ウィーザー『Pinkerton』解説:“蝶々夫人”から影響を受けた心の暗部が投影された傑作
ウィーザー(Weezer)は1994年、たまたまであったがカート・コバーンが自ら命を絶った1ヶ月後にデビュー・アルバムを発表した。だがそのときは、彼らがオルタナティヴ・ロック界の救世主になるとは誰も考えていなかっただろう。というのも、不満を抱いた若者たちにとってのアンセムを作り出したニルヴァーナとは対照的に、ウィーザーはガレージでの”オタ活”や、糸のほどけるセーターに関するアンセムを書いていたからだ。
また、ウィーザーがキッスやメタリカをはじめとするハード・ロック/ヘヴィ・メタルのバンドや、その勇ましいギター・ソロを心から愛していたことは言うまでもない。だがあらゆる予想を覆して、『Weezer』 (通称”ブルー・アルバム”) は大ヒットを記録。同年の終わりまでに米国内で100万枚近くを売り上げた。そのため2枚目のアルバム『Pinkerton』を制作する段になると、彼らへの期待値は大きく高まっていた。
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ロック・スターとしての生活への幻滅
フロントマンのリヴァース・クオモは、同世代の多くのグランジ・バンドと同様、ロック・スターとしての生活にうんざりするようになった。何しろ彼は、自分に憧れの眼差しを向けるファンたちと隔絶されているように感じながら、ツアー・バスとモーテルで何ヶ月も暮らさなければならなかったのだ。
それに彼は、”ブルー・アルバム”の収録曲のような「単純でたわいない」楽曲から脱却し、もっと陰鬱で複雑な楽曲を書きたいと考えるようになっていた。その上、彼は片方の脚を伸ばすための外科手術を受けたことで、肉体的な苦痛にも苛まれていたのである。
このような精神面・音楽面でのフラストレーションをやり過ごすため、彼は取り憑かれたようにプッチーニのオペラ『Madama Butterfly (蝶々夫人) 』を聴き込んだ。同作は、日本の少女である蝶々さん (タイトルになっている張本人だ) と、アメリカの海軍士官であるB.F.ピンカートンの結婚に纏わる物語だ。そうして自身の絶望感や幻滅感を曲作りの糧にするようになったクオモは1年後、同オペラの登場人物に因んだタイトルを持つアルバムを完成させたのである。
愛のような何かへの希求
端的に言えば『Madama Butterfly (蝶々夫人) 』も『Pinkerton』も、女性に対して酷い振る舞いをしてきた男性に関する作品だ。『Madama Butterfly (蝶々夫人) 』は、ピンカートンが自分を愛していなかったと知った蝶々さんが、彼の目の前で自ら命を絶つところで終幕を迎える。結局、物語の中心であったはずの二人の結婚は名目上のものに過ぎなかった――ピンカートンは少女と結婚し、そのあと彼女を捨てたのである。
一方、ウィーザーの『Pinkerton』は、「Butterfly」という一曲で幕を下ろす。同曲はクオモ――あるいは現実とは異なるアルバムの中だけの彼――がそれまで傷つけてきた女性のことを思い出しながら、飼っていた昆虫の死を嘆くという内容だ。
「僕は身体に正直に行動してきただけ/きみを傷つけるつもりはなかったんだ (I did what my body told me to/I didn’t mean to do you harm)」と彼はコーラス・パートでそう訴える。だがこれは謝罪ではなく、言い訳に過ぎない。
ほかの収録曲で扱われているテーマを考えれば、その点はなおさら明らかだ。例えば「Getchoo」で彼は精神的虐待というテーマを歌い、「Pink Triangle」ではレズビアンの女性との性的関係を模索する。そして『Pinkerton』の中でももっとも衝撃的な一曲といえる「Across The Sea」は、10代のファンからの手紙を読みながら彼女について妄想するという内容である。
だがオペラに登場するピンカートンとは違い、クオモは少なくとも自分の行いを自覚している。その上で彼は、自分自身の苦悩の一端を私たちに覗かせるのである。「Tired Of Sex」に描かれている通り、毎晩のようにグルーピーと寝ていた彼はセックスにうんざりし、”愛のような何か”を死に物狂いで探し求めるようになったのだ。
