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名曲「青い影」を生んだプロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカーが76歳で逝去。その功績を辿る
1960年代に結成されたロックバンド、プロコル・ハルム(Procol Harum)のフロントマン、ゲイリー・ブルッカー(Gary Brooker)が2022年2月19日に76歳で逝去したことを彼の所属レーベルが伝えた。
ロンドン生まれのゲイリー・ブルッカーは、55年もの間プロコル・ハルムを牽引し、自身がヴォーカルを務める1967年の代表曲「A Whiter Shade Of Pale」(邦題:青い影)の共作者としても知られている。2003年に大英帝国勲章(OBE)を授与され、2018年には「A Whiter Shade Of Pale」でロックの殿堂入りを果たした。
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バンドはゲイリー・ブルッカーが2月19日に癌のため自宅で亡くなったことを伝え、こう追悼を捧げている。
「どこにいても周囲を明るくし、様々な言語を話すファンに対する彼の優しさは伝説的でした。彼は、その個性と誠実さ、そして時に頑固なまでの奇抜さで知られていました。その辛辣なウィットと馬鹿げたものへの欲求は、彼を掛け替えのない語り部にしました」
ゲイリー・ブルッカーはエリック・クラプトンやリンゴ・スターともツアーを行い、ポール・マッカートニー、ビル・ワイマン、ジョージ・ハリスン、アラン・パーソンズ・プロジェクトら豪華スターたちと共演を果たしてきた。
1996年には、アラン・パーカーが監督を務めた映画『エビータ』でアルゼンチンの外務大臣フアン・アティリオ・ブラムグリア役を演じ、マドンナと共演している。
その生涯
ロンドン東部のハックニーに生まれたゲイリー・ブルッカーは、14歳の時に学校の仲間たちと結成した最初のバンド、パラマウンツで成功を収めた後、EMIレコードと契約。1964年1月に発表した彼らのデビュー・シングル「Poison Ivy」はマイナー・ヒットを記録した。1960年代初頭には、当時結成間もなかったザ・ローリング・ストーンズから支持を得て、彼らの記憶に残るライヴに何度かゲスト出演を果たしたが、その後のシングルはどれもヒットせず、パラマウンツはそのまま解散に至った。
ゲイリー・ブルッカーは、1966年にプロコル・ハルムを結成し、翌年にはバンドの代表曲となる「A Whiter Shade Of Pale」を発表。“僕たちは軽やかにファンダンゴを踊った”などというシュールな歌詞や心に強く残るオルガン・ライン、そしてバッハの「G線上のアリア」をベースにしたメランコリックなアレンジなど、異色尽くしだった「A Whiter Shade Of Pale」は、商業的に最も成功したシングルのひとつとなり、全世界で1,000万枚以上を売り上げた。
また、「A Whiter Shade Of Pale」は1977年に開催された第1回ブリット・アワードでは、クイーンの「Bohemian Rhapsody」と並んで、“ベスト・ブリティッシュ・ポップ・シングル1952-1977”を共同受賞し、2009年にはイギリスのラジオ局で過去75年間、最もオンエアされた楽曲に選ばれている。
ゲイリー・ブルッカーは、2017年のUK Music Reviewsによるインタビューの中で、この曲について次のように語っていた。
「作った瞬間から、特別な曲になるとわかっていました。誰かに聴かせる時はいつも僕のピアノ演奏だけでしたが、どの人も“これはヒットしそうだ”と言ってくれたんです。ですから、レコーディングする前からヒットになると素直に信じていました。録音して、あのとても特徴的で、忘れられないサウンドを捉えた時点で、本当に良い作品になると確信しました」
バンドはこのレコードをジミ・ヘンドリックスとのツアーで宣伝し、その後発表したシングル「Homburg」でも全英TOP10入りを果たした。
しかし、プロコル・ハルムは、「初期作品のサウンドを決して再現しようとはせず、休むことなく革新的な道を切り開くことを好んだ」と、ゲイリー・ブルッカーの訃報を伝える声明の中で述べている。
1969年のサード・アルバム『A Salty Dog』は、彼らの最高傑作として広く知られており、壮大にオーケストレーションされたプログレッシブ・ロックの時代の到来を告げた。しかし、その後バンドは度重なるメンバー変更を経て、1977年に解散。
1980年代にソロ活動を開始したゲイリー・ブルッカーは、エリック・クラプトンのライヴ・バンドとツアーを行っていたが、1991年にアルバム『The Prodigal Stranger』のためにプロコル・ハルムを再結成した。
また、彼は、「A Whiter Shade Of Pale」のオルガンのリフを書いたと主張する元バンドメンバーのマシュー・フィッシャーと、長期にわたって法廷闘争を繰り広げ、最終的に貴族院にまで持ち込まれたこの訴訟では、マシュー・フィッシャーにはこの曲の印税の分配を受ける権利があるという判決が言い渡されている。
一方、プロコル・ハルムは、新型コロナウイルスのパンデミックによって計画の保留を余儀なくされた2020年まで、最新ラインナップでレコーディングとツアー活動を続けていた。彼らは2019年にスイスでゲイリー・ブルッカーとの最後のライヴを行い、ツアーの休止期間中に3曲入りのEP「Missing Persons (Alive Forever)」を録音し、2021年5月にリリースしている。
「ゲイリーの声とピアノは、プロコルの世界を股にかけた50年間ものツアー活動において、唯一無二の存在でした。ステージでのおどけや何の仕掛けがなくても、彼は常にショーで最も注目されるミュージシャンでした。一方で、その他のすべての趣味や特技(名人級の釣り人、パブのオーナー、作詞家、画家、発明家)もありながら、何より1965年に出会い、1968年に結婚したフランキーにとっては献身的で忠実な夫でした。この非常に悲しき折に、彼女や彼の家族、そして友人たちに心からお悔やみ申し上げます」
Written By Tim Peacock
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