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エルトン・ジョン、50年前アメリカで初めてライヴを行ったトルバドゥールの想い出を語る
エルトン・ジョン(Elton John)がBBC 6 Musicのインタビューの中で、50年前の8月25日に、彼がアメリカで初めてライヴを行った有名なロサンゼルスのライヴハウス、トルバドゥール(Troubadour)がコロナウイルス危機の間も営業を続けられるように支援したことを仄かしている。彼はまた、1970年のセルフタイトルのアルバムが、今年のレコード・ストア・デイにあわせて復刻することについても言及した。
メアリー・アン・ホブスの番組のために収録されたインタビュアーのマット・エヴェリットとの会話の中で、エルトン・ジョンは次のように語っている。
「トルバドゥールが閉店するかもしれないっていう話を耳にすることがありますが、大丈夫だと思いますよ。ああいう会場は存続させなければなりません。イギリスに戻る前の春にその話を聞いて、何度か電話をしてみたんです。いくつか着手していることはあります」
「トルバドゥールは素晴らしい出発点なんです」
「あの会場がなくなってしまうなんて、考えただけでゾッとします。キャット・スティーブンスがアメリカで最初のライヴをやった時にもあの場所で観ました。あそこは素晴らしい出発点なんです。素晴らしい空間だし、雰囲気もあるし、全てが揃っています。もしトルバドゥールでうまく演奏できなければ、他の場所でも無理でしょうね」
また彼は、世界中の独立系ライブハウスが直面している財政難に触れ、とりわけロンドンのジャズの老舗である“ロニー・スコッツ・ジャズ・クラブ”について次のように述べていた。
「ロニー・スコットのオーナーの女性とは知り合いですが、彼女はきっと店を守るために奮闘するでしょうね。こういった場所を失うわけにはいかないんです。私たちはマーキー・クラブを失い、100クラブはまだありますが、新型コロナウイルスが蔓延するこの時代において維持していくのは非常に困難です」
「そういった場所を守っていくのは極めて重要なことです」
「運営にはお金がかかります。スタッフを維持することも必要です。新人アーティストのために、そういった場所を守っていくのは極めて重要なことです。絶対に必要なのです。小さなライヴハウスは音楽の生命や魂が宿る場所ですから、何らかの方法で存続させなければなりません」
また、レコード・ストア・デイにあわせてリリースされる1970年のアルバム『Elton John』の復刻盤については次のように述べている。
「もう自分のレコードは一切聴きませんね。私は、保管してある過去の作品やライヴ音源を腰を据えて編集するタイプのアーティストではありません。今回、このアルバムが再発されるのを知ってまた聴いてみました。素晴らしいし、音もすごく良かった。でも、私は過去のことよりも、未来に興味があるんです」
さらにエルトン・ジョンは、一度は売り払ってしまったレコードを今再び収集し始めたことも明かしている。
「おそらく、前に売った時よりも今の方がより多くのレコードを手に入れています。僕にとって信じられないほど大事なもので、椅子に座ってレコードを再生して、ライナーノートを読みながら、それをひっくり返している時ほど最高の時間はありません」
「私はレコードと一緒に生まれ育ったので、私にとっては良い思い出ばかりなんです。バーニーと一緒に床に寝転がって、“Sgt. Pepper”とか、60年代後半から70年代にかけての素晴らしいアルバムを聴いていたことを思い出します。そう、儀式みたいなものでね。だから、毎週ヴァイナルが入荷してくるといつもワクワクするんです。 ラドブローク・グローブにある(ウエスト・ロンドンの)ラフ・トレードからヴァイナルを買っているんですが、毎週入荷リストを送ってくれて、欲しいものには印を付けてはそこから手に入れています」
ザ・レモン・ツイッグスを聴いている
またエルトン・ジョンは、現在ターンテーブルに置いてあるレコードがザ・レモン・ツイッグスの『Songs for the General Public』であることを明かしている。「男性の2人組なんですが、僕はずっと前から彼らのファンでした。だから今日あのアルバムを手に入れて、ターンテーブルに置いてあるんです」さらに、コナン・グレイの最新シングル「Heather」についても熱く語った。
トルバドゥールのアニバーサリーに話題を移し、マット・エヴェリットがエルトン・ジョンに、彼の最初のアメリカ公演での実体験が、映画『ロケットマン』の中で描かれたものと似ていたかどうかを尋ねたところ、
「映画とほとんど同じでした。私は実際には’Crocodile Rock’を演奏していないし、浮揚することもありません。ただ、マイケル・スタイプがR.E.M.時代に言っていたように、浮揚シーンは観客を掌握しているのがわかった時の感覚に似ていて、まるで宙に浮いているかのような感じで、そういう意味ではとても正確でした」
「観客は3人組のロックンロール・バンドを観に来たわけではなかったので、僕はとても内省的なシンガーソングライターになるつもりでした。でも実際はかなり外向的なシンガーソングライターになって、ステージで演奏した曲はアルバム“Elton John”の収録曲でしたが、 レコードのヴァージョンとは違う、もっと騒々しい感じで曲にアプローチするためにオーケストラではなく3人で演奏することにしたんです。あの場所で演奏するまでに、バンドとしてよく磨きがかかっていました。かなりの数のギグをこなし、自分たちの肌にしっくり馴染んでいました。ピアノとベースとドラムのスリーピースで、ドラムのナイジェル(・オルソン)もベースのディー(・マレイ)も僕が何をしようとしているのかを直感的にわかってくれていました。お互いの心を読むかのように、即興をやったり、羽を伸ばすことができましたし、彼らはいつも僕についてきてくれました」
「彼らとは直感的にウマが合ったんです」
「スリーピース・バンドでやることで、そんな自由が与えられて、それは素晴らしいかったことの一つでした。バーニー(トーピン)が作詞家で、ディーとナイジェルがバンドメイトだったわけですが、彼らとは同じように直感的にウマが合ったんです」
彼はまた、自身最後のツアー“Farewell Yellow Brick Road”の中断についてもこう語っている。
「ツアーの半分を終えたところで、ご存知の通り(新型コロナウイルスの影響で)今は休止中で、待機しています。でも、それはみんな同じ状況ですし、私やバンドにとって苦しく、もどかしいことである以上に、クルーとして参加している人たちにとってはもっとフラストレーションが溜まることなんです。彼らはその仕事で生計を立てていますし、それが会場で働く人々やケータリングを請け負っている人たちにも波及している。誰もが(新型コロナウイルスの)影響を受けていますし、悲運にも私たちは大きな会場で演奏しているので、仕事に戻れるのは最後になるでしょう」
ただ、ツアーが再開できた暁には、「もちろん、すぐにでも戻るつもりです。時期や場所はまだわかりません。というか、どこでやるのかはわかってますが、いつになるかはわかりません。とにかくツアーには必ず戻ります」
Written By Paul Sexton
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