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ベスト・ヴァイオリニスト:史上最高の20人のヴァイオリニストたち
ヴァイオリニストの最高峰とは?
伝説の名手から、現代の若手のスターまで、最高のヴァイオリニスト20人をご紹介。
16世紀初頭、北イタリアに、ヴァイオリンとおぼしき楽器が出現し始めた。17世紀には、ヴァイオリンはすでに独奏楽器としても器楽アンサンブルの主力としてもその重要性が確立された。そしてこの時期、イタリアではニコロ・アマティ、アントニオ・ストラディヴァリにジュゼッペ・グァルネリによる極上の楽器が製作されていたのだ。
下記に挙げる20人の偉大なヴァイオリニストたちのほとんどが、これらのうちの1人、あるいは複数の製作者による楽器の演奏経験を持つ。オーケストラの楽器の中でも最も幅広く、魅力的なレパートリーを持つヴァイオリンのために、多くの偉大な作曲家たちが、こぞって協奏曲、室内楽曲、独奏曲を書いているのは驚くに値しない。木の箱、4本の弦に弓があがれば出来ることに驚くばかりだ!
史上最高の20人のヴァイオリニストたち
20:ジェームズ・エーネス(1976-) カナダ出身
トランペット奏者とバレリーナの両親の間に生まれたエーネスは、カナダ音楽祭コンクールの弦楽器部門にて史上最年少で優勝。その19年後、カナダ王立協会の史上最年少のフェローに選出される。母国及びジュリアード音楽院で学んだ後、濃厚な音色、パワフルなヴィブラート、おおらかで率直な演奏で国際的なキャリアを歩み始めた。録音には希少でめったに聴くことのできないブルッフの協奏曲第3番とドホナーニの協奏曲から、クライスラー、ラヴェルにドヴォルザークなど、多岐にわたる魅力的な演奏がある。
19:チョン・キョンファ(1948-) 韓国出身
7人兄弟の真ん中の子供で、そのうちの4人がプロの音楽家になった家庭に生まれたチョンは、ジュリアード音楽院で学んだ後、1968年にニューヨーク・デビューを果たした。1970年にイツァーク・パールマンの代役としてロンドン交響楽団と共演したことがきっかけでDeccaレーベルと契約を結び、アンドレ・プレヴィン指揮によるチャイコフスキーとシベリウスの協奏曲の録音で高く評価された。国際的な評価を得た最初の韓国人ヴァイオリニストではないものの、チョンは最も早く極東からアメリカにわたり研鑽を積んだ、重要で大きな成功を遂げたクラシックの弦楽器奏者の一人だ。
18:ヒラリー・ハーン(1979-) アメリカ出身
驚異のヴァイオリニスト、ハーンは偉大な演奏家の一人で、4歳になる直前にヴァイオリンを始め、10歳でカーティス音楽院への入学を許された。フランコ=ベルギー、ドイツ、アメリカという異なるヴァイオリン楽派を代表する3人の教師に師事していたハーンは、モーツァルト、ロマン派のレパートリーや、熱心にとりあげる新作(ジェニファー・ヒグドンの、ハーンのために書かれた協奏曲で、ピューリッツァー音楽賞を受賞)のいずれにおいても特別にスタイリッシュな熟練の演奏を聴かせる。2021年3月にリリースされたアルバム『パリ』には、ラウタヴァーラが彼女のために書いた最後のスコア《2つのセレナード》の世界初録音が収録されている。
17:ギドン・クレーメル(1947-) ラトヴィア出身
複数の賞を受賞したクレーメルは、父と祖父のどちらもがヴァイオリニストであった。モスクワでダヴィッド・オイストラフに師事し、1970年のチャイコフスキー国際コンクールで優勝。エネルギッシュで進取の気性に富む企業家(「クレメラータ・ムジカ」音楽祭を創設)であり、新しい音楽、現代曲や忘れられた作品の演奏で知られる。300に及ぶ録音があり、影響力のあるクレーメルは、幅広い種類の音色とテクスチュアを生み出す音楽のインテリで(無駄のないサウンドに聴こえるという人もいる)、グァルネリ、ストラディヴァリウスとアマティの楽器を所有している。
16:ジャニーヌ・ヤンセン(1978-) オランダ出身
