルのヴァンダービルト大学医療センターで息を引き取った。先月、新型コロナウイルスを発症し同病院に入院後、集中治療室で治療を受けていたという。
その50年に及ぶキャリアの中で、フォークカントリーの名曲の数々を世に送り出したジョン・プラインは、アメリカのルーツ・ミュージックに欠かせない存在であり、評論家やボブ・ディラン、ロジャー・ウォーターズ、クリス・クリストファーソンといった多くのアーティストたちからも尊敬されていた。
ボブ・ディランは、2009年のハフィントン・ポスト紙のインタビューの中で、ジョン・プラインを自身のお気に入りのソングライターの一人として挙げ、「プラインの作品はマルセル・プルーストの実存主義そのものであり、中西部への果てしない心の旅へと誘ってくれる。そして、彼は美しい曲を書きます」と語っている。
“Fifth Peg”という名のシカゴにある小さなクラブで、クリス・クリストファーソンが初めて彼の演奏を聴いたことでその才能が“発掘”された当時、このガラガラ声のシンガーの存在はまだあまり知られていなかった。それから数週間後、彼はニューヨークの伝説的なクラブ“Bitter End”でカーリー・サイモンと共演。またその日、偶然にも客席に座っていたアトランティック・レコードの重役ジェリー・ウェクスラーが、翌日には彼と契約を交わすことになる。
ジョン・プラインは、労働者たちの日常の物語から詩を紡ぎ出すことに非凡な才能を発揮した。そのキャリアを通して、24作以上のスタジオ・アルバムとライヴ・アルバムをリリースした彼の作曲は、しばしば他のアーティストによってカヴァーされ、ボニー・レイットの「Angel From Montgomery」やジョニー・キャッシュの「Sam Stone」、ジョージ・ストレイトの「I Just Wanna Dance With You」などはヒット曲として知られている。ボニー・レイットは1992年のローリング・ストーン誌のインタビューでこう語っていた。
「彼はフォークの伝統を守る真のフォークシンガーの最高峰であり、雨のように純粋且つ真っ直ぐに、物事の核心に切り込んでいくんです」
1946年10月10日、イリノイ州シカゴ郊外の労働者階級の街、メイウッドに生まれたジョン・プラインは、カントリー・ミュージックと共に育ち、高校を卒業してからは、郵便局で2年間働いた後、陸軍に入隊し、海外へ徴兵された。除隊後は再び郵便局で働きながら、地元のクラブ“Fifth Peg”で開催されていたオープン・マイク・ナイトに出演するようになる。
とある運命的な夜に、彼のパフォーマンスを観たシカゴ・トリビューン紙の映画評論家、ロジャー・エバートが「僅かな言葉で強力なメッセージを運ぶ、歌う郵便配達人」という見出しでジョン・プラインについての初の批評記事を書き、そこから歴史が始まった。
ブルース・スプリングスティーンやトム・ペティなどがゲスト参加した1992年のアルバム『The Missing Years』で自身初のグラミー賞を受賞したジョン・プラインは、その後も2006年のアルバム『Fair and Square』で2度目のグラミー賞を受賞し、昨年12月には、生涯の功績を称える2020年の“グラミー賞特別功労賞生涯業績賞(Grammy Lifetime Achievement Award)”の受賞者に選ばれていた。
ジョン・プラインはこれまでも健康上の問題を抱えており、1998年に受けたがん手術で首の腫瘍を取り除き、2013年に肺がんの治療のために片方の肺の一部を切除していた。
彼は、1996年に結婚した妻フィオナ・ウィーラン・プラインとジョディ、ジャック、トミーの3人の息子、デイヴ、ビリーという2人の兄弟、そして3人の孫を後に残した。
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