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オルタナティブ・ヒップホップとは:定義の変遷、そして逆襲【#HIPHOP50】
1973年8月11日はクール・ハークと妹のシンディ・キャンベルが、ニューヨークのブロンクスでパーティーを開き、ヒップホップの音楽と文化が誕生した歴史上重要な日とされ、米国上院では8月11日を「ヒップホップ記念日」として制定した。
今年の50周年の日に合わせて、ライター/翻訳家の池城美菜子さんが全5回にわたってヒップホップを紐解く短期集中連載を実施。第5回は「オルタナティブ・ヒップホップ」について。
ヒップホップ生誕50周年を記念したプレイリストも公開中(Apple Music / Spotify / YouTube)。
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・【連載第④回】ヒップホップの地域分類:ウエストコーストとサウス編
・グラミー賞にてHIPHOP50周年を祝う盛大なトリビュートが披露
・50周年の年に考える、ジャマイカの影響と“パチモン”によるヒット曲
オルタナティヴ・ヒップホップの定義
50周年を迎えたヒップホップを、いくつかの角度から検証、解説するこの5回連続の短期集中連載も最終回になった。初回は大まかな時代区分、第2回目はヒップホップのメインテーマ「お金」と経済効果、第3、4回目を前後半に分けてアメリカ合衆国の4つのリージョンごとのヒップホップの特徴を見てきた。ざっくりした解説ではあるが、全体の流れを見てから地域性に着目することで、どのあたりから探せば自分の好みにたどり着けるか道標を立てたつもりだ。最終回は、2回目の「お金」と経済効果の裏側の歴史とも言える、オルタナティヴ・ヒップホップの変遷と逆襲についてまとめる。
オルタナティヴ・ロックが人気なため、日本の音楽ファンの間では、「オルタナティヴ」は響きのかっこいい言葉だと捉えられているように思う。「代わり」という訳はピンボケ気味で、「もう一つの選択肢」、「代替え」がより正確。ニュアンスとして重要なのは、王道にたいする亜流、少数派という含みもあること。民間医療とほぼ同義の代替医療はオルタナティヴ・メディシン(Alternative Medicine)、近年だと伝統的な保守派よりさらに激しい右派が「オルト・ライト(Alt-right/Alternative Right)」という肩書きを好んでいる。このように王道や主流にたいして、極端なやり方を指す場合もある。
オルタナティヴ・ロックは、20世紀はとにかくラジオ受けを狙った商業主義的なロックの向こうを張ったアーティストたちの曲の総称だった。当然、大手のレコード会社と契約をしない、インディー・ロックも含まれる。オルタナティヴ・ヒップホップも同様で、商業的に大成功したギャングスタ・ラップや、モテ自慢やお酒やドラッグで盛り上がろう、と呼びかけるパーティー・ラップ、サウスのベース・ミュージックと一線を画したもの。リリックの面だと、社会的な不公平や差別を糾弾したり、日常に密着したユーモアがあったり、母子家庭の多さの裏返しであるミソジニーが強い従来のヒップホップの視線を正したり、黒人の宗教観やアフリカ回帰など黒歴史を俯瞰した内容を取り扱っていたりもする。
重要な要素であるサンプリングもより凝っていたり、ジャズやファンク、サイケデリック・ミュージックまでを取り入れたりした折衷型の傾向が強い。アーティストとしては、東海岸だとネイティヴ・タン一派や、ピート・ロック & C.L.スムース、ブランド・ヌビアン、ジャズ・ラップをいち早く始めたディガブル・プラネッツ。西海岸だとオークランドのハイエログリフィクス一派や、南部ではテネシー州から出てきたアレステッド・デヴェロップメントや、第4回目で取り上げたアウトキャストが属するオーガナイズド・ノイズ一派も入る。
アンダーグラウンド・ヒップホップ
オルタナティヴ・ヒップホップという総称より、90年代によく聞かれたサブ・ジャンルの呼び名が、アンダーグラウンド・ヒップホップである。売れることを主眼にしたメジャーなレコード会社との契約を目標にせず、自分たちで制作、配給網を見つけて、追求したいサウンドや、リリックを表現することに主眼を置く。ニューヨークであれば、ワシントン・スクエアにあったレコード・ショップのファット・ビーツを中心にしたシーンだ。
主なファン層は、音楽好きの大学生。彼らはレコード会社のプッシュでプログラムを組む既存のラジオ局とはちがい、大学内にスタジオがあるカレッジ・ラジオを主催したり聴いたりして、自分たちで見つけたアーティストを推したのだ。学生らしく、バックパックを背負っていたため、「バックパッカーズ」という言い方もあったが、これはメディアやシーンの外側にいる人間が勝手に名付けただけであり、小ばかにした含みがあったため、当人たちは使わない。アンダーグラウンドな活動をしていたラッパーたち同様、あくまで「アンダーグラウンド・ヒップホップのファン」を自認して、誇りに思っていた。