ジャンセンは、音楽家の家系に生まれた、同世代では最も偉大なヴァイオリニストの一人である。ヴィヴァルディの《四季》(2004年)の録音では、弦楽器パートごとに1人の奏者という最小の編成で演奏し、父親が通奏低音、母親がチェロを担当していることでも話題となった。2006年頃には、早くもクラシックで最も音楽配信のストリーミングで聴かれたアーティストとなった。
Deccaで録音した全アルバムの売り上げは85万枚を達成、さらにストリーミングでは1億回再生されている。昨年9月には、サー・アントニニオ・パッパーノとの共演で、ストラディヴァリウスの12挺の異なる名器を使用して録音したが、その中にはかつてフリッツ・クライスラーやナタン・ミルシテインが所有した楽器も含まれている。現在ヤンセンは、ヨーロッパの篤志家から貸与された1715年製のストラディヴァリウス「Shumsky-Rode」を使用している。
15:アイザック・スターン(1920-2001) アメリカ出身
ヴァイオリンのアイコンとして賞賛されるスターンは、クレメネツ(当時のポーランド、現ウクライナ)のユダヤ人家庭に生まれたが、生後14カ月で一家はサンフランシスコに移住した。6歳で母親から最初のピアノ・レッスンを受け、8歳でサンフランシスコ音楽院に入学。50年にわたる国際的なキャリアの間に、63人の作曲家による200を超える作品を、すべてソニー・クラシカル(旧CBSレコード)で録音し、ヴァイオリンのレパートリーの大半を網羅した。その中には《屋根の上のヴァイオリン弾き》も含まれている。スターンのバーバーのヴァイオリン協奏曲の録音は名盤だ。テルアビブには彼の名を冠した通りがあり、カーネギーホールの大講堂は、1960年代に取り壊しの危機にあったホールを救った彼の努力が認められ、1997年に彼の名前に改名されている。
14:パブロ・デ・サラサーテ(1844-1908)スペイン出身
19世紀後半に最も人気を博したヴァイオリニストのサラサーテは、パガニーニと似た華やかな名手であった。彼が作曲した《カルメン幻想曲》と《ツィゴイネルワイゼン》は、定番のレパートリーとなり、後者は1904年にサラサーテ自身が他の8つのタイトルとともに録音したのをはじめ、250回近く録音されている。サラサーテに献呈された重要な作品の中には、ヴィエニャフスキの《ヴァイオリン協奏曲第2番》、ラロの《スペイン交響曲》、ブルッフの《スコットランド幻想曲》にサン=サーンスの《ヴァイオリン協奏曲第3番》、そして《序奏とロンド・カプリチョーソ》がある。
13:ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)ハンガリー出身
最も偉大なヴァイオリニストの一人、ヨアヒムは、サラサーテとは正反対の、深淵でドイツ楽派の伝統を深く踏襲した、保守的で控えめ、シリアスな演奏家だった。彼が師事した教師は、ベートーヴェン自身の前で後期の弦楽四重奏曲を演奏した人物だ。ヨアヒムのベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》の演奏も伝説的なものであり、ヨアヒム四重奏団もまた、当時の最高峰と目されていた。ブラームスは、ヨアヒムのために《ヴァイオリン協奏曲》を書いている。ヨアヒム自身の作品は、レパートリーとしてはほとんど残っていない。彼が1903年に行った一連の録音では、録音史の中で最も早く生まれたヴァイオリニストとしての演奏を聴くことができる。
12:ニコラ・ベネデッティ(1987-)スコットランド、イタリア出身
優秀なヴァイオリニストの一人であるベネデッティは、16歳の時にBBCヤング・ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー2004で優勝して注目を集めた。その時に演奏したのは、2005年に録音も行った、シマノフスキのあまり知られていない《ヴァイオリン協奏曲第1番》であった。彼女のディスコグラフィは、スタンダードな作品(メンデルスゾーン、ブルッフなど)を、あまり知られていない新作などと絶妙にミックスしたものとなっている。2020年には、ウィントン・マルサリスの《ヴァイオリン協奏曲》と《フィドル・ダンス組曲》で、グラミー賞のベスト・クラシカル・インストゥルメンタル・ソロを獲得した。彼女の独創的な子供たちへの教育支援で、2019年にCBE(大英帝国勲章コマンダー)を受勲。
