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スパイク・リー監督『ザ・ファイブ・ブラッズ』の音楽:マーヴィン・ゲイの名盤『What’s Going On』が使われた意図とは?
2020年6月12日に日本を含む全世界のNETFLIXで独占公開されたスパイク・リー(Spike Lee)が監督した映画『ザ・ファイブ・ブラッズ(原題:Da 5 Bloods)』。埋蔵金と戦死した隊長の亡骸を探しにベトナムを再び訪れた4人の元軍人を描くこの映画では、音楽、とくにマーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)のアルバム『What’s Going On』の楽曲が印象的に使用されています。なぜマーヴィン・ゲイが使われたのか?その意図とは? 音楽ライターの林 剛さんに解説頂きました。
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(本記事には一部映画本編のネタバレがありますので、ご注意ください)
スパイク・リー監督最新作
今年5月にミネアポリスで起きた事件や暴動を受けて、人種間対立をテーマにしたスパイク・リー監督の映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年)が“今観るべき映画”にリストアップされたことには少々複雑な気持ちになった。が、こういう時にスパイク・リーの映画があるのは頼もしい。伝記映画『マルコムX』(1992年)、ワシントンDCでの100万人大行進に向かう道中を描いた『ゲット・オン・ザ・バス』(1996年)などを製作し、近年もKKKに潜入した黒人刑事の実話を映画化した『ブラック・クランズマン』(2018年)で痛快に人種問題に斬り込んでいたスパイク・リー。そんな彼の新作『ザ・ファイブ・ブラッズ』がNetflixにて6月から公開されている。
冷戦期の米ソによる代理戦争で、1975年4月のサイゴン陥落まで20年近くに及んだベトナム戦争。その最前線で戦ったファイブ・ブラッズ、つまり黒人として血を分け合い、血の惨劇を目の当たりにした“5人のブラザーたち”の物語。戦地で殉職した隊長のノーマンを除く4人の退役軍人、ポール、オーティス、エディ、メルヴィンが数十年の時を経てベトナムを再訪し、ポールの息子デヴィッド(劇中で彼はスパイク・リーの母校、モアハウス大学「MOREHOUSE」の文字が入ったキャップやTシャツを着用)を加えてノーマンの亡骸と埋蔵金を取り戻す慰霊の旅を描いていく。
金塊探しというエンタメ要素も交えつつ、戦争によるトラウマから抜けきれない黒人たちとその背景に踏み込んだリーらしい鋭い描写。ベトナム戦争をテーマにした映画は過去にもあるが、黒人兵士の視点から描いたのは珍しい。奇しくも「ブラック・ライヴス・マター」が再び叫ばれる中、紆余曲折はあったが、予め準備されていたかのようなタイミングでの公開とは、リーはやはり運を持っている。
そんな映画でキーとなるのが、マーヴィン・ゲイの代表作にしてソウル・ミュージック永遠の名盤とされる『What’s Going On』である。モータウンのアルバムとして初めて歌詞やミュージシャンのクレジットを載せ、1枚組のLPとしては初めて見開きのゲートフォールド・ジャケットを採用したことでも知られている。
『ザ・ファイブ・ブラッズ』と『What’s Going On』
発売は1971年5月21日。まさにベトナム戦争の最中に制作され、戦争によって混乱し、不安に覆われる当時のアメリカ社会を環境問題などに触れつつ歌い上げたコンセプト・アルバムだ。映画『ザ・ファイブ・ブラッズ』ではこのアルバムが物語の展開に沿ったサウンドトラックとなり、全9曲中6曲が使われるか、もしくはキャストによって歌われる。マーヴィンの音楽を映画に当てはめたというよりは、『What’s Going On』をもとに映画を作り上げたような趣。ノーマン隊長の命日が1971年12月7日であることも、本アルバムの曲が劇中で流れることに説得力をもたらしている。
徴兵を拒否したモハメド・アリのインタヴューで幕を開けるオープニングのシーンで流れるのは「Inner City Blues (Make Me Wanna Holler)」。当時の映像や写真を映す中で「宇宙開発より貧民救済を」という字幕も出るが、『What’s Going On』のクロージング・ナンバーだったこの曲で歌われているのも、税金が無駄に使われ、国を動かす連中に人生を左右され、しまいには戦争に駆り出される…という怒りや失望感だ。現代に置き換えればチャイルディッシュ・ガンビーノの「This Is America」にも通じるプロテスト・ソング。そうした曲をマーヴィン・ゲイが歌うようになったのは、反戦を訴えたアルバムのタイトル・ソング「What’s Going On」からだった。なぜ、こんな曲を歌ったのか。諸説あるが、簡単に背景を説明しよう。
