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なぜラッパーは曲の中で人の悪口を言うのか?その背景にある歴史と、そこで育まれた独自の美学
ヒップホップやR&Bなどを専門に扱う雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』改めウェブサイト『bmr』を経て、現在は音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベント(最新情報はこちら)など幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第25回。
今回は現在、黒人音楽月間として実施されているオンライントークイベントの内容を凝縮してお届け。もっと知りたい方は、こちらをチェック。
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振り返ればもう20年近く前。ラッパーのDABOがわたしにこんな思いを打ち明けてくれたことがある。
「一般誌の取材で”どうして曲の中で人の悪口を言うんですか?”と質問されると、”ええっ、そこから説明しなきゃならないの?!”と思うんですよ」
我々の常識は、彼らにとって魔境。
彼らの”普通”は我々の非常識。
DABOの言葉は、そんな現実を見事に表現したものだ。
今日は、そんなDABOへの敬意を胸に考えてみようと思う。我々が愛してやまないブラック・ミュージックというジャンルには、他ジャンルとは一線を画す何かがあり、それらは——今や如何にワールドワイドなスタンダードになっていようとも——ここ日本では通じにくいケースも多々あるような。
そんなブラック・ミュージックの発想、その背景にある歴史と、そこで育まれた独自の美学の深淵を探る試み。題して【黒人音楽概論。「なぜ歌詞で他人の悪口を言うのか」問題&その他の謎について】である。
MC・ハマーの四面楚歌
まずは、その「なぜ歌詞で他人の悪口を言うのか」問題から。
かつてMCハマーは「ヒップホップは、曲の中でアーティストが他のアーティストを非難することが許される唯一のジャンルだ」と言った。
ハマー自身のリリックにも他人へのディスがないわけではなかったが、大成功してからの彼は周囲からの容赦ない攻撃にさらされるようになった。その時の心情を吐露したものといえよう。そんな中で「あれだけ儲けていること、それだけで凄い」と敬意を隠さず、ハマーの大作MV「2 Legit 2 Quit」に出演もしたのがイージー・Eと仲間たち(DJ・クイックを含む)であることは忘れないようにしたい。
ハマーは続けて、こんなことも言ったはずだ。
「ブルース・スプリングスティーンの悪口を歌うエアロスミスなんて聞いたことない」
でも記憶に自信がないので、こうだったかもしれない。
「エアロスミスの悪口を歌うブルース・スプリングスティーンなんて聞いたことない」
何にせよ、他人を攻撃する歌詞なんてロック界ではありえないよ、ということである。
しかし! その発言は1990年前後。それから20年近くが過ぎた2008年にスティール・パンサーというメタル・バンド——1980年代に隆盛を極めたLAメタルをコミカルに再現している——がリリースしたデビュー曲「Death to All But Metal」の一節はこう。「50セントはホモ(fag)だ、カニエ・ウェストもそう。互いに相手の胸に熱い精液を飛ばしあってる」……ひゃああ!
面白いのは、スティール・パンサーがヒップホップへの敵意を口にしていながら、すっかりヒップホップ流儀のディス系リリックに走っていること(おそらく自覚的に)。MC・ハマーのボヤキから2ディケイドを経ずして、ヒップホップ的発想が世界に波及したことの証明かもしれない。ここ日本での通用度はともかく。
BACK TO 1970s
もう一度、「なぜラッパーはリリックで他人の悪口を言うのか」に立ち戻ろう。極端に単純化して答えるなら、ラップとは実際の暴力に代わる「言葉の暴力」としての面があるから、となろうか。その背景には、ヒップホップが生まれた1970年代当時、ニューヨークのストリートが暴力に満ち満ちていたという事情があるらしい。
ここ日本でも、我々はつい「少年犯罪は近年の方が急増し残酷化している」と考えがちだが、実際には昭和の方が凄かった。アメリカも同様で、70年代から80年代にかけての黒人街は荒れていたと聞く。今よりずっと。
そんな中で「このままではいけない」と感じたアフリカン・アメリカン(アメリカ黒人)やラティーノの青年・少年たちは、こう考えた。
勝ち負けを決めること自体は我々に必要なもの、ストリートから排除するわけにはいかない。だが、ブラザーどうしが殺しあって自滅するのは愚の骨頂。だから、暴力によらない別の手段で勝負すべきではないか。
こうして生まれたヒップホップは、自ずとバトルの側面を否定できないものとなった。ヒップホップの4大要素と呼ばれる「DJ」「MC(ラップ)」「グラフィティ」「B-Boying(ブレイクダンス)」はそれぞれ、程度の差こそあれ全て戦闘的で、コンペティション色が強い。
「お前の母ちゃん」伝説!
言っておくが、今日のわたしはヒップホップの話に終始するつもりがない。さらに言うと、「ヒップホップはそもそも戦闘的なものだから、ラップのリリックも他人の悪口を言う傾向がある」という説明は不十分だ。問題の半分も見ていない、というべきか。
3月末、アカデミー賞の会場で起こったウィル・スミスによるクリス・ロック平手打ち事件を思い出そう。「オスカー史上最悪の瞬間」と評されはしたが、その一方でクリス・ロックが初めて日本でも真に認知される機会を作ったとも言える。かつて日本のテレビでは、彼が登場しても「クリス・タッカー」とテロップをつけることがあったから。
とはいえ、ここで注目したいのは別の部分だ。そもそもウィル・スミスは、もともと「フレッシュ・プリンス」というラッパー。となれば、言葉には言葉で返すのが筋だろうに、言葉の暴力に対して選んだ手段がホンマもんの暴力とは!
ただし、クリス・ロックの揶揄の対象がウィルの妻なので、そこは情状酌量の余地があるのでは……そう考える人もいよう。しかし、ヒップホップ以前から黒人街にあった言葉遊びの伝統において、攻撃の対象は常に相手ではなく、相手の母だった。「お前の母ちゃんは太り過ぎ、あまりに巨大だから独自の郵便番号がついてる」等……和訳すると味が伝わらん!。
この言葉遊びはダーティ・ダズン(dirty dozen)。このダズンを評して、「ゲットーを生き抜くための知恵であり、ヒップホップのルーツなのじゃ」といった人物がいる。ウチのジョージ・クリントン師匠だ。
そのクリントン師匠が70年代に(リリックではなく)アルバム・ジャケット——裏の隅っこの方や、中に描かれたコミックなど——で展開していた揶揄中傷もなかなかのものだ。相手はリック・ジェイムズやジョージ・デューク、アース・ウィンド&ファイアー、さらにヴィレッジ・ピープルやローリング・ストーンズまで。
ただし師匠は「ワシは尊敬できるアーティストにしか言及しとらんよ」と言うのだが……師匠、自分の記憶を美化してませんか?
他人の名を叫べ!
そして。
黒人音楽界を見渡してみると、リリック内で他のアーティストに言及するのは、ヒップホップ以外のジャンルにも見られる現象なのだ。
とはいえ、ヒップホップがメインストリームになった80年代末以降であれば、R&Bの歌詞がヒップホップ的なアティテュードに影響されていても、驚きの要素は少ないだろう。
ところが、古くは1960年代のソウル・ミュージックでも、歌詞の中で他のアーティストたちに言及するケースがあったのだ!
ただし、それはそのアーティスト勢に対する攻撃を意味しない……。
Written By 丸屋九兵衛
丸屋九兵衛 オンライントークイベント
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・6/30:再び、映画と音楽が出会うとき。ソウル/R&B/ヒップホップ・ムーヴィーの伝説は続く
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