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マシン・ガン・ケリー『Tickets To My Downfall』レビュー:絶望が蔓延する時代に若者を解き放つ音楽
2020年9月25日に発売され、自身初の全米アルバムチャート1位を獲得、ロック・アルバムとして約1年1か月振りの首位となったマシン・ガン・ケリー(Machine Gun Kelly)の最新作『Tickets To My Downfall』。今までラッパーとして4枚のアルバムを発売してきた彼の初のポップ・パンク・アルバムの内容について、ライターの矢島 大地さんに解説いただきました。
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『Tickets To My Downfall』。そのタイトルとは相反するように、本作の髄を貫いているのはアップリフティングなポップ・パンクの数々である。マシン・ガン・ケリーが今作のエグゼクティブ・プロデューサーにトラヴィス・バーカーを迎えていることは、単に音楽的興味としてのポップ・パンク志向を示すものではないだろう。
常々語られてきた通りマシン・ガン・ケリーの音楽原風景にはblink-182がいるわけで(彼自身も、ラッパーになる以前に3ピースのパンクバンドをやっていたと語っている)、つまり今作はマシン・ガン・ケリーが自身の青春そのものとの邂逅を果たしたアルバムだとも言えるのではないか。
驚くほど流麗なメロディと、温かみのある声を素直に生かした歌唱。「bloody valentine」や「forget me too (feat. Halsey)」の突き抜けた爽快感は、内省に潜り続けた日々からの脱却を高らかに響かせているようだ。恋の痕をリリックに載せてホールジーとともに目一杯疾走していく様も、奥底に仕舞い続けた蒼さを真っ向から肯定していくようでもある。ヘッドラインに君臨し続けるラッパーがポップ・パンクを鳴らしたこと自体が重要なのではなく、自身の凄惨な人生に対するセラピーのようにラップと痛切な叫びを欲してきた過去を超えていこうとする解放の表明である点が、このアルバムの感動的なポイントのひとつになっている。
もちろん、マシン・ガン・ケリー自身のストーリーと同時に、音楽的な芳醇さもこのアルバムを語る上で外せない。「drunk face」や「all I know feat. Trippie Redd」ではトラップ・ビートをインサートすることでBPM以上の体感的な疾走感を生み出すことに成功している。単に原風景回帰とポップパンクへのノスタルジーではなく、今まで消化してきた音楽的素養とルーツの互換性を示している点が、このアルバムを懐古的なものに留まらせていないのである。
こうした「古くて新しい」サウンドの形成において、トラヴィス・バーカーが大きく寄与しているのは間違いない。そもそもマシン・ガン・ケリーとトラヴィスの交友関係は10年と長く、この10年の間にもトラヴィス・バーカーはヒップホップ・アクトやラップ・ミュージックのシーンと頻繁に交わってきた。トラヴィス自身が、1990年代後半のポップ・パンクにヒップホップのフィールを持ち込んだ張本人であり、ラップ・ミュージックシーンのアーティストから引っ張りだこのトラヴィスの近年の状況は、ラップ・ミュージックが改めてノイジーなロックサウンドのメソッドを必要としていることの象徴だと見ることができるし、逼迫した時代を背景にしてロックとラップが改めて接近して音楽的なエッジを増していく流れにおいて「橋渡し」としてトラヴィス・バーカーがキーマンになっていくのも頷ける。
改めてblink-182のセルフタイトル・アルバム(2003年)を聴き返してみれば、そしてボックス・カー・レイサーやトランスプランツ、+44などのトラヴィス・ワークスを振り返ってみれば、今作に反映されているサウンドのリファレンスを多く見つけることができるだろう。単にノイジーなだけではなく表情豊かでまろやかなギターサウンド、豊かなローなどなど、ヒップホップやクラブ・ミュージックを背景に持つトラヴィスがロックにもたらしてきたサウンドイノヴェーションの数々が、さらに多様なクロスオーヴァーを見せるようになったシーンに改めて必要とされていると言ってもいいのかもしれない。
