ナイン・インチ・ネイルズの遍歴と名曲:トレント・レズナーが生み出した音の渦と革命的な闇

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Photo: Ebet Roberts/Redferns

妥協のないインダストリアル・ロック・バンドとしてスタートしたナイン・インチ・ネイルズ(Nine Inch Nails)は、数十年のあいだにさらに複雑な存在へと進化していった。ナイン・インチ・ネイルズのベスト・ソングは、その奥底に闇を抱える傾向にある。しかし、トレント・レズナーは、できる限りあらゆる角度からその闇を探求してきた。指針というものがあるとすれば、ただひとつ。それは、音作りの細部にまで行き渡った強いこだわりである。そのこだわりは、強迫観念にも近いものがある。

1965年5月17日生まれのトレント・レズナーは”The Mistake By The Lake/湖のほとりのミステイク”と呼ばれていた時代のクリーブランドに育ち、やがて音楽の世界に入った。幸運なことに、彼はミュージシャン、ソングライター、プロデューサー、そしてもちろんフロントマンとしての才能に恵まれていた(ちなみにレズナーが最初にインスピレーションを受けたのは、意外なことにプリンスだったという)。

その驚くべきキャリアの中で、ナイン・インチ・ネイルズを率いるトレント・レズナーは多くのコラボレーションを行い、最終的にはアッティカス・ロスが正式なバンド・メンバーとなった。彼の独特のダークなビジョンは、どういうわけか、ポップ・シーンで大きな成功を収めた。さらに言えば、初期のころは、楽曲がよりダークでジャンルを越境するようなになればなるほど、反響も大きくなっていたように思える。しかし、今回のナイン・インチ・ネイルズのベスト・ソング・リストが示すように、レズナーの作品は大ヒットした作品だけでは語り尽くせない重要性を持っている。

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衝撃的デビューアルバム『Pretty Hate Machine』

1988年にナイン・インチ・ネイルズを結成した当時、レズナーが考えていたグループのコンセプトは、インダストリアル・ミュージックのよりダークなサブジャンルに基づいていた。それはスロッビング・グリッスル、ミニストリー、ゲイリー・ニューマン、デペッシュ・モード、オーストラリアのフィータスといったパイオニアたちが切り拓いた新しいジャンルで、代表的な担い手はネットワーク・レーベルやワックス・トラックス・レーベルのアーティストやグループだった。

そのころのテクノロジーの進歩により、レズナーはほかのミュージシャンに頼らなくても、より簡単に自己表現ができるようになった。そしてその結果、この時代のナイン・インチ・ネイルズの楽曲は、苦悩とサンプラー技術の組み合わせで音響的な破壊行為を達成しようとするあらゆるバンドにとってまたとないお手本となったのである。

いくつかのバンドで演奏し、クリーブランドでさまざまな仕事をこなしてきたトレント・レズナーは、やがてライト・トラック・スタジオでアシスタント・エンジニアとして働くことになった。レズナーがナイン・インチ・ネイルズの革命的なデビュー・アルバム『Pretty Hate Machine』のレコーディングをスタートさせたのは、このレコーディング・スタジオでのことだった。スタジオのオーナーとの約束で、レズナーは終業後に、同スタジオで自分の作品作りに取り組むことが許されていたのである。

1989年にリリースされた『Pretty Hate Machine』は、唸るようなドラム・サンプルとシンセを中心としたヘヴィなアレンジで、強烈な音の渦を撒き散らしていた。ディスコとパンクのあいだに生まれた落とし子のように、ナイン・インチ・ネイルズはメインストリームの首根っこを掴んで離さないまま、ダークで威嚇的な曲を作り上げた。そこには1980年代後期にはタブーとされていた下劣な歌詞も時には含まれていた。

自主レーベルからリリースされたこのデビュー・アルバム『Pretty Hate Machine』には、今もなおナイン・インチ・ネイルズのベスト・ソングのひとつに数えられている「Head Like A Hole」や「Down In It」といったトラックが収録されている。こうした作品の人気に後押しされ、レズナーは大型フェスであるロラパルーザに出演。1991年に行われたガンズ・アンド・ローゼズのヨーロッパ・ツアーではオープニング・アクトを務め、MTVではナイン・インチ・ネイルズのミュージック・ビデオがたびたび放送されるまでになった。

