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ザ・ウォンテッドのトム・パーカー、1年生存率40%以下の脳腫瘍と闘いながらグループを復活させたキセキ
2009年にデビューし、2014年の活動休止まで4年半の間に1200万枚の売り上げを記録した英国を代表する5人組のボーイズ・グループのザ・ウォンテッド(The Wanted)。
活動休止中の2020年、メンバーの一人、トム・パーカーが末期のガンであることを公表。1年生存率は40%、5年生存率は8%という膠芽腫(悪性の脳腫瘍)を患ってしまったのだ。闘病、癌の啓蒙活動、そして癌の研究費のために自らチャリティコンサートを企画し、そこに復活したザ・ウォンテッドが参加。その後、グループは活動を再開し、2021年11月に新曲を収録したベスト・アルバム『Most Wanted: The Greatest Hits』が発売されるまでになった。
そんなトム・パーカーの闘病と復活の軌跡/奇跡を音楽ライターの新谷洋子さんに寄稿いただきました。(Update:2022年3月30日に逝去されました)
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手術不可能な脳腫瘍
英国BBCが“トム・パーカー:ザ・ウォンテッドのシンガーが手術不可能な脳腫瘍と診断される”と大きく報じたのは、2020年10月12日のこと。ほかにも主要新聞からゴシップ誌に至るまで、国内のメディアは一斉に彼を襲った悲劇を伝えた。
思えばこれに先立つ8月にも、00年代のUKポップ界を席巻した女性グループ=ガールズ・アラウドのサラ・ハーディングが乳ガンと闘っていることを告白しており(彼女は2021年9月初めに死去)、悲報の連打に筆者も少なからぬショックを受けたが、同時にその後の反響を通じて、ザ・ウォンテッドというボーイズグループがどれほど広く愛されていたのか、改めて思い知らされた気もする。何しろ活動を休止してから早7年が経過しているので、ここでまず彼らについておさらいをしておくべきかもしれない。
大人気グループ、ザ・ウォンテッド
そのラインナップは、いずれも英国人のトム、ネイサン・サイクス、ジェイ・マクギネス、マックス・ジョージと、アイルランド出身のシヴァ・ケインズウォラン。いずれもパフォーマーを志望していた5人の青年は、オーディションを通じて2009年にグループを結成し、翌年7月にシングル「All Time Low」を全英チャートの頂点に送り込んで、華々しくデビューを果たしている。
以後、EDM寄りのキャッチーなパーティー・アンセムがウリの音楽路線に加えて、それぞれにキャラの立ったメンバーのケミストリーと少々ヤンチャなノリで支持を固め、同世代のワン・ダイレクションとボーイズグループ・ブームを牽引。地元では『The Wanted』(2010年/全英チャート最高4位)、『Battleground』(2011年/同5位)、『Word of Mouth』(2013年/同9位)の3枚のアルバムを発表し、10枚のトップ10シングルを送り出して、計1,200万枚のセールスを記録するに至った。
そしてシングル「Glad You Came」(2011年)の大ヒットで全米進出も実現したのだが、2014年1月に、ファンに惜しまれつつ活動を休止。それからは各自ソロ・ミュージシャンや俳優として活躍したり、思い思いに才能を発揮していた。
トムも様々なプロジェクトに取り組み、元々DJ兼ダンサーとして活動をしていた経験を活かしてセルフ・プロデュースのダンス・シングルをリリースしたほか、著名人たちが料理の腕を競う『Celebrity Masterchef』などのリアリティ番組に出演し、ミュージカル『Grease』にも主演。また逸早く結婚もして、2019年にケルシー夫人との間に娘が生まれ、第二子の誕生を待っていた時に、悲劇に見舞われる。かねてから体調に異変を感じていた彼はある日痙攣の発作を起こし、膠芽腫と呼ばれる進行が速い悪性の脳腫瘍を患っていることが判明。しかも、手術は不可能だと医師に告げられたのである。
突然の病魔
まだ32歳で、公私ともに順風満帆だったトムが、この知らせを受けてどれほど苦悩したのか、我々には知る由もない。そのまま病状を秘密にしておくこともできただろう。しかし彼は病気と徹底的に闘うことを選び、自分が病に冒されたことには何らかの理由があるはずだと、発想を転換。知名度や影響力を活かして、脳腫瘍の恐ろしさについて社会の関心を高め、同じ立場にある人たちを助けられないかと模索し始めるのだ。
それを可能にしたのは第一に、トムが“僕の守護天使”と呼ぶ、ポジティヴィティを体現しているかのようなケルシーほか家族の存在であり、治療の手段があまりにも限られていて、予算不足で研究も進んでいないことを知って憤りを覚えた彼は、自分の病状を公表。化学療法と放射線治療だけでなく、まだ臨床試験段階にある国民健康保険適用外の免疫療法も受けながら、SNSで経過を伝え、夫婦でメディアに積極的に登場して病気について語ると共に、とあるアイデアを暖めてStand Up To Cancerにアプローチする。
Stand Up To Cancerとは、英国のテレビ局チャンネル4とキャンサー・リサーチUK(注:癌研究を支援し癌に関する啓蒙活動を行なうチャリティ団体)が共同で運営する、癌研究の資金を募るキャンペーンで、エンタメ界のスター総出の特番でも知られる。トムはそんなStand Up To Cancerと手を組んで、自分の人脈を活かして出演者を集めて、大型チャリティ・コンサートを企画。150年の歴史を誇る芸術の殿堂、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールを会場に、ザ・ウォンテッドを復活させて自らトリを務めようという、大胆な目論見だ。さらには、コンサート当日までの彼を追う番組『Tom Parker: Inside My Head』を、チャンネル4と制作することになったのである。