アイドルから脱却と『What’s Going On』の背景
1960年代にモータウンから多くのヒットを飛ばしていたマーヴィン・ゲイはセックス・シンボルであり、女性に人気のアイドルだった。しかし、デュエット・パートナーとして抜群の相性だったタミー・テレルが脳腫瘍に冒され(1970年3月に他界)、意気消沈して引きこもりに。モータウンの社長、ベリー・ゴーディJr.の姉である妻アンナとの結婚生活も破綻し、国税庁からは税金支払いを催促され、モータウンからはヒットを出せというプレッシャーをかけられていた。
同時に彼はモータウンで専属のソングライターが書いた曲を歌うだけの操り人形から脱却し、自分が思ったことを口にしたいと思い始めていた。その変化は、顎髭を蓄えた風貌にも現れ始める。ちょうど同じ思いを抱えていたスティーヴィー・ワンダーがプロデュース権の獲得を条件にモータウンと契約更新の準備をしていた頃。マーヴィンはプロデュース権を手に入れてオリジナルズに楽曲提供するなどし、アイドルからアーティストへと新しい道を歩み始める。
一方、マーヴィンとは別に、モータウンのソングライター、アル・クリーヴランドがフォー・トップスのレナルド“オービー”ベンソンの自宅を訪ね、人種差別への抗議や反戦デモなど、60年代後半の社会情勢について話し合っていた。そのうちオービーがアコースティック・ギターで幻想的なメロディを弾き始め、とある曲のデモが完成(※ネルソン・ジョージ著『モータウン・ミュージック』を参照)。
オービーはフォー・トップスで歌おうとメンバーに持ちかけるが、「政治的すぎる」との理由で却下。それがマーヴィンのもとに渡る。同じ頃、マーヴィンはアルバム『That’s The Way Love Is』(1969年)にてディオンの「Abraham,Martin And John」をカヴァーしていた(ミラクルズもカヴァー)。エイブラハム・リンカーン、マーティン・ルーサー・キング、ジョン・F・ケネディという黒人解放~公民権運動に尽力した3人へのトリビュート・ソング。この頃からラヴ・ソングではない曲を歌いたいと思っていたのだろう。
アルとオービーのデモを聴いたマーヴィンは当初乗り気でなかったというが、ベトナム戦争に駆り出された弟フランキーの戦地での体験に心を動かされ、故郷のDCで反戦デモの逮捕者が出たことなども受けて、原曲の歌詞を変えて曲の制作に取り掛かる。「あまりにも多くのブラザーが戦争で命を落としている。戦争なんて無意味だ」そんなメッセージを込めて歌い上げたのが「What’s Going On」だった。映画で、兵士たちの厭戦ムードを煽る北ベトナムの女性アナウンサー、ハノイ・ハンナが「米国人口における黒人の割合は11%なのに、ベトナムに派遣された黒人兵は32%にも及ぶ」と話すように、多くの黒人が戦地に送り込まれ、命が軽んじられていた。
レスター・ヤングのレコードにヒントを得たというイントロのサックスをはじめ、メロウでリラックスしたサウンドに「いったいどうなっているんだ(What’s Going On)」と怒りを秘めながらも優しく問いかけるように進行していく「What’s Going On」。この曲は2001年の911同時多発テロの時など、アメリカでは有事の際に使われ、歌われることが多い。2016年には発売45周年を記念してマーヴィンのスピリットを受け継ぐBJ・ザ・シカゴ・キッドとの擬似デュエット・ヴァージョンが出され、2019年には初のオフィシャル・ヴィデオも作られた。
今では普遍的なメッセージ・ソングとなったが、それをリーは、マーヴィンが弟フランキーのベトナム戦争体験をもとに書いた原曲のコンセプトのまま映画で引用している。ここまでストレートな使い方は珍しい。ただし、劇中で流れるのはマーヴィンのヴォーカル・パートのみの無伴奏ヴァージョン。金塊と遺骨を探し当てた後、メンバーのもとを離れてひとりジャンルグルを彷徨うポールの嘆きや叫びを代弁するかのように、マーヴィンの声が流される。
