ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s』 アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?
ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。
このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。
ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。
最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
『Sgt. Pepper』の who’s whoのインタラクティヴ・ヴァージョンはこちら(日本語非対応)
1: Sri Yukteswar Giri(スリ・ユクテスワ・ギリ)
『The Holy Science』(1894年刊)の著者。同書は「全ての宗教には根本的な一貫性があることをできる限り明確に示す」ことを試みている。スリ・ユクテスワ・ギリは、同じく宗教家であったSri Mahavatara Babaji(スリ・マハー・アヴァター・ババジ:No. 27)とParamahansa Yogananda(パラマハンサ・ヨガナンダ:No. 33)と一緒に写っている。
彼が左上隅という重要な位置にいるのは、ジョージ・ハリソン(No. 65)がインド哲学への関心を高めていたためだ。1967年8月、アルバムのリリースから2カ月後、ザ・ビートルズはロンドンのパーク・レーンにあるヒルトン・ホテルでマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーと初対面を果たした。4人はここで、ノース・ウェールズのバンガーで超越瞑想を学ぶよう勧められた。
2: Aleister Crowley (アレイスター・クロウリー)
非常に多くの作品を残した作家。オカルティズム(神秘主義)に共感し、セレマ(Thelema)という自身の宗教を創設した。クロウリーの中心的信条は「汝の意志することを行うことが、法の全てである。愛は法であり、愛は意志の下にある」。
3: Mae West(メイ・ウエスト)
メイ・ウエストは当初、アートワークへの写真使用を拒んだ。ハリウッドの黄金時代にその名を轟かせた魅惑的な彼女は、自分は決してロンリー・ハーツ・クラブには入らないと思っていたのだ。しかし、ザ・ビートルズが直々に手紙を書き、4人全員がファンであることを説明すると、彼女は写真の使用を許可した。1978年、リンゴ・スター(No. 63)はメイ・ウエスト最後の作品となった『結婚狂奏曲セクステット(原題:Sextette)』(1978年)に出演し、恩返しをした。なお、同映画の中では『The Beatles』(通称ホワイト・アルバム)収録の「Honey Pie」のカヴァー・ヴァージョンが使用されている。
4: Lenny Bruce(レニー・ブルース)
レニー・ブルースは、後年のコメディアンの多くに影響を与えた個性的なスタイルで、50年代、60年代のコメディに革命を起こした。『Sgt. Pepper』のジャケットに登場した頃にはわいせつ罪で逮捕されていたが、こうした逮捕によって、彼はザ・ビートルズだけでなく、ビートニックス(*訳注:1950年代の米国のサブカルチャーを支持する若者たちの総称)やボブ・ディラン(No. 15)にとってもさらに反体制文化のヒーローと化した。1966年8月に薬物中毒死。
5: Karlheinz Stockhausen(カールハインツ・シュトックハウゼン)
50年代から60年代、電子音楽を先駆的に利用したドイツの作曲家で、今もアヴァンギャルドのゴッドファーザーであり続けている。限界を押し広げるシュトックハウゼンの音楽に影響を受けたザ・ビートルズは、『Revolver』の「Tomorrow Never Knows」でのテープを使った実験的手法を皮切りに、スタジオで画期的な実験をするようになった。ポール・マッカートニー(No. 64)がシュトックハウゼンの作品を他のメンバーに紹介すると、ジョン・レノン(No. 62)がファンとなった。レノンとオノ・ヨーコは1969年、シュトックハウゼンにクリスマスカードを送ったほどだ。
6: WC Fields (W.C.フィールズ)
アメリカのライター/コメディアン/俳優。無声映画とトーキー映画の両時代に活躍したW.C.フィールズは、万能エンターテイナーの典型例だ。彼の喜劇映画はザ・ビートルズ自身のユーモアを加速させ、また、彼の出自となったヴォードビルの世界は「Your Mother Should Know」といった楽曲に影響を与えた。
7: Carl Jung(カール・ユング)
