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デフ・レパードのリック・アレン:片腕を失っても、それを乗り越えたドラマーの軌跡と友情の物語
2022年5月27日に7年ぶりの新作アルバム『Diamond Star Halos』が発売となるデフ・レパード。そんなバンドを長年支え続けるドラマーのリック・アレンは21歳の時に大事故を起こし、左腕の切断を余儀なくされた。しかし彼は、自らの努力と技術、そしてバンドメンバーとの友情によってそのハンデを乗り越え、今でもバンドの正ドラマーとして活躍を続けている。
そんな彼の事故とそれを乗り越えた軌跡について、音楽評論家の増田勇一さんに寄稿いただきました。
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昔から、事実は小説よりも奇なり、などと言われている。いわゆるドキュメンタリーや実話に基づいた映像作品などが、細部まで編み込みのきいたフィクション以上に人を惹き付けることがあるのは、やはりそこに本物のリアリティが脈打っているからだろう。バンドやミュージシャンたちの生涯やサクセス・ストーリーの裏側を描いた映画などについても同じことがいえるはずだ。
5月27日、『Diamond Star Halos』と題されたデフ・レパードのニュー・アルバムが世界同時発売を迎える。2015年10月に発売された『Def Leppard』以来の新作であり、彼らのオリジナル・スタジオ・アルバムとしては第11作にあたるものだ。英国はシェフィールド出身のこのバンドが1stアルバムの『On Through The Night』を発表したのは1980年3月のことで、すでにそれから42年以上が経過していることになる。
もちろん彼らはオリジナル作品以外にカヴァー集やライヴ作品なども数多く発表してきたが、42年で11作品というのはあまり多作とは言えないかもしれない。しかもデビュー時からの初期3作については2年以上のブランクを空けることなくリリースされているが、全米2位を記録した世界的出世作『Pyromania』(1983年)から、同作の成功を受けて第4作の『Hysteria』が世に出るまでには実に4年半が経過している。
第3作のヒットからくるプレッシャーも当然そこにはあっただろう。が、結果的にこのバンドの代名詞的作品となる4thアルバムの誕生にそれほどまでに時間を要することになったのには、もっと明確でしかも深刻な理由があった。ドラマーのリック・アレンが音楽家人生の危機に立たされたのである。
大事故と左腕の切断
悲劇が起きたのは1984年の大晦日のことだった。筆者は当時、BURRN!誌の編集部に籍を置いていたが、年が明けてレコード会社経由で届いたテレックス(メールではなく、FAXですらない)の衝撃的な文面は、以下のようなものだった。
「12月31日の12時50分、リック・アレンの愛車であるコルベット・スティングレーがシェフィールドで事故を起こし、彼は車から投げ出され、左腕を肩から完全に切断された。リック自身、そして同乗していたガールフレンドは午後1時半に病院に収容され、彼は10時間にも及ぶ縫合手術を受けた。顔面に打撲を受けたガールフレンドは1月2日には退院したが、同日、リックの肩の切断部からの出血が酷いため再手術を実施。その後、4日には3度目の手術が行なわれ、肘から先の状態は良好だったものの上腕部の縫合箇所の感染が著しく進行していたため、切断以外に選択の余地はなかった」
(編註:下記は危篤状態からの回復と、腕の縫合手術の失敗を伝える記事)
実はこの事故の第一発見者が偶然にも看護師だったため応急処置が適切に行なわれ、それゆえに縫合手術が可能になったとの話もある。しかし残念ながら、結果的に彼は左腕を失うことになってしまった。リックは同時に愛車も失うことになったが、それは15歳でバンドに加入し、当時まだ21歳になったばかりだった彼にとっては、まさに成功の象徴ともいうべきものだった。
当時、すでにデフ・レパードはオランダで第4作のレコーディングを開始していた。そしてこの惨事が起きたのは、制作期間中に設けられた約2週間のクリスマス休暇中に彼が故郷に帰っていた際のことだった。しかも、彼らと直接関係のあることではないが、1984年12月8日には、ハノイ・ロックスのドラマーだったラズルことニコラス・チャールズ・ディングレーが、モトリー・クルーのヴィンス・ニールの運転する車に同乗していて事故に遭い、他界している。年の瀬に相次いだ悲劇に、当事者ばかりではなくロック・ファンの多くもショックを受けていたことは間違いない。実際、そうしたニュースが報じられた直後の頃には、BURRN!編集部にも情報の真偽についての確認を求める問合せの電話が殺到していたものだ。
リックの場合、幸いにも一命をとりとめ、最悪の事態だけは避けることができたわけだが、ドラムを演奏するうえでは致命的ともいえる状態にあっただけに、多くの人たちは彼がドラマー人生を断念せざるを得なくなるものと考えていたことだろう。
バンドのフロントマンであるジョー・エリオットは、この事故直後に「話を聞いた時には思わず泣き出してしまった。まだ僕には信じられない。リックは若く、強く、明らかに輝かしい未来が待ち受けていたはずだった。バンドは続けられるし、続けなければならない。僕たちにはリックに対して、その義務がある」と発言しているが、その時点で活動継続可能という100%の確証が得られていたわけではなかったのではないだろうか。実際、事故後しばらく経った頃、英国の音楽誌などには後任候補としてもっともらしい具体名が書かれた記事なども出ていた記憶がある。
諦めずに続けることの大切さ
しかしリックのドラマー人生も、デフ・レパードの物語も、そこでピリオドを打つことなく続いていった。それが可能だったのは誰よりもリック自身が諦めなかったからに他ならない。若いからこその回復力の強さも功を奏した。医師の見込みよりも早く体調を取り戻した彼は、左腕を失っても自分には右腕と両脚がある、というポジティヴな発想により、エレクトリック・ドラムのメーカーであるシモンズ社の協力を得ながら、左腕で叩くべき部分をフット・ペダルでの演奏で補うことが可能な彼専用のエレクトロニックなドラム・セットを開発し、そのシステムでの演奏に馴染むことから取り組んでいった。