11:ナタン・ミルシテイン(1903-92)ロシア、アメリカ出身
ミルシテインは前世紀の最も偉大なロシア・ユダヤ系のヴァイオリニストで、レオポルト・アウアーに師事(おそらくアウアーの最後の弟子)し、ハイフェッツの同級生であり、学生時代にグラズノフの協奏曲を作曲家の指揮で弾いた。そして1929年のアメリカ・デビューでは、この作品をストコフスキー指揮の元、演奏した。アメリカの市民権を取得し、ロシアへ戻ることはなかった。彼が遺した名盤には、ブラームスの《二重協奏曲》(ピアティゴルスキー&ライナーとの共演)、ゴルトマルク(ハリー・ブレック指揮)及びバッハの《シャコンヌ》があり、ミルシテインは銀色に輝く音色を力強く響かせている。
10:ジョシュア・ベル(1967-) アメリカ出身
メンターであり、祖父のように慕う伝説的なジョーゼフ・ギンゴールドに師事した神童のベルは、14歳でリッカルド・ムーテイ指揮のフィラデルフィア管弦楽団と共演し、17歳でカーネギー・ホール・デビューを果たした。魂のこもった敏しょうな演奏は、数多くの極上の録音を生み出し、(特にバーバーの協奏曲、ゴルトマルクとニコラス・モウの彼に捧げられた協奏曲)や、『レッド・ヴァイオリン』、『ラヴェンダーの咲く庭で』、『天使と悪魔』などの映画のサウンドトラックへと繋がった。彼が所有するのは1713年製のストラディヴァリウス、“Gibson ex-Huberman”で、購入するのに400万ドルを支払ったという。
9:マキシム・ヴェンゲーロフ(1974-) ロシア、イスラエル出身
ヴェンゲーロフが5歳の時から師事した名教師、ガリーナ・トゥルチャニノーヴァは、"マキシムのようなヴァイオリニストは100年に一人しか生まれない“と断言した。
10歳でポーランドのジュニア・ヴィエニャフスキ・コンクールで優勝してから瞬く間に国際的な評価を獲得し、スター指揮者たちと華やかな共演を重ねた。メンデルスゾーンやブルッフの協奏曲第1番、パガニーニ、プロコフィエフにショスタコーヴィチの録音には特に定評がある。ステージでのカリスマ性と豪快なテクニックで、世界中の多くのファンを魅了している。
8:ルッジェーロ・リッチ(1918-2012) アメリカ出身
リッチはヴァイオリニストの中で最も長いキャリアを持つばかりでなく、最も幅広いレパートリーを有している。1928年にデビューし、2003年に引退したが、その間、6000回を超えるコンサートを65カ国で行い、500を超える録音を遺した。パガニーニの《カプリース》をオリジナル・ヴァージョンで録音した初めてのヴァイオリニストであり(さらに同作品を別に6回ほど録音している)、マルコム・アーノルド、ベンジャミン・リースにアルベルト・ヒナステラなど、現代作曲家の多数の作品の世界初演を行っている。
7:ユーディ・メニューイン(1916-99) アメリカ生まれ、イギリス出身
7歳でメンデルスゾーンの《ヴァイオリン協奏曲》の演奏でセンセーションを巻き起こした神童メニューインは、20世紀最高のヴァイオリニストの一人と認められている。十代の頃には国際的なセレブリティとなり、驚異的な敏捷性と強烈な感動を与える解釈で賞賛された。しかし、1979年にジャズ・ヴァイオリニストのステファン・グラッペリとデュエットの名盤を録音した後、イントネーションが安定しないなど、技術的な問題が忍び寄り、1990年代前半には演奏活動を停止した。メニューインの最も有名な録音は、1931年に15歳で作曲家自身の指揮のもと演奏したエルガーの《ヴァイオリン協奏曲》である。
6:アンネ=ゾフィ・ムター(1963-) ドイツ出身
ムターが13歳になったばかりの時にヘルベルト・フォン・カラヤンに呼ばれてベルリン・フィルと演奏したことはよく知られている。この実り多きコラボレーションの後、彼女は世界で最も有名な器楽奏者の一人となり、当時の夫、アンドレ・プレヴィンが彼女のために書いた作品や、ジョン・ウィリアムズの《ヴァイオリン協奏曲第2番》など、数々の優れた録音を残している。同時に人道を究める多くの活動も行う。ムターは1703年製のThe Emiliani と、1710年製のThe Lord Dunn-Ravenの2挺のストラディヴァリウスを所有している。
