タミー・テレル:24歳の若さでこの世を去った素晴らしい歌姫
我々はモータウンの優雅な歌姫、タミー・テレル(Tammi Terrell)を若くして失った。彼女は1945年4月29日に生まれ、1970年3月にたった24歳の若さでこの世を去った。
彼女は、米フィラデルフィアにトマシーナ・モントゴメリーとして生まれ、脳腫瘍と診断されてから3年後に亡くなった。しかし彼女は貴重な音楽の伝説を残してくれた。一般によく知られるマーヴィン・ゲイとのコラボレーション・デュエット、そして時に過小評価されがちな彼女自身のソロ作品においても。彼女の健康問題のため、モータウンは彼女名義のアルバムを1枚しかリリースすることができなかったのは残念なところである。
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成功しなかった初期の活動
タミー・テレルはそのヴォーカル技術を教会で磨き、タレント・コンテストでの優勝後、ゲイリー・U.S.・ボンズやパティ・ラベルなどのバッキング・ヴォーカルを担当。当時まだ13歳だった。
その後、レーベルのスケプター/ワンドは彼女と契約し、タミー・モントゴメリーと名乗らせ、初のシングル「If You See Bill」を1961年にリリースした。1962年には「The Voice Of Experience」が続くが、大きな成功を収めることはなかった、しかしライヴ・パフォーマーとしての目を引くスタイルは、ジェームス・ブラウンの注目を集めることになる。
タミーは、ジェームス・ブラウンのライヴ・レビューに参加。ジェームス・ブラウンは彼女の1963年のシングル「I Cried」をプロデュースし、新たに立ち上げたトライ・ミー・レーベルからリリースした。「I Cried」も続く楽曲「If I Would Marry You」もうまくいかなかったが、1965年にはジェリー・バトラーとツアーをして、その年が終わる前に、ベリー・ゴーディのモータウンと契約。ここで名前がタミー・テレルとなった。
モータウンでの活動をマーヴィン・ゲイとの出会い
新しい契約のもとで、タミー・テレルは、「I Can’t Believe You Love Me」と「Come On and See Me」でR&BTOP30入りを果たす。1966年KRLAビートに次のように語っていた。
「これ以上幸せなことはありません。私はずっとこの世界で生きてきたし、この世界の一部でない間も含めて、余りにも長い間このビジネスを愛してきたんですから」
そして、彼女はマーヴィン・ゲイと出会い彼の作品に参加することになる。多くの人が彼らの間にはなにかロマンティックな関係があるに違いないと信じてしまうほどに、この二人の組み合わせは完璧なものであった。
1967年、「Ain’t No Mountain High Enough」がヒットし、その数週間後に「Your Precious Love」が続いた。そして「If I Could Build My Whole World Around You(君との愛に生きて)」と「If This World Were Mine」のダブルA面が続いた。これらはすべて二人の初のアルバム『United』にフィーチャーされている。
脳腫瘍との診断と24歳の若さで亡くなるまで
1967年10月14日、ヴァージニア州のハンプデン・シドニー大学でマーヴィンとタミーが二人でパフォーマンス中、彼女はステージ上で急に意識を失い転倒してしまい、近くの病院へ搬送された。最初は極度の疲労と診断されたが、さらなる検査を受けた結果、22歳の若き歌姫の脳の右側に悪性の腫瘍があると診断された。
そんな状況ではあったが、彼女は1968年の R&Bチャート1位となる「Ain’t Nothing Like The Real Thing」や「You’re All I Need To Get By」などのマーヴィン・ゲイとの一連の大ヒット・シングルやアルバム『You’re All I Need』や 『Easy』を録音した。
タミー・テレルの唯一のソロ・アルバム『Irresistible』が世に出たのは1969年の初頭。このアルバムには過去3年にわたり録音されたさまざまな楽曲が収録されていた。アルバムはR&BチャートのTOP40入りを果たしただけにすぎなかった。そして、その後マーヴィン・ゲイとの「What You Gave Me」と「The Onion Song」がヒットするころまでには、タミーは車いすでの生活を余儀なくされていた。
「The Onion Song」は1969年秋にUKで大ヒットとなり、モータウンにアメリカでのシングル・リリースを促し1970年3月にリリースされた、それは、まさにタミー・テレルの葬儀の日であった。身を切るような悲しいことではあったが、彼女の誕生日に、この曲は、アメリカのポップとR&Bチャートで1位を獲得する。
Written By Paul Sexton
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