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デフ・レパード、当時のロンドン音楽事情やガールとの想い出
ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第13回。今回は今年デジタル配信を全解禁、80年代のキャリアを振り返るボックスセットが話題のデフ・レパード。今泉さんがロンドンにいた時にまだまだ売れる前だったころ彼らとのインタビュー、事故直後のリック・アレン、そして2000年代までを振り返りながら当時のロンドンの音楽事情とフィル・コリンが在籍したガールまで、幅広いコラムとなっています。
1987年にリリースされ、世界で2,500万枚以上を売り上げたアルバム『Hysteria』。イギリス・シェフィールドで誕生した若手ロック・バンドのデフ・レパードは、前作『Pyromania』(邦題:炎のターゲット)(1983)でアメリカでも成功をステップに、4年後に『Hysteria』をリリースし、世界的なバンドへと駆け上っていきました。まさに『Hysteria』は、デフ・レパードのキャリアの中でも、重要な作品の1枚だといえます。
1977年、リック・サヴェージ、ピート・ウィリス、トニー・ケニングが結成したスクール・バンドにジョー・エリオットが加わり(元はギタリストだったらしい)、翌年スティーヴ・クラーク、トニーに代わって15歳だったリック・アレンが参加し、デフ・レパードは結成されました。
この時代は、ジューダス・プリーストが77年『Sin After Sin』(邦題;背信の門)、78年『Stained Class』と『Killing Machine』をリリースし、新人バンドによる次世代のブリティッシュ・ロックが再び注目を集めました。私は『Stained Class』でジューダスに夢中になり、初のロンドン旅行では、彼らのインディー時代のアルバム『Rocka Rolla』(1974)を探し求め、結局見つけられず缶バッジを買い、グレン・ティプトンのように両サイドの髪を赤く染めることで、アルバムを諦めました。
また、ダブルデッカーの正面に、シン・リジィの『Live and Dangerous』(78)の広告宣伝を見つけ、「2階建バスにロック・バンドの宣伝があるんだ〜」と感激したのも思い出です。もちろん、アルバムを買い、毎日のように聴きまくり「Emerald」のツイン・ギターのフレーズは今でも口真似できます。何の自慢にもなりませんが…。私と大貫憲章さんが当時担当していた(79年から)ラジオ番組「全英トップ20」の初のインタビュー・ゲストはシン・リジィのフィル・ライノットでした。その後ワイルド・ホーセス時代のブライアン・ロバートソンにインタビューした時は大興奮。彼はジャック・ダニエルズを飲んでベロベロでしたが・・・。そんな彼に、「Emerald」のライヴ・ヴァージョンが大好きだと熱弁した私でした。
常日頃、大貫さんに、「スヌーピー(*編註:今泉さんの愛称)はハード・ロックは好きだけど、ロックン・ロール音痴だよね」とよく言われていました。深くは聞かないでいただきたいのですが、ドラムがバシッバシッとしっかり叩かれ、ギターのリフがいかにもハードロックで、シャウトするヴォーカルが好きで、それでいてメロディーがあって、が好みだったわけです。仕事は大貫さん、スピリットは伊藤政則さんが師匠とでもいいましょうか?(笑)。
「全英トップ20」が始まって、毎週イギリスのヒット・チャートを紹介していた関係上、チャートインする楽曲、新人などの動きに敏感になっていたころに登場したのが、デフ・レパードやアイアン・メイデン、サクソン、サムソンでした。モーターヘッドの「Ace of Spades」も80年に15位にはいっていました。アルバムだけでなく、ハード・ロックのバンドからもシングル・ヒットが生まれた時代だったのです。
そんな新しいバンドの登場により、NWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)という言葉が誕生しました。まあ私にとってはNWOBHR(New Wave Of British Hard Rock)なんですが・・・。それから番組の中でもNWOBHMムーヴメントを紹介する機会がたくさん生まれ、ロック少女の私はロンドンで何度もNWOBHMのバンドにインタビューする機会がありました。今回の主人公デフ・レパードの初インタビューは、81年、セカンド・アルバム『High ‘n’ Dry』をリリースした時でした。
ロンドン・ハマースミス・オデオンでのライヴ開演前、会場楽屋でメンバー全員そろってのインタビューで、「俺たちはNWOBHMという枠ではない」、というニュアンスのことをメンバーは言っていました。その背景に、私のお気に入りだったシティ・ボーイというグループのプロデューサーだったロバート・ジョン・マット・ランジがアルバムを手がけたということで、ロックという観点ではないものを求めていったのかと聞いた記憶があります。もちろんマット・ランジはAC/DC、フォリーナー、ブームタウン・ラッツなども手がけていたわけですが…。その後ブライアン・アダムスもプロデュースしていますね。
記憶の糸を紐解くと、この時の訪英でガールにもインタビューしていたんです。80年『Sheer Greed』でデビュー。『Hollywood Tease』がイギリスではちょこっとヒットしましたが、ルックス抜群のロック・バンドとして、どちらかというと日本で人気がありました。そして何と言ってもこのバンドに、フィル・コリンがいたのです。写真は彼らのレーベルJetでのインタビュー後、パブの前で撮りました。インスタント・カメラなので画質が悪いのですが、なぜか大事に持っていました。無くなった写真が多いのに…。ご存知のようにヴォーカルはフィリップ・ルイスです。
