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ジャズ界の伝説的ピアニスト、ラムゼイ・ルイスが87歳で逝去。その功績を辿る

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Ramsey Lewis - Photo: Earl Gibson III/Getty Images

シカゴが誇るジャズ界のレジェンド、ラムゼイ・ルイス(Ramsey Lewis)が87歳で逝去した。本人のFacebookによると、9月12日の朝、彼はシカゴの自宅で安らかに息を引き取ったという。彼の妻ジャン・ルイスは次のような声明を発表している。

「ラムゼイの音楽への情熱は、世界中のファンからの愛と献身によって支えられていました。彼はツアーをすること、そして多くの文化や人生の歩みから音楽を愛する人たちに出会うことを心から楽しんでいました。私たち家族は、ラムゼイの神から与えられた才能を賞賛するすべての人々と、この特別な方法でラムゼイを分かち合うことができたことを大変嬉しく思っています。皆様のご支援に感謝いたします」

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ラムゼイ・ルイスは1935年にシカゴで生まれ、カブリーニ=グリーンで育ち、これまでグラミー賞を3度受賞し、80作以上のアルバムを録音している。

ラムゼイ・ルイスは、1975年11月25日に行われたジョン・アビーによるBlues & Soul誌のインタビューに、自身の音楽キャリアをスタートしたきっかけについてこう明かしていた。

「実は、当時シカゴで有名なジャズDJだったダディ・オダリーという人のおかげで、この業界に入ることができたんです。彼はシカゴの小さなクラブで僕らのショーを観て、レナード・チェス(チェス・レコードの共同創設者)を契約を取り付けてくれたんです。当時、私たちはラムゼイ・ルイス&ザ・ジェントルメン・オブ・ジャズとして活動していました。ビジネスの掟を私たちに教えてくれたのはダディで、彼には大きな借りがあります」

ジョン・アビーは、このインタビュー記事に次のように記している。

「ラムゼイ・ルイスは10年半をチェス・レコードで過ごし、この家族経営の会社と共に、60年代に最も成功したジャズ・ミュージシャンになった。今日、人々はディスコについて語るが、ディスコが流行するずっと以前の60年代に、ラムゼイがいかに偉大で、傑出した存在であったかを知る者は少ないだろう」

1965年、ラムゼイ・ルイスは、その数ヶ月前にドビー・グレイがヒットを記録した「The In Crowd」のジャズ・インストゥルメンタル・ヴァージョンで初めて世に認められる。

The "In" Crowd (Live At The Bohemian Caverns, Washington, D.C., 1965)

「当時の私は、黒人の教会音楽をストレートなポップスに取り入れることは何ら問題ないと思っていました。当然のことながら、ジャズの純粋主義者たちはそんな私を見下していました。でも、何が良くて何が悪いかなんて、誰が決めるのでしょう。彼らはみんな、ロックをジャズ風に演奏するなんて無理だと言っていました。それでも私は自分の創造的直感を信じ続けました。そうして‘In Crowd’、‘Hang On Sloopy’、‘Hard Day’s Night’、そして最大のヒット曲となった‘Wade In The Water’が生まれたんです」

それぞれ100万枚以上の売り上げを記録し、全米レコード協会からゴールド認定を受ける成功を収めた「The In Crowd」「Hang On Sloopy」「Hard Day’s Night」といったヒット曲は、ラムゼイ・ルイスがジャズのアイデアを、ジャズ以外の音楽ファンに伝えるユニークな能力を持っていることを証明した。

彼の最も有名なアルバムの1つに、マーサ&ザ・ヴァンデラスの名曲にちなんで名付けられたライヴ・アルバム『Dancing In The Street』がある。1967年にラムゼイ・ルイス・トリオを率いて録音した、この素晴らしく親密なライヴ盤からは、「Dancing In The Street」をスタイリッシュなインストゥルメンタル・カヴァーが先行シングルとしてリリースされ、1967年9月23日に全米シングル・チャートにランクインしている。

Dancing In The Street (Live At Basin Street West / 1967)

2001年の著書『Faber Companion to 20th-Century Popular Music』の中で、フィル・ハーディとデイヴ・ラングはラムゼイ・ルイスについて次のように記している。

「ルイスはベーシストのクリーヴランド・イートンとドラマーでカリンバ(アフリカの楽器)も演奏したモーリス・ホワイトとトリオを再結成した。モーリス・ホワイトは1969年にルイスのもとを離れ、アース・ウインド&ファイアーを結成している。ルイスは、1972年までカデット・レコードに、その後はコロンビアに移籍し、精力的にレコーディングを続けた。 “Funky Serenity” (1973年)では当時の最新ヒット曲をカヴァーする方針を続け、“Solar Wind”(1974年)には、ブッカー・T&ザ・MG’sのギタリスト、スティーヴ・クロッパーが参加している。キャリア後期のアルバムで最も成功したのは、モーリス・ホワイトがプロデュースした“Sun Goddess”(1975年)である。1976年以降、ルイスはトリオのフォーマットを拡大し、フルートとクラリネットを加えた。1979年の“Legacy”ではクラシックのスタイルを追求し、1984年の“The Two of Us”は歌手のナンシー・ウィルソンを迎えてレコーディングしている。90年代にはGRPレコードに移籍し、息子のフレインとロバートと“Sky Island”(1993年)を録音した。また、ジャズのラジオやテレビ番組の司会も務めている」

ラムゼイ・ルイスは、ジョン・アビーとのインタビューで自身の持論についてこう語っていた。

「“どうしたら自分の言いたいことを言い、それを聴いてもらえるか”ということでした。60年代半ばのディスコ・ヒットも、この問いかけから生まれました。しかし、多くのミュージシャンが、観客はミュージシャンではないこと、彼らはただ楽しみたいだけだということを忘れてしまっていました。観客は秘書やトラックの運転手といった仕事をしている人たちなのだから、複雑な音楽のフレーズについて知っているわけがありません。それに、さらに重要なことは、彼らは知りたくもないということです。彼らはただ音楽を感じたいだけなんです」

Written By Sam Armstrong




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