いつなり全英6位となったダスティ・スプリングフィールドのデビュー・アルバム『A Girl Called Dusty』
ダスティ・スプリングフィールドはソロ・デビュー曲「I Only Want To Be With You(邦題: 二人だけのデート)」が大ヒットとなり、続く「Stay Awhile」も立派な成績を残していた。それゆえ、1964年の春に出したファースト・アルバムにも大きな期待が寄せられていた 。そして、そのアルバムは記念碑的な作品となった。今や伝説的な歌手となっているダスティは、『A Girl Called Dusty』で全英アルバム・チャートに初めて登場することになった。
最近は、ファースト・アルバムには最新のヒット曲をふたつ入れることが最優先となっているようだ。しかし1960年代の音楽業界では、既にヒットしていたシングル2曲はアルバムのタイミングでは鮮度を失った古新聞のようにみなされていた。このアルバムで、ダスティはシングルを収録する代わりに新曲を12曲吹き込んでいる。ここでのプロデューサーは、いつも組んでいたジョニー・フランツが務めていた。
ダスティはアメリカ音楽の大ファンであり、『A Girl Called Dusty』ではそうした好みが反映されていた。ここではモータウン、バート・バカラック&ハル・デヴィッド作品、ミュージカルの曲、ポップ・ソングなど、さまざまなアメリカの曲が歌われている。たとえば、ホランド=ドジャー=ホランドがシュープリームスに提供した初期作品「When The Lovelight Starts Shining Through His Eyes(邦題: 恋のキラキラ星)」がカヴァーされているし、バカラック&デヴィッド作品も「Twenty Four Hours From Tulsa(邦題: タルサからの24時間)」、「Anyone Who Had A Heart(邦題: 恋するハート)」、「Wishin’ and Hopin」の3曲が採り上げられていた。このうち「Wishin’ and Hopin」は、このあとまもなくマージービーツのヴァージョンが全英チャートのトップ20に入るヒットとなっている。
このアルバムでは、ジェリー・ゴフィン&キャロル・キングの「Will You Love Me Tomorrow」、レイ・チャールズの「Don’t You Know」、「Mama Said」、「Do Re Mi」、アイネズ&チャーリー・フォックスの「Mockingbird(邦題: 愛のモッキンバード)」もカヴァーされている。また、フレッド・エッブ&ジョン・カンダーの「My Colouring Book」もハイライトと言えよう。このソングライター・コンビはライザ・ミネリと深く関わっており、彼らが手がけたミュージカル『Flora』、『The Red Menace』、『Cabaret』ではライザが主役を務めている。
『A Girl Called Dusty』を買うために近くのレコード店に行ったダスティのファンは、印象的なジャケットを目にしたはずだ。ここに映し出された彼女は、自立した力強い女性のような雰囲気を漂わせている(ただし心の奥底の精神状態は、非常に不安定なものだったが)。スプリングフィールズ時代のペチコート姿とは打って変わって、ここでのダスティはデニム・シャツを身にまとっている。
このアルバムでは、オーケストラ編曲はアイヴァー・レイモンドが担当している。レコーディングは、この1964年にロンドン中心部で開業したばかりのオリンピック・スタジオで行われた(1966年にはロンドン南西のバーンズで同名のスタジオが開業しているが、そちらとは混同しないように)。このアルバムが発売されたころ、ダスティはジェリー&ザ・ピースメイカーズとのオーストラリア・ツアーを終え、アメリカに到着していた。そして『エド・サリバン・ショー』に初出演することになる。
4月25日、『A Girl Called Dusty』は全英アルバム・チャートに初めて登場し、17位に入った。翌5月には着実に順位を上げ、最高6位を2週間記録。それから9月までチャートに留まっている。そのあいだの夏には、シングル「I Just Don’t Know What To Do With Myself(邦題: 恋のとまどい)」がトップ3入りのヒットとなっていた。これもまたバカラック&デヴィッド作品のカヴァーだった。
Written By Paul Sexton
ダスティ・スプリングフィールド『A Girl Called Dusty』