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バズコックスのフロントマン、ピート・シェリーが63歳で急逝
パンク・ロックの先駆者、バズコックスのリード・シンガーでオリジナル・メンバーのピート・シェリーが在住していたエストニアで63歳で亡くなった。報じられているところによると、心臓発作が死因だったという。
「深い悲しみとともに、イギリスで最も大きな影響力を誇る多作なソングライターの一人であり、画期的な元祖パンク・バンド、バズコックスのオリジナル・メンバーであるピート・シェリーが亡くなったことをご報告します」と、バンドの代理人がSNSで彼の死を伝えている。
「ピートの音楽は、バンド、そしてソロ・アーティストとして活動した50年以上のキャリアを通して、世代を越えたミュージシャンたちに影響を与え、音楽業界、そして世界中のファンから非常に高く評価されてきました」。
12月6日、BBCが彼の死因について報じると、バンドは詳しい状況を記した声明を追って発表することを約束した。
1976年の結成以来、バズコックスはクラッシュやセックス・ピストルズらと共にイギリスにおけるパンク・インベイジョンを牽引する存在だった。バンドの代表曲としては、ヒットを記録した「Ever Fallen in Love (With Someone You Shouldn’t’ve)」や物議を醸した「Orgasm Addict」、「What Do I Get」などがある。猛烈なスピードで演奏される彼らの楽曲にはピート・シェリーのポップさと牙を剥くようなパンク精神とが入り混じっている。
イギリスのリーに生まれた本名ピーター・キャンベル・マクナイッシュは、シンガー、そしてソングライター兼ギタリストとして、ハワード・ディヴォートと共にバズコックスを結成。1977年にハワード・ディヴォートがポスト・パンク・バンド、マガジンを結成するためにバズコックスを去った後、彼がメイン・ソングライターとなり、バンドのリード・ヴォーカルを引き継いだ。
ピート・シェリーは、そのホモセクシュアルについての表現によりBBCが放送を禁止した1981年のヒット曲「Homosapien」などで、ソロ・アーティストとしても活動していた。1989年には、ピート・シェリー、ギタリストのスティーヴ・ディグル、ベーシストのスティーブ・ガーベイ、そしてドラマーのジョン・マーというオリジナル・メンバーでの再結成を果たし、6作ものアルバムを発表した他、2019年の6月まで日程が組まれていたツアーも定期的に開催していた。
ピート・シェリーの訃報を受けて、多くの人々がソーシャル・メディア上で、偉大なるロック・アイコンへ哀悼の意を捧げている。
セックス・ピストルズのベーシスト、グレン・マトロックはこう綴った。「ピート・シェリーの早過ぎる死の知らせを聞いて本当にショックで、悲しい。素晴らしいソングライター、アーティストで、元祖パンク・ロックを生んだ数少ないミュージシャンの一人であり、唯一無二の存在でもあった愛すべき人物でした。彼のご家族とご友人に心よりお悔やみ申し上げます」。
元ザ・シャーラタンズのメンバーで、作家でラジオDJのティム・バージェスもピート・シェリーへの哀悼の意をこう記した。
「ピート・シェリーはパーフェクトな3分間のポップ・ソングを書き、十代の若者にとってのサウンドトラックとなった。ピート、みんな君が恋しくなるが、君が遺した素晴らしい音楽と共に、ずっと君のことは忘れないよ」。
今も尚、続々とピート・シェリーの哀悼の意が綴られている。
Written by uDiscover Team
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