10月10日に放映された『Tom Parker: Inside My Head』は、彼と同じイングランド北部ボルトン出身の名優マキシーン・ピークのナレーションのもとに、病と向き合うパーカー一家の日常をドキュメント。トムの生い立ちやザ・ウォンテッドのキャリアを辿り、彼の率直な想いを伝え、脳腫瘍にまつわる情報も随所に盛り込まれている。
と同時にこの番組は、コンサート開催を思いついた当時のトムがステージに立てるような状態にはなく、途方もなく無謀な賭けに出たことを教えてくれた。何しろ末期のガン患者であり、化学療法で髪は抜けて、やせ細り、声は枯れて弱々しく、身体機能の低下で歩くのもやっと。死の恐怖のこと、家族のことを語りながら、カメラの前で何度も涙を流す。いわゆるアイドルだった人がそんな姿をさらけ出している映像は、かつての彼を記憶している人たちにとって衝撃的でしかなかっただろう。
闘病しながらの復活コンサート
それでも、新たな目標ができたこと、ザ・ウォンテッドのメンバーとの絆を確認したことに励まされて、治療とトレーニングに勤しんだトムは、9月20日、彼の呼びかけに応じたマクフライ、シグリッド、ベッキー・ヒル、ラッパーのKSI、元ワン・ダイレクションのリアム・ペイン、エド・シーランという豪華ラインナップで満場のオーディエンスをエンターテインし、無事にコンサートを実現。ラストにいよいよ姿を見せ、ザ・ウォンテッドとして7年ぶりのライヴ・パフォーマンスを行なった。
セットに選んだのは「All Time Low」、全英チャート最高3位の「Gold Forever」、同1位に輝いたキャリア最大のヒット曲「Glad You Came」という、代表曲中の代表曲ばかり。トムの負担を軽減するためにステージにはソファが置かれていたものの、ファンの大合唱に背中を押されるようにして彼はほとんど立ったままでパフォーマンスをこなし、自分のパートを見事に歌い切った。
“ここで君と過ごした思い出を生涯心に抱えて生きる”という歌詞に感極まったのか、「Gold Forever」を歌い終えた時に泣き崩れてしまったりもしたが(しかもこの曲でトムが担当するのは“これが最後のチャンスであるかのように僕の名前を呼んでくれ/これが最後の夜であるかのように生きよう”と歌うパートだ)、ほかのメンバーは終始細やかな気遣いを見せ、中でも甲斐甲斐しかったのがマックスだ。常にトムの方向に目をやり、肩に腕を回したりキスしたりしている姿が、実に微笑ましかった。
それから2カ月を経て、ザ・ウォンテッドのベスト・アルバム『Most Wanted―The Greatest Hits』が登場(全英チャート最高8位)。グループの歴史を網羅する20の収録曲のうち、「Rule the World」「Colours」の2曲は新曲で、どちらも彼ららしいアップビートなダンスポップなのだが、殊にマックスがソングライティングに関わった「Rule The World」は、こうして再スタートを切った彼らが、自分たち自身にエールを送っているように聴こえる素晴らしいアンセムだ。
5人は一緒に歩いてきた道のりを振り返って、常に上を目指す気持ちが変わらないことを確認し、“みんなが世界を支配したがっている/でも独りでは不可能なんだ”と繰り返し歌う。分かり合える仲間、支え合える仲間がいることの計り知れない価値をかみしめている一堂の気持ちを、マックスはきっと代弁するつもりで歌詞を綴ったのだろう。
実際、アルバムのリリースに合わせてテレビやラジオの番組に続々出演している5人は、昔話に花を咲かせ、お互いを茶化し合って、たくさんの体験を共にした気の置けない仲間ならではのリラックスした空気を醸している。2022年3月には計12公演の国内アリーナ・ツアーを行なうことも発表され、目下グループはフル稼働中だ。
もちろんトムはアクティビストとしての活動にも忙しく、先頃英国の超党派の国会議員が形成する、脳腫瘍患者と研究者を支援する議員連盟のメンバーと面会したことが報じられたばかり。こんなに多忙で大丈夫なんだろうかと心配になるくらいだが、なんと、ツアーを含めて次々に新たな試みを提案しているのはほかならぬ彼なんだそうで、ほかのメンバーが呆気に取られているというのが真実らしい。逆に、忙しくしていれば病気のことを考えずに済むから、気が楽なのだと本人は語っている。
それに、病気の経過も悪くない。11月初めに受けた検査の結果、腫瘍の悪化を食い止めることに成功したという願ってもない朗報が届いた。膠芽腫の患者の60%以上が診断されてから1年以内に亡くなるとされているだけに、奇跡を起こしたとも言えるし、絶望を希望に転化して、トムはますます生きることに情熱を燃やしている。
そんな彼のスピリットが、『Tom Parker: Inside My Head』を締め括る飾らない言葉に現れていたように感じるので、最後に訳出しておきたい。それは、漫然と生きている者たちに罪悪感を抱かせかねない言葉でもあるが……。
「僕が未来に期待していること? もっと多くの時間を妻と過ごしたい、もっと多くの時間を子供たちと過ごしたい、もっと人生を生きたい。それが実現するような気がしているんです。僕の人生観はポジティヴだし、周囲の人からもらう力や勇気にもすごく助けられます。毎朝“最高の自分であろう”と思いながら目を覚まして、この先もずっとここにいるつもりですよ」
Written By 新谷 洋子
ザ・ウォンテッド『Most Wanted: The Greatest Hits』
2021年11月19日発売
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