ちなみに、映画の序盤、エディと再会したメルヴィン開口一番の台詞にも「What’s going on」が出てくる。そもそもマーヴィンがタイトルを思いついたのは、ゴルフに行った時に仲間から「What’s going on?(調子はどう?)」と言われたことがきっかけだったようで、そんな経緯を踏まえてのメルヴィンの台詞だとしたら、なんと粋なことか。ついでに言えば、アルバム・ヴァージョンのイントロに配された“ガヤ”は、フットボールの選手に憧れていたマーヴィンが、NFLデトロイト・ライオンズの選手だったメル・ファーたちを呼んで録音。彼らは、マーヴィンが引きこもり中、気晴らしにやっていたフットボールの仲間でもあった。
反戦、反体制すぎると批判された名曲
1970年6月から9月にかけて、マリファナの煙が充満するモータウンのスタジオで録音された「What’s Going On」(アルバム・ヴァージョンと違ってコンガの音などが強調されている)は、ベリー・ゴーディから「反体制すぎる。ラヴ・ソングを歌わないマーヴィンなんて誰も聴きたいと思わない」と猛反対されながらも、1971年1月にシングルが発表されると、R&Bチャート1位、ポップ・チャート2位を記録。これを受け、同曲のメッセージを拡大したコンセプチャルなアルバムとして、過去のデモ音源などにも手を加えつつ、1971年3月の10日間で完成させたのがアルバム『What’s Going On』となる。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンがソウル・ミュージックの枠を飛び越え、モータウンではテンプテーションズやエドウィン・スターがノーマン・ホイットフィールドと組んで反戦歌などを出していたことにも刺激されたという。また当時、マーヴィンに対しては政治的な歌を望まなかったモータウンだが、ブラック・フォーラムという政治色の強いレーベルを傘下に立ち上げ、公民権運動家などによるスポークンワーズのアルバムを出していた。
ベトナム戦争絡みでは、キング牧師生前の反戦スピーチを収録した『Why I Oppose The War In Vietnam』(1970年)、黒人兵士ウォレス・テリーが戦地での音声記録をまとめたフィールド・レコーディング集『Guess Who’s Coming Home ~Black Fighting Men Recorded Live In Vietnam』(1972年)も発売されている。特に後者はマーヴィンのヒットを受けての、実録版『What’s Going On』とも言えるアルバムで、これもリーの耳に届いていたかもしれない。
ドゥーワップ・グループのムーングロウズにも在籍していたマーヴィンらしい多重コーラス、ジャズの洗練を持ち込んだファンク・ブラザーズの演奏、デヴィッド・ヴァン・デ・ピットのアレンジでデトロイト交響楽団が奏でる優雅で神々しいオーケストラ。これらが一体となったサウンドに、マーヴィンがテナーとファルセットのヴォーカルで反戦などを訴えていくアルバム『What’s Going On』。映画にて、金塊と遺骨探しのハイキングでブラッズが歌う「What’s Happening Brother」はジェイムス・ニックスとの共作だが、これも「What’s Going On」同様、弟フランキーの戦争体験をもとに書かれた曲だ。フランキーが帰還兵としての視点で「俺たちの国はいったいどうなったんだ?」と問いかけるリリックは、当時、祖国に戻ったブラッズの気持ちを代弁したものだろう。
映画で使われた曲と使われなかった曲
ノーマンの遺骨が土の中から発見されるシーンでは、マーヴィンの宗教的な側面を伝える賛美歌風の「Wholy Wholy」が流れる。「神に召された仲間たちがあの空の彼方へ飛んでいきそうだ。彼らはもう息も絶え絶えで地面に崩れ落ちた」と歌われる「Flyin High (In The Friendly Sky)」は、エディが地雷の犠牲となり、残りのメンバーが金塊を背負ってヘトヘトになりながら歩くシーンとシンクロする。さらに、現地の武装集団に囲まれ、ポールが土を掘りながら命を振り絞るように口ずさむ「God Is Love」は、「神が人間に望むのは互いに愛し合うこと」というリリックに反して無情にも銃弾を浴びるポール最期の言葉として重く響く。
アルバムから使われなかった曲もあるが、例えば、米軍による枯葉剤散布の愚行をポールが憤るシーンでは、環境問題に触れた「Mercy Mercy Me (The Ecology)」が思い浮かぶ。また、ポールの息子デヴィッドに未来を託し、メルヴィンが現地娼婦との間に儲けた娘と抱擁する終盤のシーンには「Save The Children」が流れてもよかったかもしれない。そう思わせるほどリーは、『What’s Going On』のコンセプトに忠実に従って『ザ・ファイブ・ブラッズ』を撮ったのだ。亡きマーヴィンも、まるでブラッズの一員であるかのように思えてくる。
