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ポインター・シスターズの創設メンバー、アニタ・ポインターが74歳で逝去。その功績を辿る
80年代に数々のヒットを連発し、グラミー賞にも輝いたポインター・シスターズ(Pointer Sisters)の創設メンバーであるアニタ・ポインター(Anita Pointer)が2022年12月31日、癌のため74歳で逝去した。彼女はロサンゼルスの自宅で家族に見守られながら息を引き取ったという。
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彼女の家族は次のような声明を発表している。
「アニタを失ったことに深い悲しみを感じていますが、彼女が今、娘のジェイダと姉妹のジューン&ボニーと共に安らかな時を過ごしていることが慰めになっています。天国は、アニタがいることで、より愛に満ちた美しい場所となります。彼女がいてくれたからこそ、私たち全員がこれまでずっと仲良く一緒にいられたのです。彼女の家族への愛は、私たち一人一人の中に生き続けるでしょう。この悲しみと喪失の時期に、家族のプライバシーを尊重していただくようお願い申し上げます」
その生涯
アニタ・ポインターは1948年1月23日、アーカンソー州出身の両親のもと、6人兄妹の4番目の子としてカリフォルニア州オークランドで生まれた。地元の教会の聖歌隊で歌い始めたポインター・シスターズは、1973年にセルフタイトルのファースト・アルバムをリリース。ポップ・チャートで11位を記録したヒット曲「Yes We Can Can」が収録された同アルバムはゴールドに認定された。その後、1974年のシングル「How Long (Betcha’ Got A Chick On The Side)」で全米R&Bチャート首位を獲得した。
ポインター・シスターズが全米TOP10入りを果たした7つのシングルのうち、「Fire」と「Slow Hand」の2曲が全米2位を記録。また、1973年から1991年の間に、「Automatic」、「I’m So Excited」、「Jump (For My Love)」 、ブルース・スプリングスティーンが手掛けた「 Fire」などの記憶に残るヒット曲を含む、通算30曲のシングルがR&Bチャート入りしている。
アニタの死により、グループの生存メンバーはルース・ポインターのみとなった。ジューンは2006年に、ボニーは2020年にそれぞれ亡くなっており、アニタの娘ジェイダは2003年に37歳の若さで癌で亡くなっている。ボニー・ポインターは1977年にポインター・シスターズ脱退後、モータウンとソロ契約を結び、1979年にエルジンズ「Heaven Must Have Sent You」のカヴァーで成功を収めた。
Written By Paul Sexton
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