マシューズ・サザン・コンフォート、3,500マイル離れたところからのウッドストック
1969年8月に時代を定義したウッドストック・ミュージック&アート・フェアの反響は、開催以来世界中で感じられている。歴史上最も有名なロック・フェスティバルが行われた1年後、そのイベントを記念し、その名前をタイトル掲げたジョニ・ミッチェルの曲「Woodstock」は、3つのヴァージョンで大成功となった。
ジョニ・ミッチェルが“ピース&ラヴ”を具現化した同フェスに出演しなかったというのは有名な話だが、実際に楽曲「Woodstock」を初めてステージで演奏したのは、ビッグ・サー・フォーク・フェスティバルだった。マーク・ヤスガーの農場に(少なくとも)40万人以上集まった体験を、当時ジョニ・ミッチェルは恋人だったグラハム・ナッシュから直接聞いていた。もちろん、グラハム・ナッシュは、クロスビー・スティルス、ナッシュ&ヤングのメンバーとしてウッドストックに参加していた。
「Woodstock」はジョニ・ミッチェルが1970年3月に発表したアルバム『Ladies Of The Canyon』に収録、同月にクロスビー・スティルス、ナッシュ&ヤングのもっとアップビートでクローズ・ハーモニーのロック・ヴァージョンはアルバム『Deja Vu』に収録され、シングルとしても発表された。シンガー・ソングライター・ムーヴメントの先駆けの中で、ジョニ・ミッチェルは急速に上昇していたが、彼女のオリジナルの「Woodstock」は大ヒット曲「Big Yellow Taxi」のB面に過ぎなかった。
先を阻むものがないクロスビー・スティルス、ナッシュ&ヤングの「Woodstock」は、全米ポップ・ヒットとして5月には最高位11位を獲得。しかし、大西洋の向こう側では、また別の「Woodstock」の物語が始まるところだった。
著名なイギリスのフォーク・ロックのアーティスト、イアン・マシューズは、フェアポート・コンヴェンションの初期の頃に人気を博し、自身のバンド、マシューズ・サザン・コンフォートのフロントをつとめた。この頃にはすでにアルバム2枚をリリースし、BBCラジオ・セッションでの4曲を演奏するためにカヴァーが必要となり、バンドが知っていたジョニ・ミッチェルの曲を演奏することになった。
マシューズ・サザン・コンフォートの夢のようなヴァージョンの「Woodstock」は、クロスビー・スティルス、ナッシュ&ヤングのシングルがイギリスではヒットしないとの確信を得てから、7月にMCAよりシングルとしてリリースされた。逆に、マシューズ・サザン・コンフォートのヴァージョンは、BBC Radio 1のサポートのもと、すぐにヒットになることが確実だった。9月後半に慎重な位置である45位でチャート入りしたが、その後1か月で徐々に勢いを増した。1970年10月31日、全英1位を獲得し、2週間そこにとどまるヒットとなった。
Written by Paul Sexton
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