スイスの精神科医。進歩的な思想家であるユングは、世界に新種の心理学を紹介した。彼が創始した分析心理学は、1900年初頭に個性化と自己実現という概念の先駆となった。
8: Edgar Allan Poe(エドガー・アラン・ポー)
「I Am The Walrus」で名前を出される前に、エドガー・アラン・ポーは『Sgt. Pepper』のコラージュで最上段の右側に登場していた。彼が1820年代から1840年代にかけて執筆した詩と短編小説は、モダンホラーというジャンルを創設し、現代のSF小説や探偵小説の土台を作った。
9: Fred Astaire(フレッド・アステア)
メイ・ウエスト(No.3)とは対照的に、フレッド・アステアは 『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケット登場の依頼を受けて喜んでいたと伝えられている。最初は姉と舞台で踊っていたが、ジンジャー・ロジャースと共演した『トップ・ハット(原題:Top Hat)』や『有頂天時代(原題:Swing Time)』などのハリウッド黄金時代の映画で大成功を収めた。フレッドはまた、ジョン・レノンとオノ・ヨーコとともに1972年のテレビ映画『Imagine』にも出演している。
10: Richard Merkin (リチャード・マーキン)
アメリカの画家/イラストレーター。1938年生まれのリチャード・マーキンは、自身が生まれる前に流行した草創期のジャズに魅了された。彼のモダニストなスタイルは、ジャズの抽象性とマッチしており、1966年にピーター・ブレイクが制作したトリビュート作品『Souvenirs For Richard Merkin』のインスピレーションともなっている。
11: A Vargas Girl (バーガ・ガール)
ペルーの画家、ホワキン・アルベルト・バルガス・イ・チャベスは、1910年代から30年代にブロードウェイを飾った『ジーグフェルド・フォリーズ』のポスターをデザインして名声を手にすると、ピンナップ・ガールを描いた作品の数々を制作した。「バーガ・ガールズ」として知られる一連の作品は、40年代にエスクワイア誌で大々的に取り上げられたほか、第二次世界大戦の戦闘機に描かれた絵の多くをインスパイアした。
12: Leo Gorcey(レオ・ゴーシー)
レオ・ゴーシーは、ハンツ・ホール (No. 13)とともにバワリー・ボーイズの一員だった。バワリー・ボーイズは、デッド・エンド・キッズとイースト・サイド・キッズから派生したギャング役を演じる映画俳優のグループだ。バワリー・ボーイズの映画シリーズは、40年年代から50年代にかけて合計48作品にのぼった。レオ・ゴーシーの演じたギャングのリーダーは、ギャング役の原型となり、多くの俳優のお手本となった。なお、彼はザ・ビートルズに写真使用料を求め、この要請は却下されたため、写真使用を認めなかった。
13: Huntz Hall (ハインツ・ホール)
ハンツ・ホールもバワリー・ボーイズの一員だった。お調子者のギャング、ホレス・ドビュッシー・ ‘サッチ’・ジョーンズを演じたことで有名。
14: Simon Rodia (サイモン・ロディア)
1879年、イタリアに生まれたサイモン・ロディアは、15歳の頃に兄とアメリカに移住した。その後35年間はさまざまな場所に住んでいたが、1920年にロサンゼルスのワッツ地区に定住し、翌年からワッツ・タワーの建築に着手した。相互に結びついた17の彫像によって構成される同タワーの完成までには33年を要した。
15: Bob Dylan(ボブ・ディラン)
ボブ・ディランとザ・ビートルズは60年代を通じて影響を与えあっていた。お互いを刺激しあいながら、限界を押し広げ、シンプルな‘ポップ・ミュージック’で可能と考えられていたことを変革する音楽を作っていたのだ。ジョン・レノン(No. 62)に「Help!」という形でより私的な曲を書くきっかけを与えたのはボブ・ディランだった。また、ザ・ビートルズはフルバンドを擁してできることをボブ・ディランに示し、これをヒントにボブ・ディランは1965年、エレクトリック路線へと進んだ。しかし、ボブ・ディランと最も長く友情が続いたのはジョージ・ハリソン(No. 65)で、2人はその後もしばしば一緒に演奏し、トラヴェリング・ウィルベリーズを結成したほか、お互いのプロジェクトにゲスト参加しあっていた。
16: Aubrey Beardsley (オーブリー・ビアズリー)
19世紀のイラストレーター。オーブリー・ビアズリーのペン画の影響は、クラウス・フォアマンが手がけた『Revolver』のジャケットにも感じ取れる。オーブリー・ビアズリー自身のスタイルは日本の木版術に影響を受けており、耽美主義者として同年代に活動していたオスカー・ワイルド(No. 41)と遠からぬスタンスを取っている。
17: Sir Robert Peel (サー・ロバート・ピール)
