Classical Features
ブラームスの聴くべき作品ベスト10:バッハ、ベートーヴェンと“ドイツ3大B”とされる作曲家の名曲選
ロマン派の時代を代表する作曲家の1人であるブラームスが残した最高傑作とも言うべき交響曲、協奏曲、そして珠玉のピアノ作品10選
ブラームス(1833年5月7日~1897年4月3日)は2つの顔を持つ作曲家だ。それは過去の音楽を振り返る顔と同時に音楽の未来を見据える顔である。彼はハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンといった古典派の作曲家の原点に立ち戻り、それらを復活、発展させたが、そのためにリストやワーグナーに代表されるような“新しい音楽”から保守的な音楽であると排除されてしまった。ただし、モチーフの展開や変奏で見せた彼の驚くべき能力はついにはシェーンベルクに影響を与えるに至っている。
ブラームスは、ベートーヴェンのダイナミズム(力強さ)、シューベルトのリリシズム、ドイツ民謡への愛、そしてバロック音楽の厳格な対位法への精通、といった全ての要素を豊かな芸術に統合した驚くべき才能の持ち主なのである。このような彼の創作活動は、現代の音楽の世界におけるワーグナーの創作活動同様、極めて重要なものだ。
ロマン派の申し子、ブラームスは古典派の構造に対する深い理解を土台に、革新的な運動「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)」の主要原則を自らの芸術に織り込んでさえいる。また、彼はバロック様式にも造詣が深く、中でもシュッツ、ガブリエル、そしてヘンデルといった作曲家の作品に対して強い興味を持ち、伝統に対する深い敬意を払っていた。これはブラームスの時代の作曲家にあってはとても珍しいことであった。
Symphony No.1
交響曲 第1番
交響曲第1番が完成した1876年当時、ブラームスはすでに安定した音楽人生を歩んでいた。シューマンから「ベートーヴェンの偉業を引き継ぐ」運命にあると予言されていたブラームスはそのことを意識し、怖れすら抱いていた。そして43歳を前に初めての交響曲が初演を迎えることとなったのである。
この頃、リストやワーグナー、そして彼らの支持者たちは、交響曲という壮大な形式の中で語ることのできることの全てはすでにベートーヴェンによって語られた、と感じていた。それだけに1876年のブラームスの交響曲第1番の初演は、1860年代初頭に構想を得てから、長く、厳しい生みの苦しみを経ての大きな出来事であった。
Symphony No.4
交響曲 第4番
ブラームスの最後の交響曲は、知的な厳しさと愛情深い温かみを兼ね備えている。これは彼の後期の作品において顕著になっていった特徴であり、ブラームスの告別の楽章となった最終楽章にはバッハの音楽から発想を得た主題の変奏曲が並び、クライマックスを迎える。
この交響曲に私たちは19世紀の最も暗く、最も深い音楽を聴くことができ、ブラームスの交響曲第1番から第4番への旅路は楽観主義から悲観主義への旅路でもある。
Piano Concerto No.1
ピアノ協奏曲 第1番
ブラームスにとっての最初のピアノ協奏曲が作曲されたのは1858年のことであり、初演はその翌年ハノーファーで行われた。このピアノ協奏曲第1番は初演において信じがたいほどのブーイングを受け、当時の聴衆からは散々の評価を受けることとなった。
しかし、今では世界中で愛され、最も演奏される回数の多い、ピアノ協奏曲の傑作の1つと認知されている。
Violin Concerto
ヴァイオリン協奏曲
ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、1878年に、最も親しい友の1人であるヨーゼフ・ヨアヒムのために作曲された。ヨアヒムは当時、「ヴァイオリニストの王」として知られていた。これはブラームスの完璧主義を示す作品であると同時に、感情の嵐渦巻く初期の作品と秋の美しさと寛容さあふれる晩年の作品の間で作曲された音楽である。
ヴァイオリニストにとってこの作品は大変な挑戦であるが、自尊心のあるヴァイオリニストならば、挑戦せずにはいられない作品でもある。
Piano Quintet In F Minor
ピアノ五重奏曲 へ短調
ジャンルに関係なく、数あるブラームスの素晴らしい作品の中で、このピアノ五重奏曲はもともとチェロを2つ重ねた五重奏曲として産声を上げた。
その後、「2台のピアノのためのソナタ」を経て、「ピアノと弦楽のための五重奏曲」へと進化したのである。この作品を聴いた指揮者のヘルマン・レーヴィ(*1839₋1900、ドイツの指揮者)はブラームスへの手紙で「この五重奏曲は計り知れないほど美しい、室内楽の最高傑作だ」と記している。
Ein Deutsches Requiem
ドイツ・レクイエム
1865年、ブラームスは母親の死に大変なショックを受けた。その彼の代表的な合唱音楽が《ドイツ・レクイエム》である。これは人の一生と死後の世界に対する叙情詩のような壮大な瞑想とも言え、母親、そして彼を献身的に支えてくれた亡きロベルト・シューマンへの追憶から作曲された。
初演は1868年にブレーメンで行われ、間もなくヨーロッパ各国で上演され、《ドイツ・レクイエム》はブラームスの国際的な知名度の礎となったのである。
Hungarian Dances
ハンガリー舞曲
知的で、堅物なところのあるブラームスでさえ、時にはリラックスすることはある。1852年から1869年にかけて作曲された《ハンガリー舞曲》は、聴いたら忘れられないような魅力的で多様な舞曲21曲からなる。これらはブラームスの作品の中でも最も人気があり、その多くはハンガリー音楽をテーマとしている。
Variations On A Theme By Haydn
ハイドンの主題による変奏曲
ハイドンのディベルティメント変ロ長調の中に見いだした〈聖アントニーのコラール〉の旋律を主題に用いて、限りなく機知に富み、とても魅力的な変奏曲をブラームスは作曲し、その最後は荘厳なパッサカリアで締めくくられる。
一部では、これが音楽史上初のオーケストラのための変奏曲集だとされているが、このような管弦楽版の変奏曲集はこれより前に1つは存在している。
Klavierstücke op. 116-119
クラヴィーアシュトゥッケ(4つのピアノ小品集)作品116₋119
(*幻想曲作品116、3つの間奏曲作品117、6つのピアノ小品作品118、4つのピアノ小品作品119)
クララ・シューマンに献呈された《4つのピアノ小品集》は、大変多くの人から愛されるブラームスのソロ・ピアノ曲集である。
ピアノはブラームスが彼自身の内面や奥深い音楽の世界を最もよく表した楽器でもある。彼のすばらしい偉業は、この最後の4つのピアノ小品集の1ページ、1ページに祀られているかのようでもある。
これらは全て同じ年、1892年に作曲されているが、ここでは情熱とやさしさが最小単位の作品たちの中で融合している。
Four Serious Songs
4つの厳粛な歌
ブラームスは間違いなく、全てのリートの作曲家の中で卓越した存在であった。
そしてその彼の作品の中で、《4つの厳粛な歌》ほど、身を引き裂かれるような感情と人を惹きつけずにはおかない能弁さを持ち合わせた作品は他にない。
Written By uDiscover Team