ソロ・アーティストとして自らを確立した80年代のスティング

Published on

1985年にソロ・デビューを飾ったスティングは、それから6年のあいだに3枚のソロ・アルバムを発表し、アーティストとして驚くほどの成長を遂げていった。


ザ・ポリスはパンク・ロック元年の1977年に結成された。とはいえ、スティング 率いるこのバンドは、スリー・コードのロックというパンクの限界をたちまち超越しており、1980年代半ばにバンドが解散するころには、ザ・ポリスはニュー・ウェイヴ・シーンに多彩な要素を持ち込んでいた。その中でも特に目立っていたのは、レゲエの影響を取り入れた音作りである。それはスティングのポップ・センスを経由することで、一風変わったものに変貌していた。こうしてザ・ポリスは、世界的な大スターの座に登り詰めたのだった。

スティングは、ザ・ポリスの解散からほとんど休むことなくソロ活動を開始した。ポリスが『Synchronicity』のツアーを1984年3月に終えると、彼はすぐに6人編成のバンドと共にレコーディング・スタジオに入っている。そのメンバーの中には、フュージョン・パーカッション奏者のオマー・ハキム、ベーシストのダリル・ジョーンズ(のちにローリング・ストーンズの重要なサポート・メンバーとなる)、ポスト・バップ・ジャズを代表するミュージシャン、ブランフォード・マルサリスらがいた。このレコーディングでは、さらに15人のミュージシャンが起用されている(たとえばブリティッシュ・レゲエの第一人者エディ・グラントやその他のヴォーカリストたち)。スティングが、ソロ・アーティストとしてきわめて重要な作品を作ろうとしていることは明らかだった。

そして1985年に、スティングはこの際の成果を纏めたアルバム『The Dream Of The Blue Turtles (ブルー・タートルの夢)』をリリース。以来6年に亘って野心的なポップ・ミュージックを作り続けている。そうした作品は、曲の雄大さにひけを取らない鋭いテーマを持っていた。1985年から1991年という6年のあいだに、彼は愛とモラルについて考察を続けながら、アーティストとして驚くべき進化を遂げていったのだ。

 

『The Dream Of The Blue Turtles』はイギリスのアルバム・チャートで最高位3位、アメリカのチャートで最高位2位をマークした。このアルバムの狙いは、オープニング・トラックとそれに続くナンバーに既に明らかだった。「If You Love Somebody Set Them Free」と「Love Is The Seventh Wave」はアルバムの幕開けを飾る自信に満ちたワン・ツー・パンチであり、この2曲は、そのままアルバムからのファースト・シングルとセカンド・シングルのA面になった。「Love Is The Seventh Wave」はザ・ポリスのファンにはお馴染みのレゲエ調の楽曲だったが、以前よりさらに自信に満ちた仕上がりになっている。スティングは、この曲で、この世界の病を分類しながら、愛こそが”a deeper wave (何よりも深い波)”だと主張している。この曲は、スティング版の「One Love」といっていいものだった。

これは、続く曲が「Russians」であることを考えると、しっくりくるメッセージだった。「Russians」で、スティングは世界中で”growing feeling of hysteria (ヒステリーがつのっている)”と訴え、”there’s no such thing as a winnable war (誰かが勝者になれる戦争なんてものは存在しない)”と主張する。この曲のメッセージは、30年経った今でも的を射ている。それは「We Work The Black Seam (黒い傷あと)」にも言えることだ)。

スティングの歌は重たいテーマを扱うことが多いが、その一方で音楽性も高い。そのおかげで曲には生命感があふれ、アルバムもテーマの重みに押しつぶされることがない。「Shadows In The Rain」ではバンドのメンバーのひとりが「キーを教えてくれ」と叫ぶが、スティングらほかのメンバーはお構いなしに演奏に突入する。ここでは、アルバムの中でもとりわけ情熱的なヴォーカルが聴ける。それを支えるバンドも生き生きとスウィングしている。アルバム・タイトル曲のインストゥルメンタルは1分18秒しかないが、複雑な曲構成を持っており、このバンドの音楽的技量がいかんなく発揮されている。また、スタジオの中で明るい雰囲気が漂っていたことも確認できる。

