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ニュー・エディションとニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの奇妙な因縁:ボストン・ボーイ・バンド小史
ヒップホップやR&Bなどを専門に扱う雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』改めウェブサイト『bmr』を経て、現在は音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベント(最新情報はこちら)など幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第24回。
今回は80年代に大ヒットを飛ばし、活動休止、再結成を経て、現在は精力的にツアーを続けているニュー・エディションと同郷のニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの奇妙な因縁について。
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ニュー・エディションの豪華ツアー
2年間も延期されていたデフ・レパードとモトリー・クルー、そしてポイズンとジョーン・ジェット&ザ・ブラック・ハーツの”The Stadium Tour”だが……この夏、ついに決行だ!
とメタル界の話題から始めてみたが、ジャンルを問わず、最近はこの手の話を耳にすることが多い気がする。ポスト・コロナ時代の到来、と喜んでいいのかどうか。
そんな昨今、この春から既にツアーを始めているのがニュー・エディションである。題して”The Culture Tour”。チャーリー・ウィルソン(ギャップ・バンド)とJodeciをゲストに迎えてのロードらしい。
そのツアー・ヴィジュアルに写るニュー・エディションを見ると、6人は名曲「Can You Stand The Rain」をイメージしたものであろうコートを着ている。
あれ? このコート姿、見覚えがあるぞ……と調べてみたら、やはり。昨年11月、American Music Awardsで”Battle of Boston”と題して、同郷のニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック(NKOTB)と史上初のステージ上共演を敢行した際と同じ服装だ。比較的カジュアルな装いで先に登場した白人5人組に対し、問答無用のロングコート姿でステージに現れたニュー・エディション。その立ち姿は、先輩としての威厳を見せつけるようでもあった。
しかし、そのNKOTBのドニー・ウォールバーグは事前の映像で「ニュー・エディションがいなければ、俺たちNKOTBもいない」と語り、パフォーマンスの際にもニュー・エディションの”NE”ロゴ入りTシャツを着用するという気合の入れようだ。このリスペクトぶり、2つのグループの縁——というか、むしろ因縁——を知る者には何とも感慨深いものだったのだ。
ニュー・エディションの誕生と1.87ドルの報酬
ことの起こりは1978年。そんな時代だから、オーディションではなく、ボストン市内の同じネイバーフッドに暮らす10歳前後の黒人少年5人が自発的に集まって結成したのがニュー・エディションだ。単細胞に直訳すると「新版」、よくよく考えてみると妙な名前だが、そこにはちゃんと意図があった。「ジャクソン5の新版」である。
地元のタレント・ショウに出場した彼らは、モーリス・スター(Maurice Starr)にフックアップされる。このモーリスは、エレクトロなファンク・グループ、Jonzun Crewのメンバーからソロに転身したが、アーティストとしての自分に限界を感じ、ソングライト&プロデュースに乗り出していたところだった。(*編註:下記写真左がモーリス。彼曰く、右に写っているジャッキーを売ったのは俺)
ニュー・エディションが1983年2月にリリースしたデビュー・シングル「Candy Girl」はR&Bチャートで1位のヒットとなり、同名のアルバムも同チャート14位を記録。そのアルバムのツアーで全米を回り、故郷ボストンに帰ってきたニュー・エディションのメンバーに対してモーリス・スターが報酬として渡したのは、各自1.87ドルのみ! モーリス曰く「ツアー経費がかさんだから」……映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』で描かれたジェリー・ヘラーをはるかに上回る搾取ぶりだが、とにかく、これでニュー・エディションはモーリス・スターと袂を分かつことになる。
白人版ニュー・エディション