現代の保守党を創始したサー・ロバート・ピールは、1834年~1835年、1841年~1846年の2回にわたり、英国首相を務めた。また、英国内務大臣に在任中は、近代警察の基礎を築いた――その名残は今日でも残っており、警察官(複数)はイギリスでは「ボビーズ(訳注:ボビーはロバートの愛称)、アイルランドでは「ピーラーズ」と呼ばれている。
18: Aldous Huxley(オルダス・ハクスリー)
1954年に刊行されたオルダス・ハクスリーの『知覚の扉(原題:The Doors Of Perception)』は、1960年代を生きる反体制文化のエリートにとって必読の書だった。メスカリン(幻覚剤)を使用した自身の経験を詳述した同著は、当時流行していた意識拡大の風潮と一致していた。また、ザ・ドアーズは同著にちなんでグループ名をつけた。オルダス・ハクスリーはノーベル文学賞に7回ノミネートされ、『With The Beatles』のリリース、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺と同日の1963年11月22日に死去した。
19: Dylan Thomas(ディラン・トマス)
人々に愛されたウェールズ著述家。1953年死去。『Sgt. Pepper』のジャケット制作に取りかかる頃までに、ザ・ビートルズの4人はディラン・トマスの詩のファンとなっていた。「4人ともディラン・トマスのファンだったんだ」とポール・マッカートニー(No. 64)は後に回想している。「僕も彼の作品をたくさん読んだ。確かジョンは、彼がきっかけで詩を書きはじめたんじゃないかな」。故サー・ジョージ・マーティンもトマスのファンで、1988年にトマスのラジオ・ドラマ『Under Milk Wood』のミュージカルをプロデュースした。
20: Terry Southern (テリー・サザーン)
風刺に富んだ小説家/脚本家。ビート・ジェネレーションとザ・ビートルズの橋渡しをした。彼はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでビート・ジェネレーションと交流し、1966年にロンドンへと居を移した後は、ザ・ビートルズと親交を結んだ。『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(原題:Dr. Stranger Love Or: How I Learned TO Stop Worrying And Love The Bomb)』、『イージー・ライダー(原題:Easy Rider)』など、60年代を象徴する映画の脚本も手掛けた。
21: Dion DiMucci(ディオン・ディムチ)
ディオン・アンド・ザ・ベルモンツのリーダーだったディオン・ディムチは、「The Wanderer」、「Rundaround Sue」などのヒットでソロ・アーティストとして成功を収めた。ロックン・ロール時代を特徴づける彼のドゥワップ曲は、ザ・ビートルズに大きな影響を与えた。
22: Tony Curtis(トニー・カーティス)
魅力に溢れた多才多芸のトニー・カーティスは、ハリウッドのアイドルだった。1949年から2008年の間に、目もくらむような数の映画(100作品以上)に出演した。ジャック・レモン、マリリン・モンロー(No. 25)と共演した『お熱いのがお好き(原題:Some Like It Hot)』(1959年)での女装姿が忘れられないが、バート・ランカスターと共演した1957年のフィルム・ノワール『成功の甘い香り(The Sweet Smell Of Success)』で演じた早口のプレス・エージェント、シドニー・フィアスコ役も印象深い。
23: Wallace Berman (ウォレス・バーマン)
アメリカのヴィジュアル・アーティスト、ウォレス・バーマンは、アルバム・ジャケットの歴史に名を残す以上の功績を残した。彼が先駆となった「アッサンブラージュ・アート」は、立体的な手法のコラージュ・スタイル。これはピーター・ブレイクが得意とするもので、『Sgt. Pepper』のアルバム・デザインにもこの手法の影響が感じ取れる。
24: Tommy Handley(トミー・ハンドリー)
マックス・ミラー(No. 37)と同様、トミー・ハンドリーも戦時中に活躍したイギリスのコメディアンだ。リヴァプール生まれの彼は、ザ・ビートルズにとっては地元の英雄だった。BBCのラジオ番組『ITMA(”It’s That Man Again”)』は、1939年から1949年に彼が脳内出血で急逝するまで、10年にわたって放送された。
25: Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)