オルタナティヴ・ヒップホップの代表的な曲、アーティストを紹介しながら歴史の流れを見てみよう。
デ・ラ・ソウル「Buddy (Native Tongue Decision)」(1989)
オルタナティヴ・ヒップホップ、という言葉が浸透する前から、地に足のついた価値観をリリックにし、ジャズを取り入れたり、子ども向けの教育ソングのパロディを作ったりして新しかったのが、ニューヨーク州ロング・アイランド出身のトリオ、デ・ラ・ソウルだ。ともすればマスキュリニティ(男性性/男らしさ)の押しつけであった主流のヒップホップとは違う、もう一つの(オルタナティヴな)形を見せてくれた。そのため、デビュー作、『3 Feet High and Rising』は国籍や人種が異なっても伝わりやすく、ヒップホップを広げるために多大な貢献をした。
ポッセ・カットであるこの曲は、彼らが属するネイティヴ・タンの面々が集結。ハウスをいち早く取り入れたジャングル・ブラザーズやア・トライブ・コールド・クエストのQティップ、モニー・ラヴ、プロデューサーのプリンス・ポールが参加。明るい曲調ながら、セーフ・セックスや自分の身体に対するセルフ・イメージなど、30年が経ったいまでも大事なトピックを扱っている。
ア・トライブ・コールド・クエスト「I Left My Wallet in El Segundo」(1992)
通称ATCQ、もしくはトライブ。オルタナティヴ・ヒップホップのおもしろいところは、アメリカ国内で「主流ではない」とされながらも、ヨーロッパやここ日本で熱烈に受け入れられたことだろう。ATCQは、センスの塊であるQティップ、高めの声で次々とパンチラインをくり出すファイフ・ドーグ、繊細なDJのアリ・シャヒード・モハマッドのトリオ。休んでいた期間の方が長い、第4のメンバーといてジャロビもいる。彼らは、90年代前半の3作でジャズを取り入れたサウンドで新しい潮流を作り出した。1998年に5枚目を出したきり、解散してしまったのも彼らの伝説に拍車をかけることになった。
ファースト・アルバム『People’s Instinctive Travels and the Paths of Rhythm』に収録されているこの曲を初めて聴いたとき、「お財布を忘れた話をしてる!」と、笑ってしまったのをいまでも覚えている。ニューヨークからカリフォルニアまでのロードトリップをして、家についた途端に財布を忘れたことに気づき、大陸の反対側にまた戻るという筋書きのビデオも新鮮だった。解散後、Qティップとアリはソロ作やさまざまなプロジェクトに参加、多くの名曲を作り続けている。
デル・ザ・ファンキー・ホモサピエン「Made In America」(1993)
東のネイティヴ・タンにたいして、西のカリフォルニア州オークランド周辺のラッパーたちが結成したハイエログリフィクスもオルタナティヴ・ヒップホップの元祖だ。中心人物、デル・ザ・ファンキー・ホモサピエンは、アイス・キューブの従兄弟。キューブのグループ、ダ・レンチ・モブでリリックを提供したところから、キャリアを始めている。
だが、ギャングスタ・ラッパーの代名詞のような従兄弟とは異なる日常を鋭く観察するラップで独自路線を切り開いた。ハイエログリフィクスには、ラッパーのカジュアル、プロデューサーのドミノ、高校在学中に注目を集めた4人組のソウルズ・オブ・ミスチーフもいる。
ソウルズ・オブ・ミスチーフは「93 ‘Til Infinity」という名曲があるので、知っている人も多いのでは。デルは2001年にゴリラズの「Clint Eastwood」で起用されるなど、業界内のファンも多い。
ザ・ファーサイド「Drop」(1995)
サウス・ロサンゼルスで結成されたザ・ファーサイドは、人を喰ったようなユーモアと、4人のそれぞれ異なる声色のかけ合い、ハーモニーが魅力。インディー・レーベルのデリシャス・ヴァイナルからリリースしたデビュー・アルバム『Bizarre Ride II The Pharcyde』(1992)はコアなファンの間で評判を呼び、日本のレコード・ショップでも大プッシュされていた。
1枚目をメインでプロデュースしていたスペイン人のJ・スウィフトと袂を分かったあと(その後、仲直りしている)、セカンド『Labcabincalifornia』の多くを手がけたのが、当時はJay-Deeと名乗っていたJ・ディラである。ちなみに、ディラを紹介したのはQティップだそう。