EP『Broken』と代表作『The Downward Spiral』

メジャー・レーベルであるインタースコープとのレコーディング契約の獲得から間もなく、レズナーは契約先との合意を得た上で、自身のレーベル、ナッシングからEP『Broken』をリリースした。『Broken』では、『Pretty Hate Machine』にもレコーディング・エンジニアリング及びプロデューサーとして関わっているマーク・”フラッド”・エリスとエイドリアン・シャーウッドがプロデュースを担当した。ここでレズナーはナイン・インチ・ネイルズのコンセプトをより絞り込んでみせている。

「Wish」や「Happiness In Slavery」といったトラックは、ナイン・インチ・ネイルズのベスト・ソングの中でもとりわけ注目すべき作品だ。これらのトラックには、耳を引き裂くようなリフ、絶叫するヴォーカル、そしてオーケストラによる美しい間奏がちりばめられている。このEPで、ナイン・インチ・ネイルズはアンダーグラウンドの英雄から世界的な人気グループへの完璧な変貌を成し遂げている。

1994年、ナイン・インチ・ネイルズは地球上で最も話題のバンドのひとつになっていた。そして同年3月8日、待望のアルバム『The Downward Spiral』がリリースされた。同作はナイン・インチ・ネイルズの代表作と見做されているが、それだけにとどまらないアルバムだ。計14曲を収録したこの壮大なアルバムを聴くと、多彩なジャンルを自在に行き来するレズナーの才能を強く感じ取ることができる。

ニルヴァーナやサウンドガーデンは、『In Utero』や『Superunknown』といったアルバムを通じ、強烈なカタルシスと生々しい感情にあふれた音楽をヒット・チャートに送り込んだが、『The Downward Spiral』は、リスナーをはるかに不穏な場所へと導くアルバムになっていた。

同作に収録されている「March Of The Pigs」や性的に逸脱した「Closer」といったシングルは、ポップ・カルチャーのメインストリームに浸った世代の口の中に独特の中毒性のある後味を残した。このアルバムにはまた、痛切な名曲「Hurt」も含まれている。これは単にナイン・インチ・ネイルズのベスト・ソングのひとつであるというにとどまらない重要作で、カントリー・ミュージックを代表するミュージシャン、ジョニー・キャッシュにも、のちにカヴァーされている。

数々のとてつもない仕上がりのミュージック・ビデオの効果も相まって、『The Downward Spiral』はナイン・インチ・ネイルズが進んでいく道を作り上げた。そして、その先には世界的なスター・ミュージシャンというポジションとプラチナ・セールスが待っていたのである。

『The Downward Spiral』のレコーディングは、1969年にハリウッド女優シャロン・テイトがチャールズ・マンソンの”ファミリー”に惨殺されたことで知られる邸宅で行われている。このアルバムは、1990年代のダークな音楽を象徴する作品になったが、レズナーは、その成功を喜ぶ代わりにコンサート・ツアーを続け (その中には、デヴィッド・ボウイと行った、記念すべきジョイント・ツアーも含まれていた) 、3枚目のスタジオ・アルバムのレコーディングに着手すべく、彼は新曲を書き続けた。

ニュー・アルバムが完成するまでのブランクを埋めるために、1995年には『Further Down The Spiral』というリミックス・コレクションもリリースされた。またレズナーは、オリバー・ストーン監督の物議を醸した問題作の映画『ナチュラル・ボーン・キラーズ』やデヴィッド・リンチの奇妙な作品『ロスト・ハイウェイ』のサウンドトラックの制作にも関わっている。この2本の映画は、どちらもナイン・インチ・ネイルズの新曲をフィーチャーしていた (前者には「Burn」、後者には「The Perfect Drug」が使用されている)。

 

