Join us

Classical Features

マーラーの聴くべき作品10選:《大地の歌》や《復活》などを含む名曲選

Published on

交響曲第2番(《復活》)、交響曲第5番など10曲の名曲を収録したベスト・マーラー・セレクションをご覧ください。

グスタフ・マーラー(1860年7月7日~1911年5月18日)は、間違いなく20世紀初頭の、最も捉えどころのない、論争の的となった人物の一人である。彼の音楽は、心理的な要求を満たし、心を揺さぶり、ポスト・ロマン派の旋風を巻き起こす。彼の聡明で潔癖な音楽的思考は、正統派を嫌い、限りなくロマン派的な精神と相まって、反体制的で奔放な最高級の作曲家として歴史にその名を刻むことになったのである。

彼は自分の音楽を包括的なものにしようと努め、幅広い宇宙的概念、人生の意味、死の必然性を、抒情、民謡、調性の探求、不気味さ、コラール、そして圧倒的な演奏能力とどうにかして融合させたのである。このページでは、マーラーの代表作を10曲ご紹介する。今日に至るまで、彼の音楽は音楽家の意見を二分している。あなたが彼のことを好きでも嫌いでも、マーラーのウサギの穴に入った後は、お茶を飲んでゆっくりすることを強くお勧めする…。

マーラーの聴くべき作品10選:《大地の歌》や《復活》などを含む名曲選
交響曲 第2番《復活》

マーラーの交響曲第2番は、最もパワフルで刺激的な交響曲の一つである。合唱、巨大な弦楽器セクション、オルガン、管楽器と金管楽器の倍音、教会の鐘と7つのティンパニを含む多くの打楽器、そしてソプラノとアルトのソリストがオーケストラと一緒に登場する、当時(1895年)では前例のない規模の作品であった。

この交響曲はマーラーの最高傑作の一つであり、その絶大なパワーと痛烈さは他の追随を許さない。「復活」というニックネームは、マーラー自身が第5楽章に加筆した、フリードリヒ・クロプシュトックによる賛歌「復活」に由来している、その結びの言葉は「生きるために私は死のう/再び立ち上がれ、そう、再び立ち上がれ」である。

交響曲 第8番《千人の交響曲》

マーラーの交響曲に対する考え方はシンプルで、「大きければ大きいほど良い」というものだった。1910年の初演では、まさにそれが求められたため、マーラーの交響曲第8番は「千人の交響曲」と呼ばれるにふさわしいものであった。演奏者は8人のソリスト、2つの混声合唱団、児童合唱団を含む858人の歌手、171人の器楽奏者から成る。

また、中世ラテン語の賛美歌「来たり給え、創造主なる聖霊よ(veni creator spiritus)」やゲーテの『ファウスト』からインスピレーションを得た、死と創造に焦点を当てた密度の高いテーマは、マーラーの真骨頂である。この記念碑的な交響曲の、非常に暗い、厳しいスコアは、まさに天才的なもので、クラシック音楽の正典の中でこれとまったく同じものは他にない。

交響曲 第5番

マーラーの最高傑作の一つである交響曲第5番(1902)は、マーラーの他の交響曲に比べると、やや型にはまった作品である。この曲では、それまでの交響曲のような物語的なプログラムや巨大な声楽のテクスチャーを用いておらず、ほとんど自伝的なアプローチで作曲されている。1901年に大病を患った後、1902年にアルマ・シンドラーと結婚したマーラーが、この2つの人生を変える出来事を音楽的に表現したのがこの第5番である。

第5番は、典型的なマーラー節で書かれており、〈葬送行進曲(Trauermarsch)〉で始まるが、すぐに明るい雰囲気になる。その中心にあるのが第4楽章のアダージェットで、アルマへのラヴレターとなっている。この美しい楽章は、少ない演奏者数、繊細な弦楽器、高く舞い上がるロマンティックなハーモニーによって、生の、本物の感情に突き動かされているのだ。

大地の歌

中国語から翻訳された6つの詩(『中国の笛』)に基づき、生命、自然、美、死といった実存的な問題を扱っている。この魅惑的なスコアは、無数の感情の中を旅し、慎重な楽観主義が苦味、闘争、諦めの受容と対照を成す。テノールとコントラルトのソロが奏でる豊かな音色は、「闇は生であり、闇は死である」という強烈なフレーズに続き、五音音階によって彩られた陰鬱なオーケストラの伴奏にしっかりと根を下ろしている。

