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鳥山雄司が語るジャネットの“幻の曲”「Start Anew」と、PYRAMIDの過去/現在/未来

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現役R&Bヴォーカリストとしては、世界最高峰のひとりといってもいいジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)。そんな彼女に、1985年に日本のみで発売したシングルがあったことをご存じだろうか。ナショナル(現在のパナソニック)のビデオデッキのCMソング「Start Anew」だ。長らく忘れ去られていた楽曲だが、この度デビュー40周年を記念してリリースされた『ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-』に収録され、めでたく36年ぶりの公式音源化となった。

この曲を作曲、編曲したのは、ギタリストであり音楽プロデューサーの鳥山雄司。昨今はシティポップの文脈で、80年代初頭に発表した初期のソロ・アルバムが世界的に再評価の兆しを見せている。また、クロスオーヴァー~フュージョンの黄金期を彷彿とさせるユニット、PYRAMIDでの活動も盛んだ。ジャネットの楽曲を起点に、そのあたりの話をじっくりと語ってもらった。

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“幻の曲”「Start Anew」

――今回の再発で、初めて鳥山さんがジャネット・ジャクソンの「Start Anew」を手掛けたことを知りました。当時のことは覚えていらっしゃいますか。

鳥山:僕はすごくはっきりと覚えていますよ。「Start Anew」は1985年リリースなんですが、実はその前年に同じナショナルの「Hi-Fiマックロード」のCMにジャネット・ジャクソンが出演するから曲を書いてほしいって、CM制作会社のサーティースミュージックと電通クリエーティブから依頼があったんです。その当時、もう亡くなってしまったんですが、シンディという歌手と懇意にしていたので、彼女に頼んでいかにもジャネットが歌っているような「CITY SCREAM」っていう曲を作ったんです。この曲は僕のソロ・アルバム『A Taste of Paradise』(1985年)に収められています。

CITY SCREAM

 

――じゃあ、最初のジャネットのCMは、本人の曲ではなかったんですね。

鳥山:そうなんです。でも、そのCMを観て、当時のマネージャーだったジャネットのお父さんが、「次のCMはジャネットに歌わせよう。同じ作家、同じチームで曲を作ってほしい」って、向こうからオファーが来たんです。

――CMありきの企画ということだったんですか

鳥山:そうそう。だからジャネットには「お願いですから歌ってください」なんていうアプローチはしていないし、彼女にとっても「Start Anew」はあくまでもCMソングなんですよ。ただ、当時はタイアップありきの楽曲が多かったし、絵コンテがあって使う場所も決まっていました。それでせっかくCMソングを録るんだったら、フルサイズ録っちゃおうって、当時は予算もあったしそういう流れになったんだと思います。

――まだジャネットがヒットを出していなかった時期とはいえ、贅沢な話ですね。

鳥山:当時の広告代理店の勢いの良さみたいなものは感じますよね。しかも、バイアウトではなくJASRACにも登録しているので、ちゃんと権利処理もされているんです。ただ、原盤がよく残っていたなと思いますね。僕はそのあたりはノータッチなんです。

――「Start Anew」は鳥山さんとラルフ・マッカーシーの共作とクレジットされていますね。

鳥山:ラルフは作詞家で、サーティースミュージックのお抱え作家でした。シンディと作った「CITY SCREAM」もラルフに歌詞を書いてもらっていて、彼はテレビで流れたときにわかりやすい英語を意識して書いているんです。当時はリンダ・ヘンリックとラルフ・マッカーシーという2人が、日本における英語詞の先駆者みたいな存在だと思います。

――ラルフとはどのように組んで作ったんですか。

鳥山:曲先なので、僕が書いたメロディにラルフが後から詞を付けるという流れです。

――ジャネットに書くということに対して、何か意識されたことはありますか。

鳥山:残念ながら、当時はまだジャネットに対する意識が低かったんですよ。大ヒットした『Control』(1986年)の前ですから。おそらくデビュー当初の音源は聴いたはずですが、正直言ってあまりピンとこなかった。「ついにジャクソン・ファミリーが全員デビューするんだな」っていうくらいで。歌は「マイケルに近いな」って思っていましたね。