この「Drop」や「Runnin’」では、ディラのシグネチャー・スタイルとなる、引きずるような、ゆらぎがあるトラックがすでに聴ける。リリックの内容も、有名になったことによる弊害、ドラッグのマイナス面など精神面にフォーカスが変化している。ファーストとセカンドを聴き返すにつけ、時代の先に行きすぎていたグループだったという思いを強くする。
ブラック・スター(モス・デフ&タリブ・クウェリ)「Definition」(1998)
ヒップホップのゴールデン・エラ(黄金期)は、よく90年代の半ばまでと区切られる。その直後、有名アーティストがより商業化していく裏側で、前述のアンダーグラウンド・ヒップホップもコアなファンを多く集めて深化した。その中で特筆すべきなのがニューヨークで1996年に設立され、あっという間に人気が出たのがインディペンデント・レーベル、ロウカス・レコーズである。
ネイティヴ・タンにも加わっていたモス・デフ(現ヤシーン・ベイ)とタリブ・クウェリからなるブラック・スターが、看板アーティスト。のちに自分でレーベル、ディフィニティブ・ジャックスを始めるエル・Pのカンパニー・フロウもいた。この頃、リリックを聴き込むタイプのヒップホップ・ヘッズの間では、メジャー・レーベルのラッパーたちよりも、「本物」として支持されていた。
『Sound Bombing』などシリーズもののコンプレーション・アルバムにはすでにメジャー契約をしていたものの、モス・デフらと音楽性が近かったコモンや、イースト・コーストのヒップホップを熱心に学んでいたデビュー前のエミネムも参加していた。また、オープン・マイク・イベントの「リリシスト・ラウンジ」もロウカスとファン層が被っており、コンピで音源化された。
この「Definition」は、デビュー作『Mos Def & Talib Kweli Are Black Star』からのファースト・シングル。ブルックリンの私設バス、ダラバン(doller-van)を舞台にしたビデオには、プロデューサーのハイ・テックやコモン、デッド・プレズ、ファラオ・モンチらがカメオ出演している。
ブギー・ダウン・プロダクションの「The P Is Free」をサンプリングし、当時、業界全体がショック状態から抜け切れていなかった2パックとビギーことのトーリアスB.I.G.が命を落とした東西抗争を受け、ヒップホップにおける非暴力をテーマにしたコンシャス・ラップの曲でもある。
ロウカス・レコーズは、メディア王、ルパート・マードックの息子が買取り、多くの所属アーティストは00年代にはMCAと契約する流れになる。リリシスト・ラウンジはMTVに取り込まれて、存在意義を失った。
ポジティブな響きがあったアンダーグラウンド・ヒップホップも様相が変わり、この呼称自体、あまり耳にしなくなる。モス・デフはヤシーン・ベイに改名、タリブ・クウェリもそれぞれソロ活動を続けたのち、2022年に24年ぶりにセカンド・アルバム『No Fear of Time』をリリースした。
カニエ・ウェストfeatシリーナ・ジョンソン「All Fall Down」(2003)
音楽以外の話題をふり撒きすぎて、本業の話がおざなりになりがちなイェこと元カニエ・ウェストも、音楽性からいえばオルタナティヴ・ヒップホップのアーティストである。
2007年、50セントとカニエのそれぞれのサード・アルバム、『Curtis』と『Graduation』の発売日が重なった。初週の売れ行きを巡ってファンが騒ぎ、50セント自身が「負けたら引退する」と煽ったものの、カニエがあっさり勝つ結果に。ドクター・ドレーの秘蔵っ子、50セントはもちろん王道ヒップホップなので、この事件をもってアンダーグラウンド、傍流の意味合いが強かったオルタナティヴ・ヒップホップとの関係がひっくり返った、とよく説明される。
私はそこまで単純な話ではないと思うし、ヒップホップの多様化がより進んだだけのよう思う。「ルイ・ヴィトン・ドン」という異名をもつカニエはマテリアリズムの権化のような人であり、オルタナティヴ・ヒップホップが内包する、社会民主主義寄りの姿勢やライフスタイル、汎アフリカ主義の流れを汲む歴史観とは相容れない。だが、ヒップホップとファッションの接近に何役も買い、ヒップホップ・カルチャー全体の底上げに結果的に貢献しているのも事実だ。
マッドヴィラン「All Caps」(2004)
東の鬼才、MFドゥームと西のDJ/プロデューサー/MC、マッドリブが組んだスーパーユニットが、マッドヴィランであり、彼らが2004年に発売したアルバム『Madvillainy』はオルタナティヴ・ヒップホップの金字塔である。
KMDのメンバーとして1988年から活動しているMFドゥームは、巧みかつ意外なワードプレイが目印。ソロになってからはマーベル・コミックのドクター・ドゥームのキャラクターを拝借し、マスクを被ってステージに登場した。自分でプロデュースも手がけ、カルト的な人気を誇る。
