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“キング・オブ・サーフ・ギター” ディック・デイルが81歳で逝去:その半生を振り返る
その独自のスタイルで“キング・オブ・サーフ・ギター”と呼ばれた草分け的ギタリスト、ディック・デイルが2019年3月16日81歳で亡くなった。“サーフ・ロック”として知られている音楽スタイルの生みの親である彼が1962年に発表した「Misirlou / ミザルー」は、発売当時は全米チャート入りすることはなかったものの、その後クエンティン・タランティーノ監督による1994年の大ヒット映画『パルプ・フィクション』のオープニング曲として起用されたことで高い評価を獲得した。
この訃報を受けて、仲間のミュージシャンたちがディック・デイルを追悼している。元R.E.M.のベーシストでマルチプレイヤーのマイク・ミルズは、自身のソーシャル・メディアにこう綴った。
「R.I.P. ディック・デイル、“キング・オブ・サーフギター”。幸運にも一度だけ彼のライヴを観ることができました。彼はギターの一番高い1弦をぶっ壊して、こう言っていたんです”この弦のゲージ(太さ)は0.16だ、0.10ぐらい細井やつじゃないんだ”って」。
ブライアン・ウィルソンもこう追悼している。「ディック・デイルの訃報を聞き、残念でなりません。ディックのギター演奏は私たちに大きな影響を与え、僕たちの1963年のアルバム“Surfin’ USA”では‘Misirlou’をカヴァーしました。ディックのご家族に神の愛と慈悲を」。
さらに現代におけるギター・ヒーロー、ジョー・ボナマッサも「本物のオリジナルであり、カリフォルニア・サーフとアメリカのアイコンであり、最上級の紳士でした」と綴った。
ディック・デイルこと本名リチャード・アンソニー・モンスールは、1937年5月4日にマサチューセッツ州のボストンに生まれた。彼が演奏した初めての楽器はピアノだったが、ハンク・ウィリアムズのファンだった彼は、ウクレレを習得し、その後リード・ギターに引き寄せられていった。時に打楽器のように激しく、時に感情豊かな、自己主張の強い彼の演奏スタイルは、次第に自身の文化的背景に由来する中東音楽の影響も受け、スタッカート・ピッキングを取り入れた非常に珍しい左利き奏法を確立する。
後にディック・デイルが自分自身を“テスト・パイロット”だったと語っていた通り、発明家のレオ・フェンダーは、自らが開発した最新の機材と史上初の100ワットのギター・アンプを実験的に彼に提供していた。デルトーン・レコードとキューピット・レコードから初期のシングルを発表後、1961年に、カルフォルニアのバルボア・ビーチにあるRendezvous Ballroomで定期開催していた“ストンプ”ショーが評判を呼び、一躍注目を集めた。
同年、デルトーン・レコードからの全2作品のうち、最初にリリースしていた「Let’s Go Trippin」で全米シングル・チャート入りを達成し、後に今作でロックの殿堂入りを果たすことになる。その他にも、名盤『King of the Surf Guitar』をリリースしたキャピトル・レコードから1963年に発表したシングル「The Scavenger」が地味ながらもチャートにエントリーしていた。
ディック・デイルの偉業について、1963年のイギリスの週刊誌“Record Mirror”の取材にピーター・ジョーンズはこう語っていた。「ディックは一流のサーファーなんだ。熟達した弓術家でもあり、優れた馬術家でもある。おまけに彼は、ギター、トランペット、トロンボーン、ピアノ、オルガン、そしてドラムも、何だって演奏できるんだ」。
1960年代半ば頃までキャピトル・レコードに在籍した彼は、エド・サリヴァン・ショーやライフ誌などに登場し、1990年代のハイ・トーン・レコードでの作品をはじめ、後年も時折レコーディングを行なっていた。1987年には、新世代のギター・ヒーロー、スティーヴィー・レイ・ヴォーンと組んで、映画『バック・トゥ・ザ・ビーチ』のサウンドトラックのためにシャンテイズのサーフ時代のインストルメンタル楽曲「Pipeline」をレコーディングした。
ディック・デイルの新世代における評価は、彼が初めてBBCラジオのDJジョン・ピールの番組でセッションを録音した90年代と同じく確立されている。2002年と2004年にはさらなるセッションが行われた。
1990年代に若い音楽ファンから支持されていた彼は、1995年のメロディ・メイカー誌の取材にこう語っていた。「今では子供達が俺のライヴを見に来るんだ。クレイジーだよ。このスキンヘッドで体中タトゥーとピアスだらけの、モータサイクル・ジャケットを着た俺のショーに、14歳の頃に自分も俺のライヴを見に行ってたからっていう大学教授が7歳の子供達を連れて来るんだ。そうしてみんなひとつ屋根の下にいる。音楽は野蛮さをなだめてくれる。獣から野蛮さを取り除いてくれるのさ」。
Written by Paul Sexton