魅惑的な2枚組アルバム『The Fragile』

20世紀が終わりを迎えたころ、魅惑的なダブル・アルバム『The Fragile』がリリースされ絶賛を浴び、このアルバムによってナイン・インチ・ネイルズはさらに高いレベルの尊敬と評価を集めることになった。インダストリアル・ミュージックの中で画期的な作品と見なされている『The Fragile』は、複雑でメランコリックな音楽体験を提供してくれる。

個人的な危機の時期に書かれた「The Day The World Went Away」や名曲「We’re In This Together」などは、無力感に満ちた歌詞を非常に力強い歌声に包みながら表現している。その一方で「Starfuckers, Inc」では、人生の暗い時期にレズナーが忌み嫌うようになった人々に対する感情があらわになっている。

また「La Mer」と「Into the Void」は、彼の幅広い音楽性が反映された曲だ。前者はホワイトノイズのクライマックスに向けて構築されたインストゥルメンタルな軽快さが多く、後者はどこか鬱々としていて、怠惰で、ファンキーさが感じられる。

ナイン・インチ・ネイルズでのツアーとレコーディングを続けながら、レズナーはリミックスアルバム『Things Falling Apart』(2000年)を世に送り出したが、その後は次のアルバムの曲作りに専念した。その成果は2005年に『With Teeth』としてようやくリリースされている。

『With Teeth』と『Year Zero』

人生で最も困難な時期を経験したレズナーは、『With Teeth』ではより親しみやすいサウンドを聴かせてくれた。個々の楽器は「The Hand That Feeds」や「Every Day Is Exactly The Same」などの曲では判別しやすくなった。またゲスト・ドラマーのデイヴ・グロールは全体で確かな存在感を放っている。この時期のナイン・インチ・ネイルズはこれまでよりもはるかに有機的な音楽ユニットになっていた。

それからちょうど2年後、『Year Zero』はナイン・インチ・ネイルズのカタログの中で初のコンセプト・アルバムとして登場した。ここにはレズナーのそれまでの鬱屈した作風から離れた楽曲が満載されており、オープニングの「Capital G」と「The Beginning Of The End」は、高揚感さえ感じられた。

 

サウンドトラック、さらにその先へ

その後、レコード・レーベルとの契約から解放されたレズナーは、2008年にリリースした『Ghosts I-IV』でさらにその作風を広げた。同作は全36曲のインストゥルメンタル・ナンバーで構成されていた。それからわずか数ヶ月後、ナイン・インチ・ネイルズの7枚目のスタジオ・アルバム『The Slip』がリリースされた。このアルバムは従来の流れに則った「Discipline」や「Echoplex」のようなよりテンポの速いメロディックな楽曲に加え、より内省的な作品も収録されている。

それからの数年間、レズナーは映画への楽曲提供に集中し、2010年には作曲家仲間のアッティカス・ロスと共作したデヴィッド・フィンチャー監督作品『ソーシャル・ネットワーク』でアカデミー賞を受賞。2012年には『ドラゴン・タトゥーの女』でグラミー賞を受賞し、ケン・バーンズの10部構成のドキュメンタリー『ザ・ベトナム・ウォー(The Vietnam War)』でも音楽を担当している。また、レズナーは妻のマリキーン・マンディグ、アッティカス・ロスと共にハウ・トゥ・デストロイ・エンジェルスというプロジェクトも行っており、2013年にはアルバム『Welcome Oblivion』が発表された。

2013年の『Hesitation Marks』では、「Copy Of A」や「Came Back Haunted」などでナイン・インチ・ネイルズのスタイルを広げることに成功し、アルバム『Bad Witch』ではサックスも使用するようになった。

2016年の『Not The Actual Events』や翌年の『Add Violence』などのEPは、『The Fragile』時代のアウトテイク、インストゥルメンタル・トラック、別音源を集めたコンピレーション『The Fragile: Deviations 1』と共に、最高のナイン・インチ・ネイルズの曲になり得る素材がまだまだ眠っていることを示唆している。レズナーは2020年にロックンロールの殿堂入りを果たした。彼らはきっと、これからもたくさんの新作を世に送り出していくことだろう。

Written By Oran O’Beirne



『ソウルフル・ワールド オリジナル・サウンドトラック』 
2020年12月23日発売
CD / iTunes / Apple Music / Spotify / Amazon Music


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