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アニマルズのオリジナルメンバー、ヒルトン・ヴァレンタインが77歳で逝去。その功績を辿る
象徴的なヒット曲「The House of the Rising Sun(邦題:朝日のあたる家)」などに参加したのアニマルズ(The Animals)の創設メンバーで、オリジナル・ギタリストのヒルトン・ヴァレンタイン(Hilton Valentine)が2021年1月29日、77歳で逝去した。
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バンドのレーベルであるABKCO Musicは同日、ヒルトン・ヴァレンタインの訃報を次のように伝えている。
「今朝、77歳で逝去したヒルトン・ヴァレンタインのご遺族と友人の方々に心からのお悔やみを申し上げます。 アニマルズの創設メンバーで、オリジナル・ギタリストだったヴァレンタインは、ロックンロールのサウンドに今後何十年にもわたって影響を与えるであろう先駆的なプレイヤーでした」
現時点で死因は明らかにされていない。
Our deepest sympathies go out to @HiltonValentine‘s family and friends on his passing this morning, at the age of 77.A founding member and original guitarist of The Animals, Valentine was a pioneering guitar player influencing the sound of rock and roll for decades to come. pic.twitter.com/gSUyVN0WWS— ABKCO Music & Records (@ABKCO) January 29, 2021
アニマルズのシンガー、エリック・バードンは自身のソーシャルメディアで次のように追悼を捧げている。
「‘Rising Sun’のオープニングが二度と同じように聴こえることはないだろう!君はあれをただ演奏するんじゃなく、心から楽しんでいた。ヒルトンの突然の訃報に胸が張り裂ける思いです。僕らは一緒に素晴らしい時間を過ごしたね、ジョーディー・ラッド(イングランド北部のタイン川流域出身者の総称)。ノース・シールズから世界へ…ロック・イン・ピース」
1943年5月21日、ノーサンバーランド州のノース・シールズに生まれたヒルトン・ヴァレンタインは、10代の頃にスキッフル・バンド“ヘッパーズ”を結成し、同バンドはロックンロール・バンドへと進化を遂げていく。1963年、彼はエリック・バードン、ベーシストのチャス・チャンドラー、オルガン奏者のアラン・プライス、ドラマーのジョン・スティールと共にアニマルズを結成し、初代ギタリストとなる。
リズム・アンド・ブルースのカヴァーを得意とし、ブリティッシュ・インベイジョンを代表するバンドとして知られるよになったアニマルズは、1964年の夏に「The House of the Rising Sun」のヒットで全英・全米の両チャートで1位を獲得。
忘れられないイントロ
ボブ・ディランが1965年にエレクトリックに移行したきっかけの一つとされる同曲は、世界中の何百万というギタリストが何十年にもわたって親しんできたそのイントロによって、ロック史に残る名曲となった。ボブ・ディランはこの曲のカヴァーを1962年のデビュー・アルバムに収録。評論家のコリン・ラーキンは『ポピュラー音楽百科事典』の中に、「The House Of The Rising Sun」が世にもたらした目覚ましいインパクトについてまとめ、「ヒルトン・ヴァレンタインの“シンプルながら今では伝説となっているギターのイントロ”、アラン・プライスによる“オルガン演奏”、そしてエリック・バードンの“身の毛もよだつようなヴォーカル”の組み合わせが、バンドに音楽的な“不朽の名声”を与えた」と記している。
わずか2年という活動期間の中で、アニマルズのオリジナル・メンバーは、「Don’t Bring Me Down」「Don’t Let Me Be Misunderstood」「We Gotta Get Out of This Place」「It’s My Life」といったロックの名曲を次々とリリース。
エリック・バードンはギター・インターナショナル誌の取材に次のように語っている。
「ヒルトンこそが、初期のアニマルズをロックバンドへと成長させた立役者なんです。ヒルトンに出会うまでは、バンドにはまだロックの要素はなかったと思います。あの頃のヒルトンはロックンロールを演奏していただけでなく、ロックンロールを身に纏っていました。脂ぎったモップのような髪を後ろに撫で上げ、安っぽい革のジャケットを着て、先の長くとがった靴と黒いジーンズを履いて、エコープレックスを使い笑顔で弾いている男がそこにいました」
アラン・プライスが語るヒルトン・ヴァレンタイン像
1964年8月のレイヴ・マガジンに掲載された、アラン・プライスがアニマルズのメンバーについて説明する陽気なインタビュー記事の中で、ヒルトン・ヴァレンタインについては次のように述べていた。
「彼は華奢で少しひ弱で、笑うのが好きです。よく体が震わせながら笑っています。もう少し健康的に日焼けした方がいいのかもしれない。ステージでは、バンドがノッていると感じると彼も興奮して、床を激しく踏み鳴らすんです。ギターの上で頭をかがめて、トランス状態のように揺れる。女の子たちはそれに大喜びするんだけど、正直言って彼には聞こえていないと思います」
1966年にアニマルズは解散し、1975年と1983年一時的にオリジナル・メンバーで再結成を果たしているが、ヒルトン・ヴァレンタインは2001年までアニマルズから派生した独自のバンドを率いた。1994年にはアニマルズのオリジナル・メンバーと共にロックンロールの殿堂入りを果たしている。
ABKCO Musicの声明は次のように続く。
「近年、コネチカット州に住んでいたヒルトン・バレンタインは、スキッフルに立ち戻り結成したスキッフルドッグというバンドでアメリカとイギリスでツアーを行い、2作のアルバムをリリースしています。彼はまた、親交のあった偉大なガレージバンド、ザ・ウォグルズやザ・ヘッドレス・ホースメンのステージにも出演していました。2011年にはビッグ・ボーイ・ピートとクリスマス・アルバム『Merry Skifflemas!』を録音。パッケージには“長く愛される伝統曲とオリジナルの新曲を融合したクリスマス・アルバム”と書かれています。2007年から2008年にかけては、エリック・バードンのツアーに参加し、親交を深めていました」
Written By Tim Peacock
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