ザ・ビートルズ “ホワイト・アルバム” が持つデザインの革新性と使われなかったアートワーク
2015年12月5日、リンゴ・スターが所有していた『The Beatles』(通称 White Album)のシリアル・ナンバー0000001の盤がオークションに出品され、790,000ドル(約9000万円)で落札された。その売り上げはリンゴ・スターと妻バーバラ・バックの設立したロータス基金に寄付されている。この機会に、シンプルかつ象徴的なこの名盤のデザインの興味深い歴史を振り返ってみたい。
「White Album」の呼称で親しまれる真っ白な2つ折りスリーヴに盤ごとのシリアル番号が振られている同作のアートワークは、ポップ・アーティストのリチャード・ハミルトンがポール・マッカートニーとの綿密な打合せの上で制作したものだ。リチャード・ハミルトンは、1967年にテート・ギャラリーで開催されたマルセル・デュシャンの回顧展でザ・ビートルズの目に留まった。
リチャード・ハミルトンによれば、シリアル・ナンバーを付すアイディアは「500万枚も売れるようなものに番号を入れるという皮肉を表現したい」という狙いのもとに生まれたという。彼はさらにこう話す。「ポール・マッカートニーから、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のド派手なカヴァーと真逆のデザインにしたいとリクエストされたんだ。それがこれさ!」。
フロント・カヴァーにグループの写真が使われなかったことは当然、1968年11月のリリース時に大きな話題となった。だが、スリーヴの内側にはジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターそれぞれの写真が白黒で4枚並んでいる。さらに大きなモンタージュ写真の4つ折りポスターと個別のカラー写真が付属しており、ポスターの裏には収録曲の歌詞が載せられていた。
リンゴ・スターがオリジナル・リリース時のシリアル番号1の盤を持っていたことは多くの人にとって驚きだった。というのも、それはジョン・レノンが所有していると長い間信じられていたからだ。ポール・マッカートニーもそう考えていたうちの一人で、ジョン・レノンが「大声で怒鳴って」自分のものにした、と証言したこともあった。実際、バンドに近い人物が若い番号の盤を持つことを許され、プロデューサーのジョージ・マーティンは0000007、広報担当のデレク・テイラーは0000009を所有していた。
ジョン・レノンは0000005を名前は明らかになっていない近しい友人に贈ったとされているが、2008年に同盤がオークションにかけられた際は約30,000ドル(約340万円)まで値が上がった。世界の貴重なレコードを特集した2014年のデイリー・テレグラフ紙によれば、あるディーラーは若いシリアル番号の『The Beatles』の価値は今後も高くなるとし、100番までのレコードは4,000から10,000ポンド(約60万円~150万円)に高騰すると予想している。
しかし、この真っ白なジャケットは当初から構想されていたものではなかった。ザ・ビートルズの熱心なファンには有名な話だが、同作はもともと作家イプセンの戯曲にちなんで『A Doll’s House』と名付けられていた。だがリリース4か月前の1968年7月、英プログレッシブ・ロック・バンドのファミリーがデビュー作『Music In A Doll’s House』を発表したことで題名は変更になった。
他方、『The Beatles』のために制作されたが使われなかったふたつのアートワークがあることはあまり知られていない。ひとつは4人の顔がイギリス海峡の崖に彫られているデザインで、もうひとつはパトリック(後にテレビ・シリーズ『トゥッティ・フルッティ』のヒットで一躍有名になるジョン・バーンのペンネーム)がグループを描いたポップ・アートだった。
この一件の後、テレビの仕事が入る以前にパトリックの印象的な作画はスティーラーズ・ホイールのアルバムに使われている。さらに、彼らの解散後もフロントマンだったジェリー・ラファティーのソロ作にも起用されている。喜ばしいことに、彼がザ・ビートルズに提供したアートワークも無駄にならず、1980年の編集盤『The Beatles Ballads』に使われているのだ。
このように『The Beatles』の若いシリアル番号の盤の価値が上がっているが、リチャード・ハミルトンのもともとの構想が実現していれば同作のカヴァーは今以上に革新的になっていたかもしれない。彼は当初、白いジャケットにコーヒー・カップのシミをつけることを提案していた。このアイディアは後に別の作品に使われており、有名なものにはエルヴィス・コステロの『Get Happu!!』がある。リチャード・ハミルトンはまた、ザ・ビートルズによるアップル・レコード設立に合わせて同作のカヴァーにリンゴの果肉を染み込ませることも強くすすめていたが、これも実現が難しいとして却下されている。最終的にはこれ以上ないシンプルなデザインが、『The Beatles』のアートワークをその楽曲に劣らぬ印象的なものしたのだ。
Written by Paul Sexton
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