メイ・ウエスト(No.3)的な雰囲気を持つマリリン・モンローは、『お熱いのがお好き(原題:Some Like It Hot)』でトニー・カーティス(No.22)と主演を務め、50年代ハリウッドのピンナップ・ガールとなった。彼女の衝撃的な死について、いまだに陰謀説が囁かれている。『Sgt. Pepper』は、マリリンにとって41回目となる誕生日(1967年6月1日)に正式リリースされた。
26: William Burroughs(ウィリアム・バロウズ)
ボブ・ディラン(No. 15)からデヴィッド・ボウイ、トム・ウェイツからスティーリー・ダンにいたるまで、ビート・ジェネレーションの作家、ウィリアム・バロウズは何十年にもわたって多数のソングライターに影響を与えてきた。あまり知られていないことだが、ウィリアム・バロウズ本人によれば、ポール・マッカートニー(No. 64)が「Eleanor Rigby」を書いているところに立ち会っていたという。ヴィクター・ボクリスと共著した対談集『ウイリアム・バロウズと夕食を―バンカーからの報告(原題:A Report From The Bunker)』の中で、ポール・マッカートニーがモンタギュー・スクエア34番地にあるザ・ビートルズのアパートに泊めてくれたと語っている。「曲が出来ていくのを見ていたよ。またしても、私は音楽のことなど詳しくないのに、彼が万事を心得ていることが分かった」。
27: Sri Mahavatara Babaji (スリ・マハー・アヴァター・ババジ)
スリ・ユクテスワ・ギリ(No. 1)の導師だったスリ・マハー・アヴァター・ババジは、クリヤー・ヨガの瞑想を復活させたと言われており、クリヤー・ヨガの瞑想はその後、パラマハンサ・ヨガナンダ(No. 33)によって西洋に伝えられた。自叙伝『Autobiography Of A Yogi』の中でヨガナンダはバジジについて、まだヒマラヤに住んでおり、真に神聖な者の前にしか姿を現さない、と記している。
28: Stan Laurel(スタン・ローレル)
スタン・ローレルは、オリヴァー・ハーディ(No. 30)とともに107本の映画に出演した。その大半は1920年代から1940年代半ばの映画で、『底抜け極楽大騒動(原題:Block-Heads)』や『宝の山(原題:Way Out Wes)』といったアイコニックな作品も含まれる。2人とも『Sgt. Pepper』がリリースする前に死去している(オリヴァー・ハーディは1957年8月7日、スタン・ローレルは1965年2月23日)。
29: Richard Lindner (リチャード・リンドナー)
リチャード・リンドナーは1901年にドイツで生まれたが、ナチスから逃れるため、1941年にアメリカへと移住した。1950年代、彼は表現主義とシュルレアリスム、ニューヨークで出合った極めて性的なライフスタイルを取り入れた絵画スタイルを生み出した。『Sgt. Pepper』のジャケットに登場後、彼の抽象的なスタイルは、アニメ映画『Yellow Submarine』にも影響を与えた。
30: Oliver Hardy(オリヴァー・ハーディ)
ローレル&ハーディで、口ひげを生やした背の高い方がオリヴァー・ハーディだ。不運なスタン・ローレル(No. 28) を引き立てる短気な役柄を演じた。2人のレコード(「The Trail Of The Lonesome Pine」)は1975年12月、イギリスのシングル・チャートで第2位に入った。
31: Karl Marx(カール・マルクス)
多作な著述家、哲学者、経済学者のカール・マルクスは、1848年のパンフレット『共産党宣言』で最も良く知られている。同書はマルクス自身の学説の中心的な信条を概説しており、この1冊だけで政治運動が始動した。彼の作品は、現在の経済思想にも影響を与え続けている。
32: HG Wells(HGウェルズ)
エドガー・アラン・ポー(No. 8)とともに、HGウェルズは現代のSF小説を形作った。1800年代後半に『タイム・マシン(原題:The Time Machine)』、『宇宙戦争(原題:War Of The Worlds)』といった画期的な小説を発表した後、彼はより政治的な作品を執筆するようになり、ノーベル文学賞に4回ノミネートされた。
33: Sri Paramahansa Yogananda(スリ・パラマハンサ・ヨガナンダ)
スリ・パラマハンサ・ヨガナンダはクリヤー・ヨガをスリ・ユクテスワ・ギリ(No. 1)の下で学び、ユクテスワ・ギリはその教義をスリ・マハー・アヴァター・ババジ(No. 27)に伝えた。1920年、ヨガナンダはアメリカへ向かって出港し、アメリカでセルフ・リアリゼーション・フェローシップを創設。西洋世界に瞑想を紹介した。
34: Hairdressers’ wax dummy No.1 (ヘアドレッサーの蝋人形 No. 1)
地元のヘアドレッサーから借りた蝋人形2体のうちのひとつ。こちらの人形は、レッドとイエローのストライプが入った帽子を被っており、もうひとつの人形(No. 36)はグリーンの帽子を被っている。