ニュー・エディションの出身地は「ボストンのブラック・カルチャーの中心地」とも言われるロックスベリー(Roxbury)地区。そこから南東に進むとドーチェスター(Dorchester)というネイバーフッドがある。やはり黒人が多数派の地区だが、このドーチェスターから登場したのは「白人版ニュー・エディション」。それがNKOTBだ。
エルヴィス・プレスリー自身がどれだけリトル・リチャードをリスペクトしていたとしても、彼を「黒人の音楽を奪った」と見なす人は当然いる。しかし、ニュー・エディションとNKOTBの場合、事情は複雑だ。NKOTBの仕掛け人は、ニュー・エディションを発掘したモーリス・スター、その人だったから。モーリスは「もしニュー・エディションが白人だったら、20倍もビッグになっていたに違いない」という発言でも知られるが、そんな夢を叶えるべく、同じボストン出身なれど白人の少年たちを世に送り出したとも言える。(編註:下記写真は若き日のNKOTBとモーリス)
そんなNKOTBがデビュー・アルバムを作っている1985年、ニュー・エディションはレーベル&マネージャーからの圧力により、素行不良ぎみのボビー・ブラウンをグループから追放せざるを得なくなる。しばし4人組状態での活動を経た1988年に、ジョニー・ギルが加わった大人の5人組として名曲「Boys to Men」や件の「Can You Stand The Rain」を含む傑作アルバム『Heart Break』をリリースした——同時期にボビー・ブラウンもソロでスーパースターとなった——後、グループとしては休止期間に。
そして各々がソロとして、あるいはリードをとる機会が少ない3人が集まったベル・ビヴ・デヴォー(Bell Biv DeVoe)として活動することになる。その後、ボビー・ブラウンの復帰と再離脱、そして再復帰を経て、この15年ほどは6人組として活動しているわけだ。
ボーイ・グループ(=boy band)とは何か?
ここで、ジョニー・ギルとニュー・エディションの出会いについて書いておきたい。ジョニーがグループ入りしたのは1987年だが、出会いは1983年に遡る。当時のジョニーは「もう少しダンスが上手くなったらグループに入れてやるよ」とからかわれていたという。K-POPグループにおけるダンス嫌いメンバーを連想する話(BTSのSUGAが「1TYMのような踊らないグループと聞いていたから入ったのに」と語ったことを思い出そう)だが、これはボーイ・グループ——英語で言うところのboy band——というものを読み解く上で、重要なエピソードではないかと思うのだ。
boy bandと呼ばれるそれは、楽器演奏者集団という意味でのバンドではなく、自慢の歌を披露するだけのヴォーカル隊でもなく、歌いながら揃いのステップを踏み、客を湧かせる存在だ。
おそらくは1950年代のフランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズを祖型に、60年代末に人気爆発したジャクソン5を起点とする、ブラック・ミュージックから生まれた伝統。命名そのものが示していた通り、ニュー・エディションはジャクソン5の後継者たらんとしていたが、その後のグループはニュー・エディションをモデルとして仰ぎ見てきた。
その意味で、NKOTBが2019年にリリースした「Boys in the Band (Boy Band Anthem)」が、とても興味深い。これは彼らの出世作『Hangin’ Tough』の30周年記念盤に収録された新曲の一つで、文字通り「boy bandの系譜」がテーマ。ジャクソン5からボーイズIIメンを経由してBTSにまで至るリリックが素晴らしい。
そのMVでは、NKOTBの面々が70年代、80年代、90年代……と各ディケイドのboy bandの典型を演じていく。最高なのは80年代の場面。NKOTBが機嫌よく公衆電話に向かって歌っているところに黒人男性3名が乱入、彼らを蹴散らし、公衆電話を持ち去ってしまう。その黒人トリオは先に言及したベル・ビヴ・デヴォーだから、つまりニュー・エディションの50%が参加しているのだ! 公衆電話が重要なのは、それがニュー・エディションが1984年に放ったヒット曲「Mr. Telephone Man」を象徴するものだから。
その「Boys in the Band (Boy Band Anthem)」から2年半強を経て実現したのが、冒頭に書いた”Battle of Boston”である。40年ほど前のボストンに端を発した諸々が、見事に美しく結実したステージだった。そのパフォーマンス中、VIP席で踊るBTSの姿が何度か映し出されたのも、これまた感慨深いのだ。そう、「boy bandの系譜」というものを考えるうえで。
Written by 丸屋九兵衛