メンバー脱退、技術的な問題、強盗事件、病気などを乗り越え全米1位となったウイングスの『Band On The Run』
1974年4月13日にアルバム『Band on the Run』が全米チャートのトップに輝いたとき、ポール・マッカートニーはすでにザ・ビートルズとして、そしてウイングスとして全米ヒット・チャートのトップの座を賑わせた10年間を満喫していた。しかしこのアルバムの制作の裏には、土壇場のメンバーチェンジ、技術的な問題、強盗事件、病気など非常に困難な状況があったため、その仕上がりはより喜ばしいものになった。
ナイジェリアのラゴスでアルバム制作に取り掛かろうという時に、ヘンリー・マカローとデニー・セイエルが脱退。ウイングスはポールとリンダ、デニー・レインの3人組へとメンバーが減ってしまった。彼らはウイングスの作品としての頂点となるであろうものを作るために、ナイジェリアにて、慣れないスタジオでの作業の混乱、ナイフまで突きつけられた強盗にあうなどのあらゆる課題を乗り越えていった。
『Band on the Run』は1973年クリスマス直前に全米チャート入りし、肯定的なレヴューだけでなく、シングル「Jet」の大ヒットによって上位へと押し上げられた。タイトル・トラック「Band on the Run」は多くの要望からリリース化が実現されたもので、その5分という再生時間とテンポの変化はシングル向きではなかったかもしれないが、ラジオ局や消費者たちはそれを楽しんだ。シングルは全米シングル・チャートの首位の座を獲得、アメリカだけで100万枚を売り上げた。
アルバムのチャート・デビューは33位と比較的低かったが、1974年になって伸び続けた。4月13日に「Band on the Run」が新たにシングル・カットされたと同時に、『Band on the Run』は『John Denver’s Greatest Hits』からトップの座を奪った。その後、4週間ノンストップでトップの座を走り続け、ザ・ビートルズのポール・マッカートニーのレコーディングの中でも群を抜いて長期となった116週間、2年以上もベストセラーのリストに残り続けた。
Written by Paul Sexton
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ポール・マッカートニー&ウイングス『Band on the Run』