35: Stuart Sutcliffe(スチュアート・サトクリフ)
ジョン・レノン(No. 62)の友人でザ・ビートルズの初代ベーシスト。ジョン・レノンとの仲はリヴァプール・カレッジ・オブ・アートにまで遡る。グループがハンブルグに住み、街のクラブで演奏していた頃、スチュアート・サトクリフは写真家のアストリッド・キルヒヘルと出会う。アストリッド・キルヒヘルは、個性的な60年代前半のヘアカット(マッシュルーム・カット)をザ・ビートルズに広めた人物だ。スチュアート・サトクリフはハンブルグ・カレッジ・オブーアート入学のためにグループを脱退したが、彼は脳動脈瘤により21歳の若さで死去し、そのキャリアは悲劇的な終わりを迎えた。
36: Hairdressers’ wax dummy No.2(ヘアドレッサーの蝋人形 No. 2)
1体目の蝋人形(No. 34)の逆側にいる2体目の蝋人形は、スチュワート・サトクリフ(No. 35)の横にいる。
37: Max Miller (マックス・ミラー)
イギリスのコメディアンで寄席演芸のスター。マックス・ミラーは「The Cheeky Chappie(やんちゃで魅力的な人物を意味する)」という愛称を手に入れた。カラフルなファッション・センスと際どいユーモアで知られる彼は、ダブル・ミーニング(2通りの意味を持つ表現)の名人だった。また、1930年代を通じて、多数の映画にも出演した。
38: Petty Girl No.1(ペティ・ガール No. 1)
ホワキン・アルベルト・バルガス・イ・チャベスによるバーガ・ガール(No. 11)と同様、ジョージ・ペティによってデザインされたペティ・ガールは、1933年から1956年の間にエスクワイア誌に掲載されたピンナップ・ガールの絵画で、第2次世界大戦の戦闘機の前面にも描かれた。B17戦闘機に描かれ、『Memphis Belle(メンフィスの美女)』の愛称で呼ばれる絵が特に有名だ。
39: Marlon Brando(マーロン・ブランド)
1953年の映画『乱暴者(原題:The Wild One)』で、ジョニー・ステイブラーという伝説的な役柄を演じたマーロン・ブランドは、ロックン・ロールを生み出した世代に募る欲求不満を見事に表現した。史上最高の名優のひとりとして称賛されている。なお、『乱暴者』でブランドと敵対する暴走族が、ザ・ビートルズとほぼ同名(The Beetles)も注目に値する。
40: Tom Mix (トム・ミックス)
ハリウッドにおけるウェスタン映画の第1号スター。1909年から1935年の間に、291本もの映画に主演した。
41: Oscar Wilde(オスカー・ワイルド)
劇作家、小説家、詩人。オスカー・ワイルドは多くの金言を残し、こうした金言のほかにも小説『ドリアン・グレイの肖像(原題:The Picture Of Dorian Gray)』や『真面目が肝心(原題:The Importance Of Being Earnest)』や『理想の夫(原題:An Ideal Husband)』といった演劇作品でも名を残した。
42: Tyrone Power (タイロン・パワー)
30年代、40年代、50年代、ハリウッドで人気を博した俳優。向こう見ずなアドヴェンチャー映画『The Mark Of Zorro(原題:怪傑ゾロ)』で名ばかりのヒーローを演じたことで知られるタイロン・パワーだが、無法者のカウボーイ、ジェシー・ジェイムズを演じたほか、ミュージカル、ロマンティック・コメディ、戦争映画にも主演した。
43: Larry Bell (ラリー・ベル)
光と空間で遊んだ大きな彫刻作品で有名なアメリカの芸術家。60年代に制作した「シャドウボックス」のシリーズでまず頭角を現すと、その後も80年代の「Vapor Drawings」や、それに続いたシリーズ「Mirage Drawings」と含む幅広い作品で高い評価を受けた。
44: Dr David Livingstone(デイヴィッド・リヴィングストン博士)
リヴィングストン博士と探検との関係は、ザ・ビートルズと革新的音楽の関係と同じだと言ってもいいだろう。恐れ知らずで絶えず探求を続け、新たなテリトリーを見つけようとしていたのだ。「リヴィングストン博士でいらっしゃいますね?(Dr. Livingstone, I presume?)」という有名な台詞は今でも一般的に使われており、初出はリヴィングストン博士と探検家のヘンリー・モートン・スタンリーの対面時まで遡る。6年間行方不明だったリヴィングストンを探して、スタンリーは捜索に送り出されていたのだ。リヴィングストンはウジジ(現在のタンザニア)の街で発見された。
45: Johnny Weissmuller (ジョニー・ワイズミュラー)
ジョニー・ワイズミュラーはハリウッドに視線を向ける前、水泳選手として名を馳せ、20年代のオリンピックで金メダルを獲得した。彼はターザン役でポピュラー・カルチャーに最大の功績を残し、ターザンのシリーズで主演を演じ続けると、ジャングル・ヒーローのトレードマークとなった特徴的な雄叫びを生み出した。