ジェリー・ラフィーはその後ジョン・テイラーのテロリステンのメンバーとして来日。私はマネージャーとして仕事を共にし、台湾ツアーにも行きましたっけ。フィルはガールに加入前はダム・ブロンズというバンドにいて、そこのドラマーだったグラハム・ギャレットはその後パナッシュに参加し、今はミシュラン・スター・シェフでケントにオーナー・レストランを開いています。グラハムは音楽業界を離れましたが、フィルとは今でもよく会っているようです。ガールから派生するファミリー・ツリーは面白いです。バンドとしては日の目を見ることはありませんでしたが、ガール周りをステップにみんな成功しているんですよね。
今回は脱線が多くてごめんなさい。デフ・レパードに戻ります。1982年解雇されたピートに変わり、フィル・コリンが参加。ちなみにガールのフィリップ・ルイスはLAガンズに参加しています。フィルは、3枚目のアルバム『Pyromania』リリース前の参加ではありましたが、ギターはスティーヴとピートが弾いているので、このアルバムが世界的なヒットになった時に、フィルにはロイヤリティが入るのかどうか余計な御世話で心配したものです。デフ・レパードは『Pyromania』での成功を受け、NWOBHMの枠を大きく超えたスタジアム級のバンドへと成長していきました。
そして1984年、ダブリンにベースを移したバンドは、4枚目のアルバム『Hysteria』にとりかかるのですが、その年の12月31日、リック・アレンが交通事故で左腕を切断といったショッキングなニュースが入ってきます。不屈の精神で立ち直ったリックは特注のドラムセットで、1986年のモンスターズ・オブ・ロックで復帰。バンドはリックの試練を全員で乗り超え『Hysteria』をリリースします。このリリース前後ですが、ロンドン(だったと思います)でインタビューしたのがリックでした。
普通ならインタビューは避けたいでしょうに、彼は元気よく、堂々と現れました。その姿だけでも胸がキュンとしたものです。初めてインタビューした時は18歳のリックでしたが、その時は25歳になっていました。やっと世界へと羽ばたいていった時の事故、それもドラマーとしての生命も危ぶまれた彼が、どんな精神力をもって復活することができたのか…正直、事故のことなどを深く触れることは避け、未来へのバンドの方向性にしぼって聞いたと思います。特に周りから、質問の制限は受けていなかっただけに、質問に対しても自分なりに納得いくものにしたいと考えました。
その後スティーヴ・クラークが亡くなるといった悲劇がバンドを襲いましたが、デフ・レパードは歩みを止めることなく、走り続けてきました。インタビューは、『Hysteria』以降、92年『Adrenalize』でジョーとリック・サヴェージ、99年『Euphoria』、2002年『X』でジョーにインタビューしています。正直、まったく覚えていないのだけど、当時番組ディレクターの山川たか子さんの写真に日付が入っていたことで判明しました。ポラロイドの写真は2002年の時のものです。写真はちゃんと日付と感想もいれて保管しなくてはいけませんね、と再度反省!
今年は『Hysteria』再現ツアーでの来日公演が決定しています。10月24日は3年振りの日本武道館でのコンサートということで、かなりの盛り上がりをみせそうです。
デフ・レパード来日公演決定
『Hysteria』の全曲再現ライヴ「HYSTERIA & MORE」での来日公演決定!
東京:2018年10月24日(水) 18:00 open/19:00 start 日本武道館
大阪:2018年10月26日(金) 18:00 open/19:00 start Zepp Namba
名古屋:2018年10月29日(月) 18:00 open/19:00 start Zepp Nagoya
詳細はこちら
http://udo.jp/concert/DefLeppard/article/323
デフ・レパード『The CD Box Set: Volume One』
2018年6月1日発売
価格:13,000円+税/品番:UICY-78594
CD7枚組、40ページの豪華ブックレット付
<日本盤のみ>SHM-CD仕様、解説:伊藤政則/英文ライナー翻訳付/歌詞対訳付
デフ・レパード『The Vinyl Box Set: Volume One』
2018年6月1日発売
8LP + 7”ボックス・セット:輸入盤
- デフ・レパード アーティストサイト
- デフ・レパードの20曲:悲劇や困難を乗り越えながら
- 『Pyromania』がいかにしてアメリカに火をつけたか
- デフ・レパードの全作品がデジタル配信解禁
- デフ・レパード関連記事
連載『今泉圭姫子のThrow Back to the Future』 バックナンバー
- 第1回 :U2『The Joshua Tree』
- 第2回 :バグルス『ラジオ・スターの悲劇』
- 第3回 :ジャパン『Tin Drum』(邦題:錻力の太鼓)
- 第4回 :クイーンとの出会い…
- 第5回:クイーン『世界に捧ぐ』
- 第6回:フレディ・マーキュリーの命日に…
- 第7回:”18 til I Die” ブライアン・アダムスのと想い出
- 第8回:ロキシー・ミュージックとブライアン・フェリー
- 第9回:ヴァレンシアとマイケル・モンロー
- 第10回:ディスコのミュージシャン達
- 第11回:「レディ・プレイヤー1」出演俳優、森崎ウィンさんインタビュー
- 第12回:ガンズ、伝説のマーキーとモンスターズ・オブ・ロックでのライブ
ラジオDJ、音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。
HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」