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ジェームス・ブラウンの新ドキュメンタリーで明かされた5つの新事実

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Photo: Hulton Archive/Getty Images

”ゴッドファーザー・オブ・ソウル”と称されたジェームス・ブラウン(James Brown)は世界を変えた。彼のキャリアは、音楽、政治、文化的アイデンティティなど、様々な領域に多大な影響を与え続けている。

米時間2024年2月19日と20日、クエストラヴとミック・ジャガーらが製作総指揮を、デボラ・ライリー・ドレイパーが監督を務めたA&Eによる4部構成のドキュメンタリー・シリーズ『James Brown:Say It Loud』が全米で初放送された。本作品は、ジェームス・ブラウンの人生の頂点からどん底まで、そしてその間に起こったすべてを描いている。

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Two Night Event "James Brown: Say it Loud" Premieres 2/19 on A&E

この新たなドキュメンタリー・シリーズには、過去のアーカイヴからの目眩くパフォーマンス映像やジェームス本人による暴露的な未公開インタビューに加え、ミック・ジャガー、クエストラヴ、ブーツィー・コリンズ、LL・クール・J、チャックD、ジェームスの子供たちの最新インタビューが収められている。

さらに、この放送を記念して、1970年8月16日にマイアミのクライテリア・スタジオで、70年代から80年代にかけてのジェームス・ブラウンのバック・バンド“ザ・JBズ”の中心メンバーだったブーツィー・コリンズ、彼の弟であるキャットフィッシュ・コリンズ、“ファンキー・ドラマー”ことクライド・スタブルフィールドらと録音された新曲「We Got To Change」がリリースされた。当記事では、このドキュメンタリーで描かれた注目すべき5つの新事実を紹介しよう。

We Got To Change

 

1. ルーツは叔母が経営した売春宿での即興パフォーマンス

幼い頃に両親に捨てられたジェームスは、オーガスタにいる叔母のもとで暮らしていた。幼いジェームズの面倒を見ていた叔母は、その地で売春宿を営み、近くの陸軍訓練場キャンプ・ゴードンから常連客を集めていた。

第二次世界大戦初期、若いジェームズはそんな常連客のためにアフリカ系アメリカ人の吟遊詩人の伝統に遡るバックダンスを踊り、小遣いを稼いでいた。後に彼が成功を収めてからも変わらない彼の動きのルーツはその売春宿での即興パフォーマンスにあったのだ。

James Brown performs "Please Please Please" at the TAMI Show (Live)

 

2.「Out of Sight」は知られざるファンクの原点

ファンクを作り上げた男としてのジェームス・ブラウンの地位は否定できない。多くの人々は、1965年の「Papa’s Got a Brand New Bag」を最初のファンク・チューンとしているが、実際、この曲の核となる活気溢れるグルーヴは、彼が1964年に発表したシングル「Out of Sight」ですでに確立されていた。

「Papa’s Got A Brand New Bag」が世間に無条件に受け入れられたのに比べ、そこそこの知名度にとどまった「Out of Sight」について、クエストラヴはこう解説している。

「“Out of Sight”はジェームス・ブラウンの音楽における大きなテンポの転換を象徴している。“Out of Sight”は、よりスローで、よりしなやかで、よりセクシーで、シンコペーションの効いたグルーヴを持っていた。そして、スローなればなるほど、ファンクはより卑猥になるんだ」

James Brown performs and dances to "Out of Sight" on the TAMI Show (Live)

 

3. 公民権運動への意識を高めるきっかけとなった人物との出会い

1966年、ミシシッピ大学に入学した初めての黒人学生であったジェームズ・メレディスは、黒人の投票権獲得を求めるためにミシシッピ州を横断する「恐怖に抗する行進」を率い、その翌日に銃撃された(彼は一命を取り留め、現在も存命している)。

現地には彼のために行進を完遂しようと支援者たちが集まった。行進終了後、ジェームス・ブラウンは、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ストークリー・カーマイケル、サミー・デイヴィスJr. 、ディック・グレゴリーらと共に、トゥガルー・カレッジへと飛び、彼らの運動を後押しした。

アフリカ系アメリカ人研究の教授であるリッキー・ヴィンセント博士によれば、「ジェームス・メレディスとの出会いが、ジェームス・ブラウンの公共奉仕の意識を活性化させた」という。そのわずか2週間後、ジェームスは、1968年の歴史的な 「Say It Loud – I’m Black and I’m Proud (Part 1)」への第一歩となる「Don’t Be a Drop-Out」を録音し、音楽による最初の社会的声明を発表した。

Don't Be A Dropout

4. デヴィッド・ボウイ「Fame」への苛立ちが生んだ楽曲

デヴィッド・ボウイが1975年に発表したファンキーなヒット曲「Fame」は、ジェームス・ブラウンのサウンドを参考にしているだけでなく、この曲のリード・ギタリストで共作者のカルロス・アロマーは、60年代にジェームスと共演していた。

Fame (2016 Remaster)

今回の新ドキュメンタリーの中で、当時レコーディング・エンジニアを務めたボブ・ボスは、「彼に影響を受けた他のアーティストたちが、彼と同じようなサウンドのレコードを作り始めた時、彼は苛立ちを感じていた。“Fame”という曲は、デヴィッド・ボウイが歌うジェームス・ブラウンのレコードのようだった。彼は腹を立てて、その曲を凌駕するようなレコードを作ろうとしたんだ」と証言している。

それがジェームス・ブラウンの「Hot (I Need to Be Loved, Loved, Loved)」の起源であり、同曲は「Fame」のグルーヴをそっくり拝借し、大胆にもカルロス・アロマーの特徴的な演奏を引用している。

Hot (I Need To Be Loved, Loved, Loved, Loved)

 

5. ルチアーノ・パヴァロッティと共演時の驚きのエピソード

世界的オペラ歌手、ルチアーノ・パヴァロッティは、2002年5月28日に自身が主催したアンゴラ難民救済のためのチャリティ・コンサート“パヴァロッティ&フレンズ”にジェームス・ブラウンを招き、「It’s a Man’s Man’s World」で彼と共演を果たした。

パヴァロッティの故郷であるイタリアのモデナで開催され、グレイス・ジョーンズ、スティング、アンドレア・ボチェッリ、ルー・リードら豪華スターも出演したこの大規模な野外コンサートでジェイムス・ブラウンは、フルオーケストラを従え、ジェームスがオリジナル・パートを、パヴァロッティがオペラ的解釈で彼のパートを交互に熱唱した。

ジェームス・ブラウンの代理人であるジェフ・アレンが事前にパヴァロッティにどちらがどのパートを歌うかを決めるのかと尋ねたところ、彼は「適当にやるさ」と軽く答えたという。

Luciano Pavarotti, James Brown – It's A Man's Man's Man's World (Stereo)

Written By Jim Allen


ジェームス・ブラウン「We Got To Change」
2024年2月16日発売
Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music



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