46: Stephen Crane (スティーヴン・クレイン)
イッシー・ボン(No. 47)の頭と手に隠れてほとんど見えないスティーヴン・クレインは、写実主義の小説家。1900年に28歳の若さでで死去したが、同世代で最も進歩的な考えを持つ作家のひとりと考えられている。彼の作品には日常会話が盛り込まれており、これが登場人物にさらなる現実味を与えた。また、彼の小説は、貧困をひるむことなく見つめている。
47: Issy Bonn (イッシー・ボン)
マックス・ミラー(No. 37)と同世代のイッシー・ボンは、ユダヤ系イギリス人の寄席演芸スター。彼もBBCラジオで有名になった。
48: George Bernard Shaw(ジョージ・バーナード・ショー)
近代劇を形作ったアイルランドの劇作家。ノーベル賞(1925年。文学賞)とアカデミー賞(1939年。『ピグマリオン(原題:Pygmalion)』で最優秀脚本賞)のふたつを受賞した初めての人物。彼の作品は、21世紀の今も舞台化されている。
49: HC Westermann (HCウェスターマン)
アメリカの彫刻家。第2次世界大戦と朝鮮戦争で、米国海兵隊として従軍したHCウェスターマンは、大工として学んだスキルを使い、海外で戦っている間に目撃した恐ろしい出来事を批判する表現主義の彫刻作品を制作した。
50: Albert Stubbins (アルバート・スタビンズ)
トミー・ハンドリーと(No. 24)と同様、アルバート・スタビンズもビートルズの地元リヴァプールのヒーローだ。ウォールセンド生まれの彼は、1946年にリヴァプールFCのセンターフォワードとなると、翌年のリーグ・チャンピオンシップ優勝に貢献した。
51: Sri Lahiri Mahasaya (スリ・ラヒリ・マハサヤ)
スリ・ラヒリ・マハサヤはスリ・マハー・アヴァター・ババジ(No. 27)の弟子で、1861年にクリヤー・ヨガの規律を学ぶと、その後はその教えをスリ・ユクテスワ・ギリ(No. 1)に伝えると、ユクテスワ・ギリはスリ・パラマハンサ・ヨガナンダへとその教えを伝えた。なお、ヨガナンダについてマハサヤは「精神的なエンジンとして、彼は多くの魂を神の御国へと運んでいくだろう」と語っている。
52: Lewis Carroll(ルイス・キャロル)
1965年に行われたBBCのインタビューで、ジョン・レノン(No. 62)は『Alice In Wonderland(不思議の国のアリス)』と『Alice Through The Looking Glass(鏡の国のアリス)』への愛を表明し、「1年に1回は読んでいる。未だに好きだからね」と語っている。そうなると、「セイウチと大工(The Walrus And The Carpenter)」という詩を書き、レノンの「I Am The Walrus」の歌詞に影響を与えた人物が、『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケットで目立つ位置にいるのも納得がいくだろう。
53: TE Lawrence (TEロレンス)
『アラビアのロレンス(Lawrence Of Arabia)』(1962年)で映画化された人物。映画では、ピーター・オトゥールが彼の役を演じた。イギリスの考古学者で軍人だったTEロレンスは、1916年から1918年のアラブ反乱中、アラブ側の連絡役となった。1922年に出版された『知恵の七柱(Seven Pillars Of Wisdom)』は、戦時中の経験を詳述しており、彼の伝説の多くについて下地を作った。
54: Sonny Liston(ソニー・リストン)
ビートルズはフロリダ州マイアミで1964年2月、伝説的ボクサーのカシアス・クレイと一緒に写真を撮ったことが良く知られている。しかし、『Sgt. Pepper』のジャケットに登場しているのは、ソニー・リストンの蝋人形だ。クレイはビートルズと写真を撮った同月、リストンを破り、ヘヴィーウェイト級ボクシング・チャンピオンとなった。リストンはクレイに敗北を喫するまで、1962年から1964年までヘヴィーウェイト級のタイトルを保持していた。なお、クレイはこの後、モハメド・アリへと改名する。
55: Petty Girl No.2(ペティ・ガール No. 2)
ぺティ・ガール No. 1(No. 38)と同様に、このペティ・ガールもジョージ・ペティによる絵画シリーズのひとつだ。
56, 57, 59 and 60: wax models of The Beatles(ビートルズの蝋人形)
