Classical Features
ときめく365日のためのクラシックレシピ:香り×クラシック【連載第3回】
21世紀。「名盤」を聴くのも楽しいけれど、それぞれが思い思いに自分の「スタイル」で、日常のちょっとしたエッセンス――でも、それを聴くだけで目の前の世界をまるっきり新しくしてくれる魔法のように、音楽を楽しみたい。
では、自分らしいスタイルって、何?
この連載では、そんなスタイルの作り方(レシピ)を、季節ごとのプレイリストや、音楽のエピソードとともにご紹介。ご一緒に、ときめきに満ちた365日を過ごしましょう。
コラムニスト高野麻衣さんによる寄稿、その連載第3回です。(第1回/ 第2回)
一時間は、ただ一時間であるだけではない。
それはさまざまな香りと、音と、計画と、天候とに満たされた器だ。
マルセル・プルースト
10月といえば、金木犀の季節。
草花の香り、水の香り、夜風の香り、太陽の香り、そして雨の香り。季節の変化を意識していると、無意識に感じていた香りに、どんどん敏感になっていくものです。目に見えない嗅覚を呼び覚ますと、それだけで「五感」をていねいに使っている気分になりますよね。
私のお気に入りは、京都の香老舗・松栄堂が手がけるlisn(リスン)のインセンス。「日々の重なりの中に、リズムのようにさりげなく取り入れられる香り」をテーマに、自由な発想の香りを紹介してくれるアトリエのようなお店です。
10年ほど前、京都の友人に教えてもらって、この「リズムのような香り」に目覚めました。インセンスの色彩や詩のようなネーミングもすてきですが、店員さんに成分を解説してもらうことで、自分の傾向を学んでいけるのもうれしい。月一で通っては、今の自分が求めている香りを「調香」し、SNSで発信するレシピも好評をいただいています。
Lisnって、「listen(聞く)」の発音記号ですよね。そういえば、日本古来の香りの文化に「聞香」があります。嗅ぐのではなく、「心を傾けて香りを聞く」こと。目に見えないものを心の中でゆっくり味わうという意味で、香りと音楽は双子のような存在なのです。
数年前には、チェリストの友人が「音楽と調香」の関係をひも解くワークショップに招いてくれました。そこで出会ったのが、「香階」と呼ばれる「香りの音階」。
19世紀の調香師ピエスが作ったそれは、音楽に低音から高音までの音階があるように、 低いトーンから高いトーンまでの香りレベルを一覧にしたもの。7オクターヴ、46種類の香料で表現されています。
そして驚くべきことに、調香師の仕事場である調香台は「オルガン」と呼ばれているのです。「似ているな」とは思っていたけれど、こんなにも理論的に「似せていた」なんて、ちょっと衝撃でした。
なにより心に残ったのが、それぞれの香り=音が持つ志向性です。たとえばアーティストである友人は、「最も新しい音」である「シ(B)」を愛しています。たしかにいつも、エッジのきいた香り。一方、私が選ぶのはチュベローズやフリージアなど白い花の香りで、「秘密めいた庭園」を志向する「ファ(F)」に偏っていたのです。
「ファ(F)」をヘ長調と考えると、ピアノ教室で夢中になって練習したバッハの《イタリア協奏曲》やランゲの《花の歌》、モーツァルトの歌曲やラヴェルの弦楽四重奏曲など、大好きな音楽が心に流れ出します。ヘ短調に「小公女セーラ」のオープニングテーマや加古隆〈パリは燃えているか〉といった、幼少期に強い影響を受けた楽曲が並ぶのにも震えました。
本能的に選んでいた、というのが重要ですよね。直感で好きなものは、やはり自分の核なのです。あなたの好きな香り、そして音楽には、いったいどんな相棒がマッチするのでしょう。
秋を彩る第3回のテーマは「香りと音楽」。プレイリストを聴きながら、ぜひお手元の香りを味わってみてください。
1.ドビュッシー:前奏曲集 第1集より 第4曲:音と香りは夕暮れの大気に漂う
オープニングテーマ。
香りといえばフランス。名作ぞろいの《前奏曲集》より、クラシック随一の香りを誇る1曲を。原題Les sons et les parfums tournent dans l’air du soirの時点ですでに香り高い。この題名は、詩人ボードレールの『夕べの諧調』の一節。流動的なリズムや和音が、空気中に漂う香りのイメージを映し出す。
オリジナルの香水制作で知られるファビオ・ルイージを筆頭に、現代の音楽家たちも香りを深く愛している。
2.モーツァルト:ピアノ・ソナタ K.545より 第2楽章
ド(C):落ち着きと正統的な雰囲気、フレッシュな花々、重厚な香木。香調は「フローラル/ウッディ」
代表的な香り:ローズ、サンダルウッド
すべての基調であるドの音にあたる香りは、王道のローズ。作曲家自身が「初心者のための小さなソナタ」と記した、なつかしい教則本の1曲と合わせてみる。モーツァルトとサンダルウッド(白檀)は、リセットして整えるための個人的必須アイテム。
