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フリートウッド・マック初期の重要メンバー、ダニー・カーワン逝去

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Photo: Fin Costello/Redferns

初期のフリートウッド・マックのメンバーとして活躍した、ソングライターでギタリストのダニー・カーワンが亡くなったことが、 2018年6月8日、フリートウッド・マックのミック・フリートウッドによって明かされた。享年68歳、晩年は精神疾患に苦しんでいたと言われている。

フリートウッド・マックのFacebookページの投稿には、「本日は、ダニー・カーワンが英ロンドンで亡くなったという悲しいニュースをお知らせ致します。ダニーは初期の頃の僕たちにとって、とても大きな存在でした。ブルースが大好きだった彼は、1968年、その後長年に亘って彼の音楽的ホームとなるフリートウッド・マックに加入しました」

「現在50年以上も続いているフリートウッド・マックの礎を共に築いたダニーが遺してくれたものは、彼が書き上げ、演奏してきた美しい音楽の中で永遠に生き続けることでしょう。ありがとう、ダニー・カーワン、あなたのことはずっと忘れません」とある。

1968年、ダニー・カーワンがグループに加入し、彼らの代表的なインストゥルメンタル曲で世界的ヒットを記録した「Albatross(邦題:あほうどり」のレコーディングに初めて参加した時は、まだ18歳だった。その後、1972年のソロ転向による脱退までの間に、5作に及ぶフリートウッド・マックのアルバムに参加した。

フリートウッド・マックとの最初のスタジオ・アルバムは、1969年の『Then Play On』で、グループの設立者のひとりで、オリジナル・ギタリストだったピーター・グリーンとの最後の作品になった。アルバムに収録された14曲中、7曲がダニー・カーワンによるもので、早熟した才能が、グループが変幻自在に進化を遂げていく次なる局面へと導いていった。ピーター・グリーンと彼の右横にいるダニー・カーワンによる、1969年に放送された初期の代表曲「Oh Well」TVパフォーマンス映像はこちら。

FLEETWOOD MAC – Oh Well (1969 UK TV Performance) ~ HIGH QUALITY HQ ~

ライヴ盤『Blues Jam At Chess』(『Fleetwood Mac In Chicago』としても知られている)発表後には、すっかりグループに溶け込み、1970年の『Kiln House』には4曲を提供し、うち2曲が共作だった。1971年の『Future Games』はダニー・カーワンが提供した3曲のうち、叙情漂う名曲「Woman Of 1000 Year」で始まる。彼にとってフリートウッド・マックでの最後のアルバムとなった1972年の『Bare Trees』では、収録曲10曲中、タイトル・トラックと悲しげなインストゥルメンタル楽曲「Sunny Side Of Heaven」を含む5曲が彼によるものだった。

ダニー・カーワンはバンドメイトたちとは疎遠になってしまっていたが、彼のギタリスト、ヴォーカリスト、そしてソングライターとして、この時期のグループの歴史における貢献は、同じく元メンバーのボブ・ウェルチ同様に、評価に値するものである。ソロとしては、自身のレーベル”DJM Records”から3枚のアルバムを出したが、どれも商業的な成功には至らなかった。

それ以降は、彼の精神疾患が悪化し、絶望的な状態であると報道されることもあったが、1993年のインディペンデント紙の取材には「大変な時期はあったけど、今はそんなに悪くないよ」と語っていた。

1998年には、フリートウッド・マックの初期メンバーたちと共にロックの殿堂入りを果たしたが、セレモニーには出席しなかった。



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