――サウンド作りはどのように行ったのでしょう。

鳥山:基本的にはコンピューターを使った打ち込みのサウンドですね。ただこの当時って、打ち込みの音楽を作るのにすごく時間がかかったんですよ。今だったら途中の編集のものでもハードディスクに取り込んでおけばいいんだけれど、必ずテープに録音しておかなきゃいけない。しかも、コンピューターとテープレコーダーを同期させるには、曲の頭から走らせないといけないし大変でした。だから、まだ機械と生の演奏、生楽器をいかに融合させるかっていうのが一番のテーマでしたね。「Start Anew」はたしか山木(秀夫)さんがドラムを叩いていて、あとは僕がギターを弾いています。

本当は違ったオリジナルのサウンド

――今聴くとこういったサウンドも新鮮ですね。

鳥山:ただね、これ実は僕の本意ではないんですよ。

――えっ、それはどういうことですか。

鳥山:当時は24チャンネルのPCM-3324というデジタルレコーダーを使っていたんですが、チャンネルがいっぱいになっちゃって。それでシンク信号を送って別のレコーダーを走らせるマスタースレーブというやり方をしていたんですね。それで、ジャネットが歌を入れてミックスしますっていうときに、何かの都合で僕がミックスに立ち会えなかったんですよ。そうしたら、スレーブに入っていたエレピとかいろんな音がごっそりと抜け落ちていたんです。

――そんなことってあるんですね。

鳥山:そう。それで「なんだ、これは?!」ってすごく怒ったんだけど、「だってもうプレスしちゃったもん」って感じでなし崩しになっているんです。

――それは驚きの真実ですね。でも、十分80年代らしいエレポップな仕上がりだなって思ったんですが。

鳥山:実際はもっとエレポップなんです。もし幻のマルチが残っていたら、もう一度ちゃんと作りたいくらいですね。ジャネットの歌入れもミックスも立ち会っていないし、ただトラックを作って納品しただけなので、「おいおい……」って感じになったんだけど。ただ、聴き直してみたら、今のプロトゥールスなんかと比べると半分以下のスペックなんだろうけれど、意外にいい音がしているんですよね、それなりに。

――それにしてもよく覚えていらっしゃいますね。

鳥山:すごく急なオファーで、一生懸命急いで作ったという記憶があるし、出来上がってみたら「え?」って感じだったから(笑)、それが逆に印象に残っているのかもしれないですね。

 

80年代当時の活動と現代の再評価

――1985年というと、4枚目のソロ・アルバム『A Taste of Paradise』を発表した年ですが、ご自身のソロ活動としても乗っている時期だったんじゃないですか。

鳥山:かなりサウンド志向に転換している頃ですね。デビューのきっかけは、ジャズ・フュージョンのブームに乗って、レコード会社がポスト渡辺香津美や高中正義を作りたがっている時期だったから。でも、僕自身はただギターを弾き倒すインストっていうのが面白くなかったんです。特に、2作目の『Silver Shoes』(1982年)でLAに行ってラーセン=フェイトン・バンドとレコーディングをしたときに、いろんな刺激をもらったんです。ただ、ギターを弾いているだけじゃダメだなって。

――たしかにデビュー作の『take a break』(1981年)と次の『Silver Shoes』はわりと正統派フュージョンのイメージですが、3作目の『Yuji Toriyama』(1983年)からずいぶん変化した印象があります。

鳥山:『Yuji Toriyama』は打ち込みと人間の演奏が共存する音楽がやりたくて、ハワイでレコーディングしたんです。というのも、マーヴィン・ゲイが「Sexual Healing」をレコーディングしたスタジオがあって、そこにシンクラヴィアっていう当時1000万円以上したモンスターシンセサイザーがあって、エンジニアもマーヴィンのベーシックトラックを録った人。そこで、リズムマシンのTR-808なんかも日本人がやらない、海外ならではの使い方を目の当たりにして、ものすごく刺激受けたんです。

――最近この3作目は、シティポップの文脈で海外から高く評価されることもあるようなんですが、やはりこれが分岐点になったということでしょうか。

鳥山:そうですね。わりと好調に制作していたんですが、今みたいにコンピューターをステージに置いてライヴをやるっていうのが、YMOくらい予算がないとできない(笑)。それで、4作目の『A Taste of Paradise』を作ってからは、アレンジやプロデュースの仕事にシフトするんです。

――なるほど。それだけ新しいことをやっていたんですね。

鳥山:びっくりしちゃうのは、『Yuji Toriyama』と『A Taste of Paradise』から、ロンドンのクラブDJが楽曲をチョイスしてアナログ盤が最近再発されたんですよ。あと、これもCM制作会社からのオファーで作ったレコードなんですけれど、エアロビクスって覚えています?

