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ドワイト・トゥイリー・バンドのドワイト・トゥイリーが72歳で逝去。その功績を辿る

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Dwight Twilley - Photo: Paul Natkin/Getty Images

「I’m on Fire」と「Girls」などの全米トップ20ヒットで知られるタルサ出身のシンガーソングライター、ドワイト・トゥイリー(Dwight Twilley)が2023年10月18日に72歳で逝去した。ドワイト・トゥイリー・バンドのリーダーだった彼は、1970年代後半からはソロ・アーティストとしても幅広く活躍した。

この訃報は、彼の妻ヤンによって確認され、彼が長年レコーディングの拠点としていたタルサのチャーチ・スタジオから次のような声明が発表されている。

「最愛の妻ヤンと親しい友人たちに見守られながら、彼は静かにこの世を去りました。この喪失感は計り知れず、私たちの悲しみの深さは言葉では言い尽くせません。ドワイトの音楽的才能は数え切れないほどの人々の人生に触れ、多くの人々の心に忘れがたい痕跡を残しました。私たちは、彼が私たち全員に与えてくれた不朽の音楽的レガシーに深く感謝しています」

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その生涯

1951年6月6日に生まれたドワイト・トゥイリーの音楽キャリアが定着したのは、ドラマー、シンガー、ギタリストのフィル・シーモアと出会い、オイスターというバンドを結成した時のことだった。メンフィスに活動の拠点を移した2人は、ザ・ビートルズの影響をうけながら、その地に根付いていたサン・レコードのサウンドの取り入れていく。

その後はロサンゼルスへと移り、シェルター・レコードとの契約を獲得した2人は、グループ名を"ドワイト・トゥイリー・バンド”へと変更。1975年に「I’m On Fire」で全米シングル・チャート16位を記録し、翌年には『Sincerely』で全米アルバム・チャート入りを果たした。

Girls

レーベルとの法的紛争により、当初予定されていた彼らのセカンド・アルバムはシェルター・レコードからリリースされることはなかったが、アリスタに移籍後、トム・ペティのバック・ヴォーカルをフィーチャーした1977年のアルバム『Twilley Don’t Mind』で全米70位を記録。1979年にはドワイト・トゥイリーのファースト・ソロ・アルバム『Twilley』を、1982年には2作目のソロ・アルバム『Scuba Divers』をリリース。1984年には3作目のアルバム『Jungle』収録の「Girls」が全米シングル・チャートで16位に返り咲いた。

以降はメインストリームでの成功からは遠ざかっていくが、その後も彼は、2005年の『47 Moons』や2014年の『Always』といったソロ・アルバムを発表し続けた。

Tulsaworld.comによると、ブロンディのドラマー、クレム・バークは2018年のインタビューでこう語っていた。

「タルサといえば、大好きなバンドのひとつ、ドワイト・トゥイリー・バンドを思い出す。彼らは素晴らしいバンドだった」

ドワイト・トゥイリー自身は2021年にこう振り返っている。

「演奏することは、曲を完成させることとは全く違う。なぜなら、歌はどこからともなく生まれてくる。目に見えない。それはまるで魔法のようなんだ」

Written By Paul Sexton



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