完璧なポストモダン・タッチで、ビートルズはビートルマニア時代の自身の蝋人形を加えた。蝋人形のビートルズは、ミリタリーでサイケデリックな衣装に身を包む現在のビートルズを見つめている。ジョン(No. 57)、ポール(No. 60)、ジョージ(No. 56)、リンゴ(No. 59)の蝋人形は、『Sgt. Pepper』の写真撮影のためにマダム・タッソー館から借りたものだ。
58, 71 and 73: Shirley Temple(シャーリー・テンプル)
女優、歌手、ダンサーと、まさに三拍子揃ったシャーリー・テンプルは、30年代に子役スターとなった。彼女は『Sgt. Pepper』のジャケットに3回登場している。ジョン・レノンの蝋人形(No. 57)とリンゴ・スターの蝋人形(No. 59)の間から、髪の毛が出ているのが1回目、ダイアナ・ドース(No. 70)の前に立っているのが2回目、右端に入る「Welcome The Rolling Stones(ローリング・ストーンズを歓迎)」というスローガンの入ったセーターを着た布製の人形が3回目だ。
61: Albert Einstein(アルベルト・アインシュタイン)
ジョン・レノン(No. 62)の右肩の上に辛うじて見えるアルベルト・アインシュタインは物理学者で、彼の相対性理論は何光年も時代を先取りしており、世界を永久に変えた。
62, 63, 64 and 65: The Beatles(ビートルズ)
ミリタリー・シック(もしくはミリタリー・サイクとでも言おうか?)なまばゆい衣装に身を包んだジョン(No. 62)、リンゴ(No. 63)、ポール(No. 64)、ジョージ(No. 65)は、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮しており、それぞれがフレンチ・ホルン、トランペット、コー・ラングレ、フルートをこれ見よがしに持っているため、サイケデリックなブラス・バンドのように見える。アルバム・ジャケットと同様に、ビートルズが着用したサージェント・ペパーのコスチュームは、史上最高に象徴的なバンド・コスチュームのひとつに数えられるようになった。一目でそれとわかるコスチュームは、我々の文化の中へと永遠に織り込まれたのだ。
66: Bobby Breen (ボビー・ブリーン)
シャーリー・テンプル(No. 58, 71, 73)と同じく、ボビー・グリーンも30年代の子役スターだった。軍隊に入り、第2次世界大戦中は軍隊の慰問をした後、彼はナイトクラブ・シンガーとなり、1964年にはベリー・ゴーディのモータウン・レコードでシングル数枚をレコーディングした。
67: Marlene Dietrich(マレーネ・ディートリヒ)
ビートルズと同じように、マレーネ・ディートリヒも絶えず自己改革をしてきた。20年代のベルリンで撮影されたサイレント映画から、30年代のハリウッド大作映画へと移行した後は、舞台で勝負するライヴ・パフォーマーとして活躍した。1963年11月、彼女はビートルズ出演回の『ロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンス(Royal Variety Performance)』に出演し、よく知られているようにビートルズと記念撮影をした。
68: Mohandas Karamchand Gandhi (モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー)
非暴力の不服従と、イギリス支配からのインド独立運動を率いたことで知られるマハートマー・ガンディは、『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケットから最終的に姿を消した。ガンディの写真使用がインドの人々の怒りを招くかもしれないという懸念によるものだ。
69: Legionnaire from The Royal Antediluvian Order Of Buffaloes(ロイヤル・アンティディルーヴィアン・オーダー・オブ・バッファローズの兵士)
1822年に創立されたロイヤル・アンティディルーヴィアン・オーダー・オブ・バッファローズは、現在もその活動を続けており、北アイルランド、キプロス、アフリカ、南アフリカ、インド、中東、オーストラリア、ニュージーランド、カナダに支部を擁している。同組織のモットーは「何時も賢い者はいない」というもので、今も会員と、死去した会員の扶養家族の世話をし、慈善事業を行っている。
70: Diana Dors(ダイアナ・ドース)
イギリスのマリリン・モンロー(No. 25)と称されたダイアナ・ドースが出演した作品の大半は際どいセックス・コメディだったが、後に歌の世界にも進出し、1960年の『Swinging Dors』が特に有名である。70年代に入ると、彼女はキャバレー・スターとタブロイド誌を賑わす人物として、彼女のキャリアは息を吹き返した。
72: Cloth grandmother figure(布製のグランマ人形)