5:イツァーク・パールマン(1945-) イスラエル、アメリカ出身
偉大なヴァイオリニストの一人であるパールマンは、ハイフェッツの卓越した技術と、クライスラーの温かい伝達能力(気さくでフレンドリーな性格もどこか似ている)を合わせもっている。4歳からポリオを患い、座奏をするため、必然的に別の意味での称賛を浴びることとなった。彼のおおらかで豊かな音色と、表現力の深さは、レコーディング・スタジオにもぴったりで、ジョン・ウィリアムズのスコアによる1993年の映画『シンドラーのリスト』など、いくつかの映画のサウンドトラックでも主題歌を演奏した。1986年、ロナルド・レーガンより大統領のメダル・オブ・フリーダムを贈られている。
4:ダヴィッド・オイストラフ(1908-1974) ロシア出身
オイストラフはオデーサ(当時はロシア、現ウクライナ)で生まれた偉大なヴァイオリニストの一人。ソヴィエト連邦では高名であったにもかかわらず、スターリン政権下のため、1955年まではアメリカでのツアーが許されず、西側では世界第二次大戦後まで知名度が低かった。プロコフィエフ、ショスタコーヴィチにハチャトゥリアンが、彼のために主要な作品を書いている。雄弁で抒情的な演奏家で、呼吸とボウイングの関連性を重視した。
3:ニコロ・パガニーニ(1782-1840) イタリア出身
19世紀において、パガニーニほどヴァイオリン技術の発展に強い影響を与えた者はいない。彼の《24のカプリース》は楽器の新しい可能性を高め、彼自身も、クラシック音楽界の最初の真のスーパースターであった。そのカリスマ的な舞台での存在感と、衝撃的なパフォーマンスはショパン、リスト、シューマンにベルリオーズなどあらゆる世代の作曲家たちにインスピレーションを与えた。
2:フリッツ・クライスラー(1875-1962 ) オーストリア、アメリカ出身
20世紀前半、クライスラーほど人々に愛されたヴァイオリニストはいなかった。温かい人柄、温厚な性格や人間としての寛容さが、その音楽作りにも知らぬ間に反映されていたようだ。私たちが聴くことのできる彼の膨大な数の録音も、まるで彼自身のようだ。まるで錬金術師のように、三流の音楽でさえ(彼も実際にたくさん演奏していた)、黄金に変えてしまう。技術も素晴らしかったが、彼ほど魅力的に演奏するヴァイオリニストはいなかった。特に彼自身が作曲した音楽については、彼は特別な存在だった。
1:ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987) ロシア、アメリカ出身
多くの人にとってハイフェッツは20世紀の偉大なヴァイオリニストであるだけでなく、史上最高のヴァイオリニストだ。彼は後世の人が今なお模倣しようとするような、卓越した新しい基準をもたらした。ヴィリニュスで生まれ、早くから世界的なスーパースターとして活躍した。1917年の伝説的なニューヨーク・デビューと1920年のロンドンでの最初の演奏までの間にイギリスだけで7万枚のレコード・セールスを記録。
ジョージ・バーナード・ショーは、「こんなに超人的な完璧な演奏をして嫉妬深い神を刺激すると、若くして死んでしまう。毎晩寝る前のお祈りをするかわりに、何か質の悪い演奏をするよう、切に勧めたい。人間がこれほどまでに完璧な演奏ができると誰が思うだろうか。」と、心配する手紙をハイフェッツに書き送ったという。ハイフェッツは数十年にわたり、同世代の音楽家の中で最も高い報酬を得て、1972年に引退した。彼の演奏を冷淡で、感情が入っていないと言う人もいる。そんな人たちには、彼の録音したチャイコフスキー、ヴィエニャフスキ、コルンゴルトにウォルトンの協奏曲や、ヴィタ―リの《シャコンヌ》、ショーソンの《詩曲》、ブルッフの《スコットランド幻想曲》などを聞かせてみて欲しい。冷たい? いや、むしろ白熱の演奏だ!
Written by Jeremy Nicholas