ソロとして初めてカントリー・シングルにチャート入りしたグレン・キャンベル
グレン・キャンベルのキャリアにおいて大ブレイクとなった年は1967年であり、「Gentle On My Mind」と「By The Time I Get To Phoenix(邦題:恋はフェニックス)」の2曲で、珍しいヴォーカルの職人という自身の立場を確立した。アーカンソー州のディライト出身のグレン・キャンベルは、もちろんその頃にはギタリストとしてすでに何年も一目置かれた存在として需要も高まっており、1962年にはカントリーのシングルの中でシンガーとしてフィーチャーされた作品などで興味深いチャート入りを果たしていた。そして、1966年12月10日にグレン・キャンベルは初めてソロ・アーティストとしてカントリー・シングルのチャート入りを記録した。
その曲は、長年の古巣であるキャピトル・レコードからリリースした「Burning Bridges」であり、その日に全米カントリー・シングル入りを達成、18位を記録し13週間チャート入りを記録した。その楽曲は、1960年にカナダのロックン・ロール・バラード歌手であるジャック・スコットの全米ポップ・チャート3位を記録した曲のカヴァーだった。
1962年後半にグリーン・リヴァー・ボーイズ・フィーチャリング・グレン・キャンベルの名義で発表した「Kentucky Means Paradise」は、カントリー・チャートで20位を達成した。しかし、1960年代半ばに同時にカントリーとポップのヒットを達成するまで、その2つのジャンルで全く異なるファン層がおり、全米シングル・チャート入りは果たしたがカントリー&ウェスタンには入らない場合やまたその逆の状況が続いていた。
例えば、1965年には、バフィ・セントメリーのプロテスト・ソング「The Universal Soldier」のカヴァーでポップのトップ40入りに近かいところまで到達したが、カントリーのチャートにはその姿はなかった。しかし「Burning Bridges」は全米シングル・チャートに入ることもなく、次作の「I Gotta Have My Baby Back」も同様の結果だった。
それから、マルチなフォーマットにおけるスターとしてのグレン・キャンベルの時代が到来したのだが、その聴き間違えようのない声と、豊かなストリングスとカントリーなピアノはすでに「Burning Bridges」でも健在だ。
Written by Paul Sexton
グレン・キャンベル『Burning Bridges』