ザ・ビートルズ「Yer Blues」制作秘話。メンバーが語る身を寄せ合ったレコーディング
ザ・ビートルズの不朽の名曲のなかでも、きわめてダークで重々しい「Yer Blues」には、内容に匹敵するだけの激しい演奏が求められた――そして、それを可能にしたのは、アビイ・ロード・スタジオの狭い倉庫部屋だった。
「“White Album”をレコーディングしている間に、僕たちはバンドらしさを取り戻したのさ。僕がずっと求めてきたことだよ。なによりもバンドでありたかったんだ」と、リンゴ・スターは回想する。
前作『Sgt. Pepper’s』までに、ザ・ビートルズのレコーディングは回を重ねるごとにどんどんと凝ったものになり、初期のアルバムのようにスタジオでバンド演奏するのではなく、入念に何層もの音を重ねて制作していた。しかし『White Album』では、再びバンドとして楽曲を演奏することを意識し、音楽的な距離をぐっと縮めた。そして、ジョン・レノンによる「Yer Blues」では、身体的にも距離を縮めたのだ。
本人たちの語るところによると、結成時のザ・ビートルズは、ヘヴィ・ロックを演奏していた。「でも、実際にレコーディングしてみると、ベースはぜんぜん足りないし、ギター・ソロも思ったようには響いていなかった。当時はレコーディングのことなんて、何も知らなかったんだ」と、ジョン・レノンは『White Album』のリリース直後に語っている。
「このアルバムでは、より僕たちらしい音になった。自意識にとらわれずに、昔やっていたことにもう一度取り組んだ。今はレコーディングの技術についても、前よりは分かっているからね。沢山の楽曲で、僕たちの演奏がそのまま使われている」
「神に近づこうとして、死んでしまいたいと思っていた」
『White Album』の曲の大半は1968年の春にインドで書かれているが、「Yer Blues」もそのひとつである。他のメンバーは安らぎを得るためにインドに向かったが、ジョンは私生活の危機に直面していた。シンシアとの結婚生活が終わりつつあり、オノ・ヨーコとの恋愛に身を投じようとしていたのだ。
「不思議なんだけど、インドでは何もかもが美しく、一日八時間も瞑想していたのに、僕はとことんみじめな曲を書いていた。“Yer Blues”で ‘とても淋しい、死んでしまいたい’ って書いたのは冗談じゃなかった。本気でそう思ったんだ。神に近づこうとして、死んでしまいたいと思っていたんだ」
ザ・ビートルズのメンバー全員がイギリスに戻ってすぐに録音したイーシャー・デモでの「Yer Blues」は、アコースティック・ギターで伝統的なブルースのフレーズが奏でられ、完成ヴァージョンに響きわたるどう猛さは感じられない。
形式的には、「Yer Blues」は、クリームやビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー、キャンド・ヒートといった、当時流行っていたヘヴィ・ブルース・バンドに目配せしたもの、もしくはそのパロディーであると言える。だが、ジョン・レノンが書く詞にみなぎる才気と詩的な着想によって、模倣の域を凌駕している。
例えば、ブルースで昔から歌われてきたフレーズ
「黒い猫が俺の前を横切った / Black cat crossed my path」
ではなく、ジョンは
「黒い雲が俺の頭をよぎる / Black cloud crossed my mind」
と歌う。そして、
「青ざめた霧が俺の魂を包む / Blue mist round my soul, いっそ死んでしまいたい / Feel so suicidal, 俺のロックン・ロールすら嫌になっちまった / Even hate my rock’n’roll」
と続ける。ザ・ビートルズの不朽の名曲のなかでも、極めてダークで重々しいこの曲には、それに匹敵するだけの激しい演奏が求められた。
「身を寄せ合うのは楽しかったよ」
エンジニアのケン・スコットは、当時未発表だったジョージ・ハリスン作の「Not Guilty」のセッション中に、ザ・ビートルズが自分たちの音をとことんまで追究し、常にありとあらゆる方法を試していたことについて、ジョン・レノンをからかったいう。
「もともとEMIは4トラックのレコーダーが2つあるだけでした。この2つがやたら大きいから、別々の狭い部屋にしまいこんでいた。どちらの部屋も第2コントロール・ルームの隣でした……それで、ジョンの横に立って、『そんなにいろいろ試してるなら、あそこでレコーディングしたらどうだい』って冗談を言いながら、片方の部屋を指差したんです。ジョンはちらりと目をやっただけで、なにも言わなかった。しばらくして、“Yer Blues”という新曲に取り掛かっていた時、ジョンはこちらを向いて、『あそこでレコーディングしたい』と言って、さっき僕が冗談で口にした部屋を指しました。僕たちは、とんでもなく狭い部屋に無理やりメンバーを押しこんだ。もし誰かがいきなりギターを振りかざしたら、他のメンバーの頭に当たったでしょうね」
「Yer Blues」のレコーディングは1968年8月13日から14日にかけて、さらに8月20日にも行われた。これほどまでに狭い空間で演奏すれば、リヴァプールのキャヴァーン・クラブでのステージの感触が蘇るのではないかとメンバーは期待した。「身を寄せ合うのは楽しかったよ。僕たちの音楽がより力強くなるように感じられたからね。事実そうなった」とポールは話す。
いったいどんな状況だったのか? この狭い部屋で、互いのスペースを確保するためにメンバーが取った手段は、ただアンプを壁に向けただけで、それを見たスコットは驚いた。ポールのベースは低く唸り、リンゴのドラムの生々しい迫力はこのアルバムのなかでも図抜けている。ギターはフィードバック寸前で吠え、ヴォーカルは、ジョンがこれまで歌ってきた激しいロックン・ロールの中でも類を見ないほどに猛々しい。
その仕上がりにすっかり満足したジョン・レノンは、12月にザ・ローリング・ストーンズ の『Rock’n’Roll Circus』に参加し、ザ・ダーティ・マックとして2曲披露したが、そのうちの1曲は「Yer Blues」だった。1969年の9月にトロントで行われたロックン・ロール・リヴァイバル・フェスティバルでも再びパフォーマンスした。
Written By Paul McGuinness
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