――エアロビクスって、レオタード着て踊るやつですよね。

鳥山:そうそう、昔テレビで5分間のエアロビクス番組があったんですよ。その音楽を全部やってくれって依頼があって、BPMを指定されるだけで、アレンジは好きにやっていいということだったので、リン・ドラムとMC4という当時のシーケンサーを使って自由に作ったんです。そのレコードがまた再評価されているみたいですね。だから最近は、そんな変な問合せばっかり来ますよ(笑)。

――ただ、当時鳥山さんが作られているサウンドが、今のDJや海外のリスナーにとっては新鮮に響くという証拠でもありますね。

鳥山:きっとソウルやR&Bが根底にあって作っていたからですね。当時はカルチャー・クラブやデュラン・デュランみたいなUKの尖がったビートがしっかりしたバンドが席巻したじゃないですか。僕らもそういった最先端のサウンドとブラックミュージックが混在しているような音楽を一生懸命に作っていた感覚はありますよね。

――海外の動向はチェックしつつ、共感を得ながら音楽制作していたわけですね。

鳥山:ジャム&ルイスはジャネット・ジャクソンの『Control』で一躍話題になったじゃないですか。その前から僕らも「ジャム&ルイスっていうのが面白いらしいんだよね」って言っていたんです。だから、やり方は違うけれど、彼らも僕らも同じ方向を向いていたことになりますよね。

 

PYRAMIDの過去、現在、未来

――80年代サウンドの中には、クロスオーヴァー、フュージョンといった音楽も再評価が著しいんですが、そういった意味ではアルバム・リリースに向けて再始動となったPYRAMIDはタイムリーかもしれません。2005年にスタートして、残念ながら昨年、キーボードの和泉宏隆さんがお亡くなりになり、鳥山さんとドラムスの神保彰さんとの2人組になってしまいました。

鳥山:3人とも高校のアマチュアバンドの仲間なんですよ。僕だけ1学年下なんですが、「3年に和泉っていうキーボードの上手いやつがいる」とか、「神保っていうドラムが上手いやつがいる」みたいな話が聞こえてきて、「じゃあ一緒に何かやってみよう」っていう感じなんですよ。PYRAMIDは高校生の当時はちゃんとコピーできなかった音楽を、しっかりとカヴァーしてみようよっていって始めたバンドなんですよね。

――じゃあ、ルーツはまさにその頃の音楽なんですね。

鳥山:クインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」とかジョージ・ベンソンの「Give Me the Night」みたいに、ディスコビートを押し出してブラス・セクションやストリングスも鳴っているゴージャスなサウンドが、僕たちの根底にあるんです。今シティポップとして再評価されている音楽も、そういった華々しいサウンドを日本人的に上手く取り入れられないかって作っていたと思うんですよね。だから、逆に今「シティポップみたいに作ってほしい」とかいわれると困っちゃいますよね(笑)。

Ai No Corrida

――実際、PYRAMIDは当初から古き良きクロスオーヴァーやフュージョンの時代を再現されていて、当時の音が好きな方なら「おおっ!」って思いますし、今の若い人たちもめちゃくちゃ新鮮に感じるはずです。DJにもアピールできると思いますし。

鳥山:昔はロックも聴いていたし、実際ディープ・パープルやエリック・クラプトンなんかもやっていましたけれど、やっぱりリズムがグルーヴしていてダンサブルなものが求められていたんです。僕らの頃ってディスコのダンス・バンドの需要がものすごくあったんですね。踊れる曲かチークができる曲か、って。

――ああ、いいですね。チーク(笑)。じゃあ、踊らせるという命題があったわけですね。

鳥山:そうそう、だから踊れることはマストなんですよ。僕はギタリストなんですけど、ソロを弾いて盛り上げるのではなく、それならカッティングして盛りあげろって感じですよね。