今作にも起用された常連のテレンス・ブランチャードによる劇伴も含め、使用した音楽の意味を時代や社会背景とともに考えさせる点においてリーの映画は、特にブラック・ミュージックのリスナーにとって納得と発見の連続でもある。70年代のブルックリンに住む黒人ファミリーの家族愛を描いた『クルックリン』(1994年)では全盛期の「ソウル・トレイン」をリアルタイムで観ていたリーの70年代ソウルへの愛を感じたが、今作でもマーヴィンの『What’s Going On』だけでなく、70年代を中心としたソウル・ミュージックが聞こえてくる。
序盤、ホーチミンのクラブでDJがかけているのは、マーヴィン・ゲイが1977年に発表したディスコ・ソング「Got To Give It Up」だ。この曲のバック・ヴォーカルには弟フランキーも参加していた。続いて、4人のブラッズがベトナム人ガイドと対面するラウンジでは、フリーダ・ペインの「Bring The Boys Home」(1971年)とスピナーズの「I’m Coming Home」(1974年)が流れている。前者は「息子や恋人を家に返して」と訴える反戦歌、後者は「もうすぐ帰るよ(ただいま)」という帰還兵の言葉にも置き換えられる歌であり、ともにモータウンの曲ではないが、モータウンと浅からぬ関係にあったデトロイト出身者のナンバーであるのは興味深い。
他のシーンで使われたカーティス・メイフィールドの「(Don’t Worry) If There’s A Hell Below We’re All Going To Go」(1970年)、チェンバース・ブラザーズの「Time Has Come Today」(1967年)も当時を代表するプロテスト・ソングだ。
劇中のオマージュとテンプテーションズ
そういえば、マーヴィンの「Got To Give It Up」が流れるクラブの名前は〈Apocalypse Now〉。これはフランシス・フォード・コッポラ監督によるベトナム戦争映画『地獄の黙示録(原題:Apocalypse Now)』(1979年)を連想させるが、『地獄の黙示録』で使われたワーグナーの「ワルキューレの騎行」がジャングルの川を船でクルーズするシーンで流れてきた時にオマージュだと確信させる。
また、意図的なオマージュではないと思うが、実在した北ベトナムの女性アナウンサー、ハノイ・ハンナの登場は、立場は逆の従軍DJながらエイドリアン・クロンナウアをモデルとした映画『グッドモーニング、ベトナム』(1987年)、あるいはリーの作品だとDJミスター・セニョール・ラヴ・ダディーが登場する『ドゥ・ザ・ライト・シング』に通じてもいる。
極め付けは、リー本人がオマージュだと認めている、ポール、オーティス、エディ、メルヴィン、デヴィッドの役名。これはテンプテーションズ黄金期(1964~68年)のメンバーに因んだものである。その証拠に、デヴィットが地雷撤去ボランティアとして活動するフランス人女性ヘディと自己紹介をし合うシーンにて「テンプテーションズのデヴィッド(・ラフィン)と同じ」と言うと、ヘディが「モータウン!」と返す。
もっと言えば、デヴィッドが4人のブラッズに合流するあたりはテンプテーションズに(黄金期のメンバーとしては最後に)デヴィッド・ラフィンが加入したのと同じだし、悲惨な最期を迎える激情型のポールはテンプスのポール・ウィリアムスが鬱病とアルコール依存の末に自殺したことを連想させ、ファイブ・ブラッズとしてただひとり生き残るオーティスは黄金期テンプスのメンバーとして唯一存命するオーティス・ウィリアムスそのものだ。
さらに、ベトナムでポールの誤射により命を落とした、チャドウィック・ボウズマン演じるノーマン隊長は、当時テンプスに曲を提供していた司令塔にしてマーヴィン・ゲイにも「I Heard It Through The Grapevine」(1968年)のヒットをもたらしたノーマン・ホイットフィールドに因んだ役名なのではないか。マーヴィン・ゲイとテンプテーションズというモータウンを代表したスターへのリスペクトでもある『ザ・ファイヴ・ブラッズ』。スパイク・リーの音楽愛と粋なオマージュに改めて感服する。
Written By 林 剛
Netflix映画『ザ・ファイブ・ブラッズ』独占配信中
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マーヴィン・ゲイ『What’s Going On』
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