 

彼がこの2年後にリリースしたアルバム『…Nothing Like The Sun』は、あらゆる面で前作の続編と言える内容だった。引き続きマルサリスが参加したほか、エリック・クラプトンマーク・ノップラー、ギル・エヴァンス(マイルス・デイヴィスの諸作のアレンジャーとして知られる)、ジャズ・ドラマーのマヌ・カチェらも顔を見せている。こうした面々に支えられ、スティングの野心的な楽曲が巧みに仕上げられていた。前作から続くジャズっぽい音作りがポップな決めフレーズと違和感なく織り合わさり、さらにワールド・ミュージックのリズムが多くの曲の土台を形づくっている。ここからは刺激的なシングル「Englishman In New York」が生まれた。とはいえこのアルバムは、ひとつのムード音楽として最も効果を発揮した。滑らかに流れていく全12曲が、中身の濃厚さを包み隠すような聴きやすいものになっていたのである。

 

『…Nothing Like The Sun』には、ほかにも聴き手を欺くようなところがある。このアルバムのグルーヴは、最初は地味に聞こえるかもしれない。しかし「The Lazarus Heart」や「History Will Teach Us Nothing」といった曲をよく聴けばわかるように、その陰には実に魅力的なメロディが隠れていて、意外なところで耳に飛び込んでくる。一方、「They Dance Alone」は7分間のうちに心に響く黙想からカーニバル風のアウトロへと移り変わっていく。下手な人間がやれば悪目立ちしそうな組み合わせだが、ここではそうした異なる曲調が易々とつなぎあわされている。

「They Dance Alone (孤独なダンス)」は次のアルバム『The Soul Cages』の予告編と言うべき曲だった。『The Soul Cages』は、この時期のスティングの頂点となる作品として今も高く評価されている。これは1991年1月17日にイギリスで発表され、イギリスのチャートでは首位に達し、アメリカでも最高位2位を記録した。前作の発表からかなりの年月を経ていたが、このアルバムは精度の高い職人的な音作りのおかげでスティングの傑作のひとつとして数えられている。

ここでは過去の作品よりもバンドが小編成になった(マルサリスとカチェは引き続き参加し、重要な役割を担っている)。スティングはテーマを自分の父の死に絞った。そして、非常に個人的な経験を死についての普遍的に共鳴できる黙想へと変えた。それは、この時点で彼が表明した最も壮大な主張であると同時に、最高に内面をさらけ出すような作品になっていた。また、曲の中でストーリーを物語るスティングならではの手法もこのアルバムから前面に出てきている。特にアルバム冒頭の「Island Of Souls」は、彼が育った場所の情景を思い起こさせるような内容だ。これはまた、その後2014年に発表された『The Last Ship』の萌芽とも言える曲だった。

 

ここまでに自らの野心を極限まで追求していたスティングは、新しい展開を見せようとしていた。彼は1990年代にさらに3枚のアルバムを発表する(『Ten Summoner’s Tales』『Mercury Falling』『Brand New Day』)。その時期に、彼は自らの曲作りに磨きをかけていった。これらのアルバムは英米両方で大ヒットを収めていく。当時イギリスではブリットポップ、アメリカではグランジという新たな流れが台頭していたが、彼は精緻な作品作りで自らの立ち位置をしっかりと確保していた。

Written By Sam Armstrong



スティング『マイ・ソングス – スペシャル・エディション』

日本盤ボーナス・トラック1曲収録(全20曲) + 2019マイ・ソングス・ツアー
スティングによる全曲解説掲載(日本語訳付)

Share this story

Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
モバイルバージョンを終了