今作の話に戻ろう。マシン・ガン・ケリーが今作で招いたゲストのラインナップにも、マシン・ガン・ケリーの原風景回帰に留まらない意志が窺える。トリッピー・レッド、イアン・ディオール、ブラックベアーといったラップアクトの面々に加え、ホールジー、ヤングブラッド、そしてザ・ユーズドのバート・マクラッケン。
時代を覆う暗雲を象徴するように2000年代初頭のスクリーモを思わせるゴス化を果たし、今や母国イギリスに留まらず世界的な新世代ロック・アイコンとなったヤングブラッドと、まさにスクリーモの象徴のひとつであるザ・ユーズドのバートとともに歌い鳴らす「body bag」では、フォール・アウト・ボーイの「Dance, Dance」を引用したフレーズが数多く飛び出す。ここに見えてくるのは、マシン・ガン・ケリーが青春時代を過ごした2000年代のカルチャーと今の時代背景をとひとつの線で繋ごうとする視座だ。
こうしたオーセンティックなロックアルバムにおいて、アメリカのマシン・ガン・ケリーがヤングブラッドを必要としている点も、現行のロックの世界地図・ベクトルが見えてくるという意味で重要だろう。
そして音楽的な面でフォール・アウト・ボーイを参照していることについても、ポップパンクとしてヒップホップやR&Bを食っていったバンドの革新性へのリスペクトであると同時に、マシン・ガン・ケリーがラップとロックを自在に行き来する存在である必然性を、音楽の歴史の中で位置付けようとしたものなのではないか。
そしてホールジーとの共演を果たした「forget me too」。今作随一の爽快なメロディが飛び出すという意味でも、元恋人と歌う過去の恋の歌という意味でもトピックに満ちた楽曲だが、それ以上にホールジーが大きな音楽的リファレンスとして語ってきたパラモアの軌跡がメロディ・サウンドの両面に表れている点に着眼したい。
かつてパラモアが果たしたのは、それまでのポップパンクやエモが潜在的に持っていた男性優位な精神性の打破だった。その功績を血肉にすることで現代のエモをプリンセスとしても輝くホールジーとともに鳴らすポップパンクとはつまり、懐古的なポップパンクの精神性を刷新していく意志をそのまま表したものだと言えるだろう。隅々まで、ポップパンクへの敬意と憧憬、そして愛する音楽だからこその自己反省によって成り立っているアルバムだ。結果、単なるノスタルジーに終わることなく、現代をそのまま反映するロックアルバムとして1年1か月ぶりに全米アルバムチャート1位に輝いたのだ。
ポップパンクとはそもそも、青春の発露として語られることが多い音楽である。それこそblink-182が1990年代に裸で街を走り回るMVを放って、ストリートの上であらゆる音楽を混ぜ合わせて時代の寵児となったように、「バカやったっていいだろ?」という無邪気さと奔放さが大きな要素として語られてきた音楽だ。しかしそれは、トラヴィスがまさに果たしてきたように、社会の概念や刷り込み、従来の型から逸脱することを自分たち自身に許す「解放宣言」だったとも言えるのだ。
“おバカな青春、ガキっぽい音楽” 、そういったパブリックイメージも間違いじゃないが、上述したように、息苦しさや絶望が蔓延する時代にこそユース=若者を解き放つ音楽として鳴ってきた音楽なのだと思う。そういう意味において、マシン・ガン・ケリーが己の青春の肯定を目一杯鳴らしたとともに、切迫した時代への反逆を掲げるアルバムとしても、強力な求心力を放っているのが今作なのだ。ドン底まで行ったら、あとは這い上がるだけだろ?--マシン・ガン・ケリーはそう語りかけている。
Written by 矢島大地 (MUSICA)
マシン・ガン・ケリー『Tickets To My Downfall』
2020年9月25日発売 / 国内盤CD 12月9日発売
国内盤CD / iTunes / Apple Music / Spotify
- マシン・ガン・ケリー アーティストページ
- マシン・ガン・ケリーとトラヴィス・バーカーが自宅で撮影したパラモアのカバー
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