ピーター・ブレイクの妻で、『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケットの共同制作者でもあるジャン・ハワースが作ったグランマ人形は、彼女が布から作った人形のひとつだ。
74: Mexican Tree Of Life candlestick(メキシコの「生命の樹」ろうそく立て)
伝統的に、メキシコの「生命の樹」の彫刻は。メヒコ州メテペク産で、聖書からの場面が描かれている。『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケットに写っている「生命の樹」は、ろうそく立てでもある。
75: Television set(TVセット)
「生命の樹」のろうそく立て(No. 74)が、ストーリーを語る伝統的な手法だとすれば、ソニーのTV9-306YBポータブルTVは、1967年時点で極めてモダンなストーリーテリングの道具だった。
76, 77 and 78: stone figures (石像)
シャーリー・テンプル人形(No. 73)の足元に見える石像(No. 77)とともに、少女の石像(No. 76)はジョン・レノン(No. 62)とジョージ・ハリソン(No. 65)がアルバム・ジャケットに入れようと家から持ってきた像のひとつだ。石像の中で最も目立つのは、バス・ドラムの右側に置かれている胸像で、これはレノンが1964年から1969年まで住んでいたサリー州ウェイブリッジにあるジョンの自宅「ケンウッド」にあったもの。
79: Trophy(トロフィー)
「BEATLES」の「L」の曲がった部分に置かれているトロフィーは、ジョン・レノン(No. 62)が子どもの頃にもらった水泳のトロフィー。
80: Lakshmi doll(ラクシュミー人形)
アルバム・ジャケットの中心に置かれているのは、インドの女神で富、幸運、繁栄を司るラクシュミーの人形だ。
81: Sgt. Pepper drum skin(サージェント・ペパーのドラムヘッド)
有名なサージェント・ペパーのドラムヘッドは、フェアグランド・アーティストのジョー・エフグレイヴがデザインした2種のうちのひとつ。2番目のデザインは、よりモダンなレタリングが使われており、バス・ドラムの逆側に付けられていた。こうして写真撮影中、バンドにドラムヘッドのオプションが2つ与えられたのである。
82: Hookah(フーカー/水パイプ)
インドを起源とするフーカーはタバコを吸う道具で、水を通った後の煙を吸うようにデザインされている。『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケットに入ったのは、ジョージ・ハリソン(No. 65)のインド愛と、ジョン・レノン(No. 62)のルイス・キャロル愛を鑑みたものだ。(『不思議の国のアリス(Alice’s Adventures In Wonderland)』に登場するイモムシは、フーカーを吸う。)
83: Velvet snake(ヴェルヴェットの蛇)
ソニー・リストン(No. 54)の下に置かれた紫色のヴェルヴェットの蛇は、おそらくジャン・ハワースが布で作った作品のひとつだろう。
84: Fukusuke statue(福助人形)
大きな頭と耳が特徴の福助人形は日本に由来し、幸運をもたらすと言われている。
85: Stone figure of Snow White(白雪姫の石像)
福助人形(No. 84)の前にあるのは、『グリム童話(Grimms’ Fairy Tales)』の白雪姫像。
86: Garden gnome(ガーデン・ノーム)
「BEATLES」のBの左側に辛うじて見えるのは、よくあるガーデン・ノームだ。19世紀のドイツで生まれた。
87: Tuba(チューバ)
ビートルズの各メンバー(Nos. 62, 63, 64, 65)が抱えているフレンチ・ホルン、トランペット、コー・ラングレ、フルートと同様、チューバもブラスバンドの演奏には欠かせない楽器だ。
Written By Jason Draper
1967年6月1日発売
5CD+1Blu-ray / 2CD / 1CD / 4LP+EP / 1LP / 1LPピクチャーディスク
- ザ・ビートルズ・アーティスト・ページ
- 『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』 50の事実
- 『Sgt. Pepper』を可能にした10の事
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- 『Sgt. Pepper』 Vs. 『The Sound Of Music』
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- どのようにして『Sgt. Pepper’s』は音楽を変えたのか?