――たしかに鳥山さんはPYRAMIDでは頑なにカッティングしていますよね。新しいアルバムに向けて配信が始まっていますが、福原みほさんをフィーチャーした「ODORO!」なんて、まさにダンス・バンドをされていた鳥山さんならではって感じがします。

鳥山:神保くんも和泉くんも全員ディスコ・バンド経験者ですからね。シックみたいなすっと「踊ろうよ!」とか連呼しているようなダンス・チューンって最近ないじゃないですか。ハウスとかレイヴっぽいのになるのではなく、80年代っぽい感じの曲がないなって思って作ったんです。

――ちゃんとしっかり歌もので、ビートも効いてループしているみたいな楽曲ということですよね。

鳥山:そういう曲が、次のアルバムでは多いかもしれない。あとはAOR色が強かったり、ブレッカー・ブラザーズみたいな曲があったりと、かなり遊んでいます。

ODORO!(feat.Miho Fukuhara)

――9月7日に配信された「Pradise」は、Kan Sanoさんがフィーチャーされたハービー・ハンコックのカヴァーですが、こっちはメロウな雰囲気ですね。初期のPYRAMIDっぽいというか。

鳥山:どっちかというとチークに使えるかなって(笑)。元曲は『Lite Me Up』っていうジェイ・グレイドンのプロデュースのアルバムに入っていて、ハービーはシンセサイザーと歌だけでピアノを弾いていないんです。デイヴィッド・フォスターとジェイ・グレイドンのあのコンビの音を自分たちなりにできないかと思ってやってみたんです。

Paradise (feat. Kan Sano)

――アルバムが間もなく発表されますが、今回はクラウドファンディングで制作資金を募るという面白い試みをされています。

鳥山:僕らってファンクラブみたいな組織もないですし、DMを出せるツールにもなるかなって思ったんです。実際、リリースがあってお披露目ライヴをやるけれど、その程度の活動で終わっているから、今回ちゃんとやってみようって話になって。それで、クラウドファンディングをやれば、どういう人たちがファンなのか、グレーゾーンも含めて顧客の掘り起こしができる。プロモーションも兼ねてクラウドファンディングはありだなってことで始めました。自分のレーベルもあるので、通常だと限られた予算と人員でマーケティングすることになるのですが、「そうじゃなくてもいいんじゃないか」って話になって、自分たちでやろうってことになったんです。

――結果的には達成率があっという間にクリアされています。

鳥山:270%かな。嬉しいですね。今、PYRAMID CITYっていう架空の町を作っていて、クラウドファンディングしてくれた人はその街のレジデントになってもらって、レジデントには特典があるんです。また、彼らには宣伝にも参加してもらいたいなって思っています。

――そういう試みもすごく面白いですよね。鳥山さんにとってPYRAMIDはどういう存在なんですか。

鳥山:神保くんや和泉くんは、それぞれカシオペアやザ・スクエアっていうバンド経験があるけれど、僕にはなかったのでとても居心地がいいんです。いわばホームですね。でも、ホームといっておきながら、何もしていなかったので(笑)。そろそろちゃんとやらないとと思っています。

――鳥山さんにとっては、ジャネット・ジャクソンの「Start Anew」が掘り起こされ、80年代のソロ作品が世界からも注目されているというタイミングなので、PYRAMIDの再始動もタイムリーですよね。

鳥山:これまでもいろんなミュージシャンとの出会いがあって、本当にラッキーだったと思っています。PYRAMIDもそうですし、これからも若いミュージシャンなんかも含めて楽しいことをやっていきたいですね。

"ピラミッド PYRAMID " BLUE NOTE TOKYO Live Streaming 2020

Interview and Written By 栗本 斉 / Transcription By みやーん


最新ベスト・アルバム
ジャネット・ジャクソン『
JANET JACKSON Japanese Singles Collection
2022年8月24日発売
CD購入
2SHM-CD+1DVD(CD全38曲/DVD全44曲収録)

【紹介映像】ジャネット・ジャクソン ジャパニーズ・シングル・コレクション-グレイテスト・ヒッツ-【8/24発売】


PYRAMID「Pradise feat. Kan Sano」
2022年9月7日配信
iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music



 

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