交響曲 第9番

マーラーは、1909年に最後の交響曲を完成させる。このとき彼は心臓病を患っており、自らの死が間近に迫っていることを悟っていた。この曲は、マーラーの別れの曲とされることが多い。ベートーヴェンの《告別》ソナタからの引用や、第1楽章の不規則なリズムは、かつてバーンスタインがマーラーの心臓の不規則で破綻したリズムを表していると示唆したように、この曲は信じられないほど感動的な作品となっている。終楽章はゆっくりと引き延ばされ、次第に弱まっていき、最後の小節には「死に絶えるように(ersterbend)」と記されている。

亡き子をしのぶ歌

マーラーが幼少期に亡くした8人の兄弟へのオマージュとして、おそらく最もよく理解されるのが、この5曲のセット《亡き子をしのぶ歌》であろう。マーラーは、2人の子どもを亡くした悲しみを描いたリュッケルトの428の詩から5篇を選びテキストにしている。苦悩と悲惨さが目に見えるようだが、これらの作品にはほとんど透明感がある。まばらで剥き出しの質感が不協和なハーモニーに引きずられ、不満足な解決を見出す。

マーラーは、《亡き子をしのぶ歌》を作曲した4年後に、4歳の娘マリアを猩紅熱で亡くしており、悲劇的なことに、これは自己実現的予言となった。、心苦しく感情的だが、作曲家マーラーだけでなく、マーラーという人間を理解するためには必要な聴き方である。

交響曲 第1番《巨人》

マーラーは、生から死、自然、個人のトラウマ、哲学的思考まで、無数のアイデアを網羅したこの交響曲のデビュー作に、思いつくかぎりの考えすべてを注ぎ込んだのである。マーラーは後にその意味の普遍性を限定することを望まず、自分で付けたタイトルを削除した。この画期的なシンフォニーには、いくつかの注目すべき点がある。

第1楽章は、オーケストラ全体が7オクターヴで奏でる単音で始まり、軽快な民謡調の曲で幕を開ける。特に第1楽章と第2楽章の間の5分間の休憩では、マーラーは「虚無の顔を見つめるように」と指示している。第3楽章の素材にお気づきの方もいるだろう。無邪気なフランス民謡「フレール・ジャック」の曲を、荘厳で不気味な行進曲に変容させられるのはマーラーだけだ。それからオーケストラが解き放たれ、実に騒々しいフィナーレを迎える。

ピアノ四重奏曲 イ短調

現存する唯一の室内楽曲であるマーラーのピアノ四重奏曲は、彼がウィーン音楽院に入学した最初の年である15歳ごろに書かれたもので、彼の作曲活動の初期段階を知ることができる。交響曲の影に隠れてしまいがちなこの曲は、隠れた名作といえるだろう。悲しげで大らかな叙情性、複雑な不協和音、ヴィルトゥオーソ的な楽器の競演など、マーラーの劇的な強さの始まりをここに聴くことができる。このピアノ四重奏曲は、マーティン・スコセッシ監督による2010年の映画『シャッター アイランド』のサウンドトラックにも収録されている。

交響曲 第6番《悲劇的》

この曲には「悲劇的な交響曲」というサブタイトルがついているので、シートベルトを締めるべきだ。悲劇と格闘しながらも勝利していく前作とは異なり、第6番の結末は、ほとんど危険を感じるほど絶望的な表現である。有名なのは、3度鳴らされる、ハンマーを使った「運命の一撃」で、金属の冷たい打撃がオーケストラに響く。おそらく、すべての交響曲の中で最も感情を揺さぶるが、素晴らしくマーラー的な作品である。

交響曲 第3番

マーラーは、交響曲第3番までに、細部にこだわり、膨大で複雑な作曲スタイルを磨き上げていた。この交響曲は、作曲者自身の言葉を借りれば、自然への壮大な頌歌であった。「進化のすべての段階を、段階的に上昇させる。無生物的な自然から始まり、神の愛へと昇華していくのである」。マーラーは、この交響曲の型破りなほど遅いフィナーレで、再び声色とテクスチャーを使用している。しかし、6つの輝かしい楽章があり、複雑な名人芸が要求され、90分強の長さ(第1楽章だけで半分を占める)なので、最後まで聴くにはかなりの体力が必要であろう。しかし少しの辛抱してほしい。頂上からの眺めは最高だから。

Written By uDiscover Team



Share this story
Share
日本版uDiscoverSNSをフォローして最新情報をGET!!

uDiscover store

Click to comment

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Don't Miss