そして彼が正式にデフ・レパードのステージに復帰を果たしたのは、1986年8月16日にキャッスル・ドニントンで開催された『Monsters Of Rock』でのことだった。厳密に言えばそれに先駆けてアイルランドでのウォームアップ・ミニ・ツアーが実施された際にはステイタス・クォーなどでの活動で知られるジェフ・リッチをサポート・ドラマーとして帯同させ、ツイン・ドラム体制で臨むことになっていたのだが、たまたまそのジェフの到着が遅れた日があり、そこでリックひとりで充分に演奏可能であることを確認できたことで、その大舞台での復帰が実現したのだった。
また、バンドはその頃には第4作の制作を再開しており、『Hysteria』と命名された同作は、『Monsters Of Rock』からちょうど1年を経た1987年8月に世に放たれている。史上最大級ともいわれる制作費を投じながら完成されたこのアルバムが、その後、ロック史を代表する怪物アルバムになったことは言うまでもない。
ただ、そうした数字や記録よりも重要なのは、このアルバムがリックとバンドにとっての新たな物語の始まりとなり、本当にやりたいことを諦めずに続けることの大切さを彼ら自身が身をもって伝えるものになったことだろう。
ギタリストの死
ただ、ご存知の読者も多いはずだが、デフ・レパードをめぐる悲劇はそこで終わりはしなかった。このアルバムの発表から約3年半後にあたる1991年1月8日、ギタリストのスティーヴ・クラークが30歳という若さでこの世を去っている。当時の彼はアルコールにまつわる問題を抱えており、死因もまたそこにあった。
スティーヴの他界後、バンドが第5作にあたる『Adrenalize』を発表したのは1992年3月末のことだった。『Hysteria』の登場からはすでに4年半以上が経過していた。彼らは同作完成後にヴィヴィアン・キャンベルを新ギタリストに迎えているが、その新布陣のお披露目の機会となったのが、1992年4月20日、ロンドンはウェンブリー・スタジアムでのフレディ・マーキュリー追悼コンサートだったという事実にも、巡り合わせの不思議さを感じずにはいられない。バンドが現在と同じその布陣となってから、今年でちょうど30年を経ているわけである。
バンドの連帯と音楽愛
デフ・レパードの経てきた紆余曲折は、もちろんそうした事故やメンバーの死といった問題ばかりではない。ただ、とにかくここで改めて伝えたいのは、このバンドの連帯と音楽愛の強さだ。最新作『Diamond Star Halos』でも、そうした年輪を持つバンドだからこその味わい深さを堪能できることだろう。彼らは2019年にはロックンロールの殿堂入りを果たしているが、その授賞式の場でもリックの人生は賞賛されている。
ちなみにリック・アレン個人の現在のオフィシャル・サイトを覗いてみると、そのトップページにはミュージシャン、アーティスト、フォトグラファー、ヒューマニストといった項目が並び、自身の手によるアート作品の個展をはじめ、彼が音楽の領域にとどまらない表現活動を続けていることが伝えられている。そして彼のツイッター・アカウントを覗いてみると、プロフィール欄には「僕は1本のスティックでモノを叩く。それを気に入ってくれている人たちがいるみたい」などと書かれている。
また、彼は昨年、米国のABCニュースのインタビューに応え、「あの事故さえ起きなければ、という思いがよぎることもあるのでは?」という記者の呼びかけに対し、同意を示しながらも「あの一件を通じてとても多くの意味で成長することができたし、自分自身や他者に対しての責任感というものを享受することができた」と、以降に経てきたプロセスが持つ意味の重要さを説いている。このバンドが今もこうして創造的に継続していることを、心から嬉しく思う。
Written by 増田 勇一
デフ・レパード『Diamond Star Halos』
2022年5月27日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
1CDデラックス収録曲
1. Take What You Want
2. Kick
3. Fire It Up
4. This Guitar (featuring Alison Krauss)
5. SOS Emergency
6. Liquid Dust
7. U Rok Mi
8. Goodbye For Good
9. All We Need
10. Open Your Eyes
11. Gimme A Kiss
12. Angels
13. Lifeless (featuring Alison Krauss)
14. Unbreakable
15. From Here To Eternity
16. Goodbye For Good This Time – Avant-garde Mix *
17. Lifeless – Joe Only version *
*ボーナストラック
*限定盤デジパック仕様
1CD通常盤
1. Take What You Want
2. Kick
3. Fire It Up
4. This Guitar (featuring Alison Krauss)
5. SOS Emergency
6. Liquid Dust
7. U Rok Mi
8. Goodbye For Good
9. All We Need
10. Open Your Eyes
11. Gimme A Kiss
12. Angels
13. Lifeless (featuring Alison Krauss)
14. Unbreakable
15. From Here To Eternity
16. Angels – Striped Version *
17. This Guitar – Joe Only version *
*ボーナストラック
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