マルチ楽器奏者であるマッドリブも、ストーン・スロウ・レコーズからリリースしたルートパックやクァジモト名義の作品で高い評価を得ていた。これらのアルバムはすべて、店員が全員DJであった前述のファット・ビーツに行くと全力で薦められたから、方向性、音楽性が近いアクトは東西でしっかりつながっていたのだ。
キッド・カディfeat. MGMT「Pursuit Of Happiness」(2009)
ラッパーとして存在そのものがオルタナティヴであるのが、キッド・カディだ。オハイオのクリーブランド出身だが、ニューヨークに出て元カニエ・ウェストのG.O.O.D Musicと契約。00年代の終わりにフックのみならず、ヴァースもほとんど歌い、自分の精神状態にフォーカスした内省的なリリックを紡いだ。
2010年代のヒップホップの流れを予言したのが、カディとドレイクのふたりである。キッド・カディはさらに既存のヒップホップと離れ、インディー・ロックやサイケデリック・ミュージックとの融合を試み、インディー・ロック・バンドWZRDを組んだ。
この曲「Pursuit Of Happiness」は「幸福の追求」というタイトルとは裏腹に、気分の落ち込みを晴らすためにドラッグに頼ってしまう弱さをテーマにしている。2018年、カニエとの『Kids See Ghosts』も、うつ病やドラッグの問題、宗教観を絡めた先進性の高いアルバムであった。キッド・カディは俳優、ファッション・モデルもこなし、自分の映像製作会社を立ち上げて次の段階に入っている。
アール・スウェットシャツfeat.タイラー・ザ・クリエイター「Whoa」(2013)
00年代後半にLAで結成されたヒップホップ・コレクティヴ、オッド・フューチャー・ウルフ・ギャング・キル・ゼム・オール(別名オッド・フーチャー、OF、OFWGKTA)はブレインチャイルドのタイラー・ザ・クリエイター、ジ・インターネットのシドとマット・マーティン(マーティンは後に脱退)、フランク・オーシャン、そしてアール・スウェットシャツたちが所属。
それぞれの2010年代の活躍をふり返るとスーパー・ユニットのように見えるが、スタート時は本気で悪ふざけをしている楽しそうな集団という印象が強かった。オルタナティヴ・ヒップホップの大事な要素として、卓越したユーモアがあり、OFは音楽の才能とともに、そちらのセンスも抜きん出ていた。
アール・スウェットシャツは、父が南アの活動家/詩人、母が有名な大学教授という出自。ラッパーとしての活動に反対していた母親との家庭内ドラマがファンに広く知られるところとなり、ネットで反対運動が起こった。考え方や方向性を共にするヒップホップ集団は、バラバラになるとそこまで売れないのが常だが、オッド・フーチャーの面々はソロになっても成功を収めている。音楽性は異なるものの、わかりやすさを追求せず、ムードや浮遊感、感情の機微を音にするのが得意な集団であるのはまちがいない。オルタナティヴ・ヒップホップがポップ化しないでも、広く聴かれるようになったのが2010年代だったともいえる。
立場の変化からプログレッシヴ・ヒップホップへ
「ヒップホップとは、既存の価値観をひっくり返す、成り上がり、下克上の文化」とこの連載の第1回目で書いた。オルタナティヴ・ヒップホップの歴史をひも解くと、主流から見て周辺に置かれていたタイプのヒップホップが30年ものあいだにほぼ同じかそれ以上の人気を誇るようになっており、ムーヴメント内で立場の変化が起きている。売れ行きだけで勝ち負けや上下は決められないので、トラップもドリルもコンシャス・ラップも偏在するのが現在のシーンなのだ。
また、第1回目で「ヒップホップ学 (Hip Hop Study)」の存在に触れた。そのなかで「プログレッシヴ・ヒップホップ (Progressive Hiphop)」という言葉が生まれ、研究が進んでいる。共通点が多いオルタナティヴ・ロックとはオルタナティヴ・ヒップホップとは異なり、サウンドの革新性が肝のプログレッシヴ・ロックとは意味合いが大きく違う。
プログレッシヴ・ヒップホップは、黒人の人々の生活感情の変化、意識の向上に目を向けたヒップホップの総称だ。オルタナティヴ・ヒップホップで挙げたほとんどのアーティストが含まれるほか、サウンドとしては主流に入るパブリック・エネミーやケンドリック・ラマーも流れに入っている。日本ではまだ紹介されていない分類だと思うので、最後に触れて本特集を締める。
Written By 池城 美菜子(noteはこちら)
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