悔やんでも悔やみきれない過ち
「No Other One」での彼は、孤独を恐れて不健全な恋愛関係を終わらせられない。恋人はドラッグに手を染めているし、彼女が自分の友人と仲睦まじくしているのも彼は気に入らないのだ。しかしその次の楽曲「Why Bother?」で彼は、心に傷を負わないためには一生独りでいるしかないと悟る。
他方「The Good Life」では、クオモがそうした想いとは程遠い生活を送っていることが示唆される。この曲は「El Scorcho」と並び、『Pinkerton』の中でもっとも自伝的で、もっとも痛ましい一曲といえよう。
どの曲にクオモの実体験が投影されていて、どの曲がまったくのフィクションなのかは判断が難しい。だがいずれにせよ、彼の書く歌詞は示唆に富んでいたり、ユーモアに富んでいたり、親近感さえ抱かせるものだったりする――あるいはそうした要素が混ざり合っている、というのが正しい表現かもしれない――。それに、ラウドで、荒々しく、キャッチーで、生々しい作風の『Pinkerton』は、間違いなく音楽的魅力を多分に含んだ作品でもある。
例えば「Tired Of Sex」におけるギターのフィードバックはそれ自体が楽器として機能しているし、「Why Bother?」や「Falling For You」におけるサーフ・ロック調の力強いリフはまるで高波のように耳に迫ってくる。また「Pink Triangle」における歪んだギター・サウンドの波は、その繊細なメロディーを海へと押し流すかのようだ。そして最後の「Butterfly」にたどり着いたころにはリスナーも疲れ切っているが、そのおかげで同曲の穏やかなアコースティック・サウンドが余計に骨身に染みるのである。
1996年9月24日にリリースされた『Pinkerton』は賛否を巻き起こしたが、約20年の年月を経てある種の再評価を受け、プラチナ・ディスクに認定された。しかし、『Pinkerton』に対する批評を目にしたクオモは、それから数年のあいだ激しいうつ状態に陥ってしまう。特に酷い時期には、ロサンゼルス郊外の高速道路の下にあるアパートに真っ暗な状態で暮らしていたという。
それでも彼は2000年代に入って再び表舞台に姿を現し、かつて軽視した「単純でたわいない」楽曲作りに回帰。その際、『Pinkerton』については「悔やんでも悔やみきれない過ち」と断じた。
『Pinkerton』のカルト的人気
だがこのころまでに、『Pinkerton』はカルト的人気を集めるようになっていた。当初はこれを酷評していたローリング・ストーン誌の読者も、その6年後には”史上最高のアルバム・ランキング”で同作を16位に選んだのである。また批評家たちも、あとからこのアルバムを傑作だともてはやすようになった。
ついにはクオモ自身も考えを変え、収録曲の誠実さを評価するようになっていった。そして2010年のウィーザーの”メモリーズ・ツアー”では、『Pinkerton』の全編をステージで再現。観客たちは終始シンガロングをしてそれに応えたのだった。
『Pinkerton』は間違いなく時代を超越したアルバムだが、それと同時に、特定の時代と結びついた作品でもある。これらの楽曲を書いたころのクオモはまだ人間的成長の途上にあり、時に愛とセックスを混同しながら、必死に愛を探し求めていたのだ。そして現在でも、ウィーザーのリスナーの大部分を構成するのはそうした状況にある若者たちだ。
この地球上に10代の若者がいる限り――つまり永久に――『Pinkerton』の中で自分たちに向けて、自分たちのために歌うクオモの声に耳を傾けるリスナーは存在し続けるだろう。
現在のクオモは当然、あのころの彼とは違う。『Pinkerton』のリリース以降、彼はウィーザーの一員としてさらに10作以上のアルバムを発表してきたし、人生の伴侶に恵まれて二人の子どももいる。彼は心の平穏を手にしたのだ。そのため彼が『Pinkerton』のようなアルバムを作ることは二度とないだろうが、こんな作品を一作でも残してくれたことを喜ぼうではないか。
Written By Sam Armstrong
ウィーザー『Pinkerton』
1996年9月24日
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