3.オッフェンバック:歌劇《ホフマン物語》より〈美しい夜、おお、恋の夜よ〉
レ(D):甘さと辛さの二面性、スパイシー。香調は「スパイス」
代表的な香り:バイオレット、バニラ
「二面性」がキーワードのニ長調のこの曲は、〈ホフマンの舟歌(バルカローレ)〉という牧歌的イメージで語られがちだが、じつはヴェネツィアの歓楽街の女ジュリエッタと女神が歌う、妖しい恋の二重唱。死の影がよぎる歌詞のとおり、ホフマンを誘惑した彼女は、幕切れで口封じのため殺されてしまう。青年ホフマンの恋は、いつも甘くて苦い。
4.バッハ:ヴァイオリン協奏曲 第2番より 第1楽章
ミ(E):さわやかな田園風景の伸びやかさ、シトラス。香調は「シトラス/グリーン」
代表的な香り:オレンジ、シトロン
朝食のテーブルで味わう柑橘のような、ホ長調のコンチェルト。ヴァイオリンでは最高開放弦のE線が主音になるので、響きが輝かしく、希望に満ちている。ヒラリー・ハーンの凛とした音がぴったり。
5.モーツァルト:歓喜に寄す
ファ(F):清潔感のある生花の香り、庭園の秘密めいた空気。香調は「フローラル」
代表的な香り:チュベローズ、アンバー
ヘ長調特有の清潔感と、親密な空気感が漂うこの曲は、12歳のモーツァルトによる最初の歌曲。ウィーンへの演奏旅行で天然痘のパンデミックに遭遇した姉弟のため、治療に尽力した医師ヴォルフに献呈された。
6.エルガー:夜の歌
ソ(G):日々の幸せや若々しさ、無邪気さ、春や実りを想像させる雰囲気。香調は「フルーティ・グリーン」
代表的な香り:ネロリ、マグノリア
シャルパンティエが「甘い歓び」と語ったト長調の名曲。ト長調には軽く、流れるような響きの室内楽が多いが、ピアノが奏でる落ち着いた伴奏によせて、ヴァイオリンがため息のような旋律を奏でる。
7.O frondens virga
小休止。注目のメゾソプラノ、エミリー・ダンジェロの新譜『Enargeia』から1曲。
女子修道院長にして“中世最大の賢女”ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの聖歌を聴いていると、礼拝堂の静けさとフランキンセンス(乳香)の香りが甦るようだ。
8.サン=サーンス:《序奏とロンド・カプリチオーソ》より〈序奏〉
9.サン=サーンス:《序奏とロンド・カプリチオーソ》より〈ロンド・カプリチオーソ〉
ラ(A):異国の高貴な雰囲気、基調な樹脂や香木。香調は「オリエンタル/ウッディ」
代表的な香り:トンカビーンズ、ラベンダー
「異国の高貴さ」を彷彿とさせるイ短調のこの曲は、フランス近代音楽の重鎮サン=サーンスが、スペイン出身の名ヴァイオリニスト、サラサーテのために書いた名曲。謎めいた序奏の後に、アレグロ・ノン・トロッポの情熱的なロンドが続く。
10.サン=サーンス:歌劇《サムソンとデリラ》より〈あなたの声に心は開く〉
同じくサン=サーンスで、イ長調の名曲を。旧約聖書のサムソンの物語をベースに、誘惑する女と破滅する英雄を描いたオペラの白眉となるアリア。イスラエルを舞台にした異国情緒はもちろん、「牧歌的な美の裏の攻撃性」というイ長調の特徴が、物語を暗示する。
今回は、デリラやカルメンといった当たり役で知られる人気メッゾ、エリーナ・ガランチャのベスト盤『Romantique』からセレクト。
11.ヨハンソン:フライト・フロム・ザ・シティ
新しい世界への助走。
2018年、若くして亡くなったアイスランドの作曲家ヨハン・ヨハンソンの代表作。静かにループする美しい旋律とともに、新世界へと飛び立ちたい。
12.ショパン:ノクターン Op.62-1
シ(B):複雑で新しさを感じる香り、次の世界へ行く音(導音)。香調は「スパイス」
代表的な香り:シナモン、ペパーミント
ショパンが好んだロ長調は、19世紀初頭まではほとんど演奏されない「新しい響き」だった。おそらくピアノという楽器の発展とも関係があり、運指のしやすさから、ショパンが生徒に音階を教える時にはロ長調からはじめたという。
香りに置きかえるなら、新世界を象徴するスパイス。新しい香り、そして音楽を求めて旅立つ人を、祝福するような1曲だ。
Written by 高野麻衣
Profile/文筆家。上智大学文学部史学科卒業。音楽雑誌編集を経て、2009年より現職。
クラシック音楽とマンガ・アニメを中心に、カルチャーと歴史、人物について執筆・講演。
著書に『フランス的クラシック生活』(ルネ・マルタンと共著/PHP新書)、『マンガと音楽の甘い関係』(太田出版)、コンピレーション企画に『クラシックの森』(ユニバーサル ミュージック)など。
11月27日、原案・脚本を担当した朗読劇『F ショパンとリスト』が上演される。
https://stage-chopinandliszt.com/
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